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おたねさんちの童話集 「熊のべアンド」

熊のベアンド
 
 熊のベアンドは、もうかなりの老齢でした。いつもなら春の訪れとともに、気持ちよく身体が動いてくれるのに、今年はなかなか思うように身体が動いてくれません。目は覚めているのに、身体だけ冬眠しているような気分でした。それでも、なんとか気力を振り絞って洞穴から外にでました。あたりは、去年の春と変わらない、美しい景色が広がっていました。
「あ~、いい景色だ」
 ベアンドは大きな欠伸をして外に出ようとしましたが、不思議に身体がうまく動きません。なんとか、よたよたと小川の方へ向かいました。冬の間、ずっと洞穴で冬眠していたので、のどが渇いて仕方がなかったのです。途中でヨロヨロとつまずきそうになりましたが、やっとのことで小川へつくと、ゆっくりと顔を水面に近づけました。
 水面に映る自分の姿は、もちろん自分だとは理解できましたが、想像を遙かに超えるほどの、ヨボヨボ爺さんでした。
 ベアンドは、思わず自分の顔を覆い尽くしました。そうして、狂ったように顔をゴシゴシと洗いました。が、何度洗っても自分の顔が変わるはずもありません。ベアンドは、またヨタヨタと洞窟へ引き返しました。
 それからベアンドは、あまり外へ出かけなくなりました。食欲もありませんから、ほどんどエサを取りに行くこともなくなりました。ただじっと洞穴の中に寝そべっては、ため息ばかりをつくようになりました。
 洞窟の中でブツブツと一人文句を言っては、急に大声を出して怒りだしたり、急に涙が出て悲しくなったりしました。ベアンドは大きな熊ですから、ただでさえ誰も近づきたがらないのに、それが大きな声をだしたり、泣きわめいたりするので、周囲の動物たちは毎日恐ろしくて仕方がありません。でも、ベアンドにはそんなことは分かりませんでした。毎日毎日、洞窟の中で昔のことを思い出していました。
 いつも思い出すのは、お父さんやお母さん、それに兄弟たちと一緒に魚捕りにいったことです。末っ子のベアンドは魚を捕るのが下手くそでいつもからかわれていましたが、初めて上手に捕れたときのうれしさは、なんとも表現できないくらいの喜びでした。
お兄さんたちと相撲をとったこともよく思い出します。一番小さなベアンドはなかなかお兄さんたちに勝つことはできませんでしたが、いくら投げられても向かっていきました。
最後は、勝ったというより、お兄さんたちがいつも負けてくれたのかもしれませんが、ベアンドは大満足でした。
 妻のベアナと出会った頃のこともよく思い出します。お兄さんたちが次々に結婚しても、奥手なベアンドはなかなか女性に声をかけられませんでした。
「・・・あの、・・・その、・・・あ、う」
 今考えても顔が真っ赤になりそうです。
 結局何も言えないまま捕ったばかりの魚とハチミツを無理矢理彼女に押しつけました。
でも、そんな楽しい思い出の夢を見るだけではありません。
川で溺れそうになって大けがをしたこともあります。
 あのときは兄さんと魚を捕る競争をしていたときでした。あまりに夢中になりすぎて、深いところへ入りすぎたのが原因でした。慌てて兄さんが叫んで呼び戻そうとしたけれど、時すでに遅し。ベアンドは足をとられて、何百メートルも下流に流されました。
幸い、命に別状はありませんが、今でも少し足を引きずっています。
 何日も何日も獲物が捕れなくて、お腹が空いて空いて仕方がなかった時期もありました。あのとき、お父さんとお母さんが無理矢理お兄さんたちを家から追い出しました。
あのとき、なんてひどいことをするんだろうとお父さんやお母さんを憎みました。でも、やがてお父さんやお母さんが弱っていくのを見て、そうでもしないとみんな死んでしまうことに後から気づきました。
 でも、一番つらかったのは、突然猟師が現れて、妻のベアナを撃ち殺し、子供たちを連れ去った日のことでした。
 ベアンドは猛然と立ち向かいました。が、結局は子供たちを連れ去られたというのに、何もできませんでした。銃の音を聞いて足がすくんでしまったのです。
