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「おふでさきの物語」 第七章 その4

 嘘偽りのない真実誠の心さえあらば、神様はその心をしっかりと受け取ってどのような救けもするのです。今回人々を救済すると言っていますが、このようにしっかりと宣言し、人々の心を見定めて誠の心をうけとり救けていくのは、今までになかったことなのです。それは神様の心が人々の救済を急いでいるからです。神様の声に耳を傾ける者は神様への祈りである「つとめ」の準備に急いで取りかかってもらいたいのです。この救済の方法というのは他のどんなものにもかえることができません。つまりどのような救済もすべて「つとめ」によって行うのです。そして「つとめ」といってもたった一つではありません。それぞれの救済に応じて、それぞれにその方法を教えていくのです。これまでの道すがらを知っている者など、誰一人としていません。どのような道であったとしても、すべて神様が教えていくのです。この世の中が生まれて以来のなみなみならぬ道すがらを聞いたならば、どのような者であったとしても神様の、この残念な気持ちを理解することでしょう。神様のもっているこの残念なきもちが治まって、素晴らしい道が開けてきたならば、あとはこの世界は本当に陽気で勇んだ素晴らしい世界となるのです。
  でも、いったいどのような世界が陽気で勇んだ世界といえるのでしょうか。そうしてどのようにすればそんな世界になるのでしょうか。そのことを本当に理解しているものは誰もいないのです。この陽気な世界へ近づくには、何をおいても、「つとめ」しかありません。人々は真実の心でしっかりと「つとめ」をつとめることによって初めてその本当の意味が理解でき、その素晴らしい世界へと近づくことができるのです。ですから、神様は出来る限りはやく、そうしてしっかりと「つとめ」を教えていきたいのです。そのために、それを勤める人々の心をしっかりと掃除しなかればなりません。そうしてしっかりと人々の心をしっかりと掃除したならば、人々の心は自ずと勇んでくるのです。そうして勇んできた心に、さまざまな「つとめ」の方法を教えていくのです。
 この「つとめ」というのはいったいどういうものであるかというと、人々の出産や伝染病を根本から救済するただ一つの方法なのです。つめりこの方法というのはどういうことかというと、たとえば伝染病を救けるための「つとめ」というのがあるのです。その為にはこの素晴らしい道を教えていくには世界中の人々の心をしっかりと澄み切らせることが大切なのです。この話はいったいどういうことなのか、人々は本当に理解しながら聞いているのでしょうか。すべて世界中の人々を救けあげるために説いているのです。
それはどんな救けであっても、人類の真実の親がいるからこそできるのです。真実の親であるからこそ、こうして人々が救かる道をといているのです。
 この話を信じるも信じないも、それは人々の心しだいですが、本当に真実であると信じ切って自分の心そしっかりと掃除をし、本当に誠の心になったならば、その心を神様はしっかりと受け取って働いていくのです。つまりは人々の心さえしっかりと掃除をして澄み切った心になれば、どのようなことも決して間違いはないのです。しかし今まで神様がどれほどまでに人々の救済を考えても、その神様の声に耳を傾けるものでさえ、しっかりと理解はできていませんでした。ですからしっかりと考えて欲しいのです。これから、どのような「つとめ」を教えていくにしても、そこには人間の心はまったく存在しないのです。すべては人々の幸せを願う神様の心なのです。この世界が創造されてからいままで決してあり得なかったことを、すべてこの神様が教えていくのです。ですから人間が頭で考えるようなことを神様は決して説いていないのです。人々が陽気で勇んだ心で暮らせるように、すべての人々へどのようなことであても神様が教えていくのです。
 この世界中の人々の心がしっかりと澄み切って、陽気に勇んで暮らすならば、そうして、その人々が澄み切った心を神様が受け取って、神様が勇んだ心になっていくならば、それこそが神様の心と人々の心が本当に一つになったときと言えるのです。この世界中の人々の心が勇み立って、陽気に暮らしいくならば、それこそが神様と同じ心に人々もなったと言えるのです。
 毎日、毎日神様の心にあるもどかしくも残念な気持ちはどんどんと積もってくるので、どうしてもそれをはらそうと思うのです。この神様が説いている話は、どんなことでも人々の救済を第一に考えての話なのです。ですから人々が本当に誠真実の心になって「つとめ」をするようにと説いているのも、すべて人々を早く救済したいと願うからなのです。それは神様にとって世界中の人間はすべて神様の子供なのですから、本当に救済したいという心しかないのです。でも実際には「つとめ」を勤めようとするものは差し止められれ、神様へ祈りを捧げる者は、その対象となる道具を取り払われてしまています。ですから、世界中を救けるための「つとめ」を人々は勤めることができません。この神様の残念な気持ちは決して小さなものではないのです。このつとめというのは、簡単なものに思うかもしれません。しかし、これは人間の浅はかな知恵で造り出されたものではなく、すべて神様が直接、少しずつ人々を指導して造りあげてきたものなのです。ですから、このつとめというものを簡単なものと思ってはならないのです。たとえどのようなことをするにしても、そこに人間のあさはかな知恵などまったく入っていないのですから。この「ぢば」において説かれることはすべて「神様の心」なのです。どのような不思議なはたらきが見えたとしても、それもすべて神様の働きなのです。もちろん、このおぢばでどのような病気や災いにであったとしても、そこには必ず深い神様の心があります。決して人間の心は入っていないのです。
 この世界を創造した神様なのですから、この世界のどんなことであったとしても、知らないということはないのです。ですから世界中の人々の心の奥底まですべて神様は分かっているのです。すべて神様の心の鏡に映っているのですから。人間たちはそれをしらないで、人間の浅はかな知恵で自分のことばかりを考えているのです。これから先はすべて本当に素晴らしい真実、この本来の道をしっかりと伝えていくのです。

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