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「おふでさきの物語」 第十一章 その1

第十一章
 
 胸にまで厳しく使えるほどに、神様の心は急いているのです。ですからこれから、世界中の人間にだんだんと様々な病気がはやることになるでしょう。しかしどのようなひどい病気がはやろうとも、そこには神様の深い考えがあるのですから決して将来を案じるようなことはいらないです。それはたとえどのような難しい病気がはやろうそも神様は一人ひとりの心の内をしっかりと見極めているからです。真実に世界中をたすけたいという誠真実の心と、各々が我さえよくばと考えている心を、神様はこれによって、どのような人間の心をもしっかりと見分けているのです。本当にどのような人間であってもしっかりとその心をみているのです。今回こそは本当に神様がしっかりと見分けるのです。ですから口先でたとえどのような素晴らしいことをいってもしかたがありません。心の内にあるべき誠真実の心を神様はしっかりと見ているのですから。今までにもさまざまな話を説いてきたのですが、なかなか本当に大切な真実というものが人々に見えていないからです。
今日という日は、たとえどのような話をしていても、決して間違ったことは言わないのです。神様が説いた一言というのは、たとえどれほどの時間が経とうとも、間違いだと否定されるようなことはあり得ないのです。それほどまでに大切な言葉なのですが、側で神様の声に耳を傾けるものまでも、世間一般の常識となんらかわらないことのように思って聞いています。
ですから、今回、様々な病気や悩みを通して、しっかりと物事を考えるべきときなのです。このことは人類全体の心に対しても、それぞれ一人ひとりの心に対しても同じことが言えるのです。
 神様はもちろん、いつでも自由自在の働きをもって世界中の人々をたすけたいと願ってはいるのですが、世界中すべての人々がしっかりと神様の心を理解し、行動に移す決心をしなければ、やはり意味をもたないのです。世界中の人々がしっかりと神様の心w理解して、行動に移すと決心したならば、神様はどのような願いをも受け取って世界中の人々をたすけてゆくのです。
このたすけというのは、具体的にどういうことかというと、どのような重病人であっても、三日目には外に出られるほど回復というようなたすけなのです。今までも、神様の言葉を形を変えながらいろいろと説明してきましたが、まだ本当にたいせつなことはきっと理解していないことでしょう。ですかこれからどのおうなことも実際に見せて教えていくことにします。
いくら神様の言葉だとといても、いつも同じところから発せられるメッセージであるから、ついつい人々はまたあの話かなどと軽く受け流すかもしれません。ですから、そのように人々が思うのは本当に悲しいことですので、時には場所を変えて、趣向を変えて話することも必要かも知れません。ですから、その場所を変えて時のようすもしっかりと考えて理解するように努力してほしいので。神様の働きはどのようなこともすべて可能にするからです。
神様の心は人々の体内までも入り込んで、しっかりと働きをするのです。いくら神様がこのように述べても本当に心から理解をしている者はなかなかいないことでしょう。ですから、これからは精一杯にこの神様の心理を説いた上で、その証拠を形に表そうと思うのです。形に表すといいまたが、もちろんその前にしっかりと神様は多くの事を説いて聞かせておきます。ですから、今回こうしてできてきた悩みも単なる病気だと思ってはいけません。神様が自由自在の働きを見せるため表したことでうから、決してたんなる病気だと思ってはならないのです。どうしてこうまでして様々なことを教えようとするのかというと、これから将来のことをしっかりと見据えた、深い神様の考えがあるからなのです。この話はいったいどういうことだとおもいますか。これから心を入れ替えて神様の心にもたれて通るならば、どのような願いもしっかりと神様が受け止めるということです。神様がなぜ、しっかりと受け止めて働くかというと、神様が人間を創造したときの元となる深い深い思惑、もとのいんねんがあるからなのです。ではここでいうもとのいんねんとはいったどういうものなのでしょうか。それは人間を創造したときに、道具であったという因縁です。そうしてこの因縁あるものに神様はありとあらゆることをしこんでいったのです。だからこそ、今でも他の場所ではできることのない、唯一の救済ができるのです。
 この話は決して軽い話だとうけとってはなりません。この話こそが、これからこの道の土台となるのですから。つまり、人々がぢばへ帰っただけで、これほどまでにたすけてもらえると、もっとはやくから知っていならばと。多くの人が思うのです。それをしらないから、ぢばへ帰ることなく、自分たちのしたいことしていまうのです。でも、もっとはやく、このことを知っていたならば、どのような悩みも心配もなかったのにと思うのです。人間というものは浅はかなものですから、神様の言葉に疑問を持って、その通りにしないので、あとでどうしても後悔をするのです。これからは、たとえどのようなことがあっても、しっかりと神様の声に耳をかたむけて、しっかりと神様の心にもたれてとおることが大切なのです。
 たとえどのようなことをするにしても、神様の心にもたれることがたいせつで、もたれてさえいればなにも危ないということはないのです。もしこのような素晴らしい道を知らずにさまよって異なタラ場、やがて後悔する日が訪れることでしょう。ですから、これからさき、神様がたとえどのようなことを言ったとしても、決してうたがうことなく、素直にもたれて通ることが大切なのです。しかし、人々はなかなか素直にもたれて通らないので、神様はこの胸さきにまで出かかっている次の言葉をなかなかはなせないでいます。その苦しさを人々はいったいどのように考えているのでしょうか。
この苦しさは決して軽々しく考えるものではありません。神様は人々の将来を本当に心配しているのです。人々はまったくそのことを理解しようとはせずに、自分勝手な考えかたから、自分の利益ばかりを追求しています。人々が自分たちの利益ばかりを追求した結果、この世界はいったいどのようになっているのか。神様の目にはあきらかに映っていますが、世界中の人々はまったくそんなことを考えもしていません。
ですから、これから選んでいくであろう道をすべての人類はしっかりと考えなければなりません。ほんとうに将来どのような道へと変貌していくかわからないのですから。神様はなんとか事前に教えようとするのですが本当にこれからの道をしっっかりと考えてもらいたいのです。決して後で後悔するようなことのないようにと願うのです。なぜ神様がここまでのことをはなすのか。人々は不思議に思うかもしれません。でもそれほどまでに子供である人間は神様にとって可愛い存在なのです。

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