目の前で子供が連れ去られようとしたとき、ベアンドとベアナは子供たちを取り返そうと猛然と人間たちに向かいました。
 銃でベアナが撃ち殺されたとき、そうして、続いて人間達が銃口をベアンドに向けたとき、ベアンドは恐ろしさのあまり、足がすくんで一歩も動けなくなったのです。人間たちは子供たちだけをトラックの檻に詰め込むとさっさと引き返してゆきました。
 ベアンドは横たわる妻を前にして泣き叫びました。
 妻を失った悲しさと、何も出来なかった自分が悔しくて、大声で泣き続けました。
 それからベアンドはずっと一人で暮らしました。
 もう何年も、何年も、誰とも会話することもなくずっと一人で暮らしてきました。
 森の動物たちは誰も怖がってベアンドに近づく者はありません。
「俺が死んから妻のベアナに出会ったとき、ベアナは俺をゆるしてくれるだろうか。」
 ベアンドにとって一番怖いのは、死んでからベアナに出会うことでした。
 そうしてベアンドは、感じていました。妻のベアナに出会う日が、そう遠くないことを。
 ベアンドは、それが怖くて怖くて仕方がありませんでした。
ベアンドがあまり外へ出かけなくなって、どのくらい時間がたったのでしょう。
もう春を過ぎ、夏も終わりに近づいた日のことでした。
 ベアンドは久しぶりに川へ魚を捕りに出かけました。ヨボヨボの自分の姿を見るのがいやで、しばらくの間川に近づこうともしなかったのですが、その日はなんとなく身体がよく動いたきがしました。
 身体は衰えてもベアンドは魚を捕る名人でした。幼い頃はお兄さんたちに下手くそだとからかわれましたが、猛練習をしたおかげで、スピードや力を使わなくても簡単に捕るコツを覚えたからです。
 もうこれくらい捕れば十分だと帰ろうとしたとき、ベアンドは何かにほえたてられました。
ベアンドは驚いて後ろを振り返りましたが、何もいません。
「おかしいな・・・」
 ベアンドが再び歩き始めると、また
「キャン、キャン」
 今度は振り返ったからもう少しよくみてみました。すると、足下にキツネの子供がいました。
「どうしたのかい」
 珍しく機嫌がよかったのか、ベアンドは優しい声で、そう子狐にたずねました。
「お、お、お、おまえなんか、こ、こ、怖くないやい」
見ると、後ろの方で、子狐のお兄さんやお姉さんが心配そうに子狐を見つめていました。
「私に何か用があるのか」
 今度はわざと怖い声で子狐にたずねました。
「あ、あ、あ、あの、クマを倒したら、お兄さんたちに勇気があるって認めてもらえるから、た、た、た、戦うんだ」
 ベアンドはそれを聞いて大声で怒鳴りました。
「本当に勇気があるんだったら、もっと大切な時に戦うんだ。」
 それからベアンドはあらん限りの声を振り絞って
「ガオー!!!」
と怒鳴りました。
 後ろにいたお兄さんキツネたちは一目散に逃げていきました。
でも、肝心の子狐は、あまりの恐ろしさに、その場で倒れてしまいました。
その時です。
 今度は大きなキツネは急にベアンドに襲ってきました。
 どうやら子狐のお父さんのようでした。
 ベアンドは鋭い爪でお父さんキツネをふりほどきました。
いくら老いぼれていても、ベアンドは大きなクマです、どんなにあがいてもキツネに勝てるはずがありません。
 それでも、お父さんキツネは何度も何度もベアンドに牙をむけました。
 
「ストップ!俺の負けだ。もう何もしないから手を離せ」
 ベアンドは大声で叫びました。
 お父さんキツネが手を離すと、ベアンドは言いました。
「お前さんみたいなのが父親なんて、このチビはなんて幸せなんだ」
 そう言い残して、ベアンドはキツネたちから離れていきました。
 でも、もう洞窟へ戻ることはありませんでした。
ベアンドは、そのまま山の麓へとおりていきました。
「なんとか死ぬまでに子供たちを人間から奪え返すんだ。そうしないと、たとえ死んでも、ベアナに会えないじゃないか」
 そう言い残して、ベアンドは山を下りました。
 そうして、それきりベアンドは山へ戻ってくることなかったのです。
 

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