「おふでさきの物語」 第二章 その1
第二章
それでは、これから大勢の人々が行き来ができるような素晴らしい道をつくり、世界中に存在するすべての命を元気にしていくための話を進めていきましょう。まもなくこの世を支配するような権力をもつ人々が勢いづく日がやってくることでしょう。でも祭りのような、そんな日々が終わってから現れてくるのは、神様に対する穏やかであたたかな「祈り」なのです。この「祈り」はいったいどこからくるのでしょうか。それは支配されていた人々の心から自然とわいてくる幸せへの願いが、どんどんと広がって生まれてくるのです。この「祈り」によって、神様の大いなる働きも豊かになって、今まで考えることもできなかったらような素晴らしい働きができるようになります。
はやくそうなって欲しい。
この切なる神様の望みを、この星に住む命あるものはいったいどのように考えているのでしょうか。たとえば病気や災難、あるいはさまざまな事故や悩み事などなど、それは決して偶然におこるのではなく、早く人々をたすけたいという神様の切なる思いから現れてくるものです。それはちょうどお父さんやお母さんが小さな子供の手を引いて歩くようなものかもしれません。神様は、どうしてそれほどまでに急いでいるのでしょう。それは「祈り」を捧げる際に中心となる人々をはやく育てたいという思いがあるからです。そうしてこの「祈り」とはいったいどのようなことを祈るものなのでしょうか。それはこの世界、すべてのものの幸せを願う、真実の「祈り」なのです。今だけのことではありません。これから永遠に伝えられ、永遠に幸せを実現してゆく「祈り」でもあります。
ここで少し、しっかりと話をしようと思います。
神様がこのようなことをつぶやくなんて、誰も信じないどころか、のぼせているのではと嗤われるかもしれません。でもそれはすべて、この神様がそれほどまでに急いでいるあらわれなのです。どれほどこの神様が急いでも、何度も何でも説明をしても、これからの手本となるべき人々は、決して神様の思いを理解しようとしません。神様が、この人々が幸せに暮らせるような世界へ変えていくために前進しようと急いでも、その最初の道筋さえも示せずにいるのです。その道筋は、この神様が示した、生命のふるさと「ぢば」からはじめなければならないのにです。
手本となるべき人々や中心となるべき人々は、心をしずめて、うちなる声にしっかりと耳を傾けて、しっかりと広い視野で考えてほしいと願うのです。なぜ、ここまで言わなければいけないのか、それは中心となるべき人々がだんだんとふえて、世界中のあちらこちらで手本となるべき家を、はやく築いてほしいと急いでいるからです。その最初の道筋をしっかりと示すことができたなら、世界中の人々が、きっと元気に勇み立ってくるに違いありません。
そのためには、まず手本となるべき家の心の掃除をしなければなりません。それができたなら、神様の声にしたがって、この道を歩んでほしいのです。この心の掃除も、間もなく終わろうとしています。もうあっというまに、手本となるべき家の人々の心もすっきりと掃除されることでしょう。この心のホコリの掃除が終わったなら、あとはまっすぐ、世界中の人々が幸せになる世界へと進んでいくことになるのです。
手本となるべき家の人々の心もすっきりと掃除された後は、早くしっかりと「祈り」をもって世界中の苦しんでいる者たちを救いたいと願います。本来なら、この世の中のいったいどこに災難や病気といった苦しみが存在するのでしょう。それはすべて、世界中に存在するすべての人々を救けたいという神様の切なる思いから、差し伸べた救いの手なのです。本来は存在しないはずの災難や病気といった苦しみにであったら、そこに存在する神様の心をしっかりと考えなければなりません。神様は本当に毎日毎日、すべての人々が幸せになる日を待ちわびているのです。どうして人間たちはそれを分かってくれないのでしょうか。