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「おふでさきの物語」 第十七章 その2

 今まで、この世界をはじめた、人間の元となる「ぢば」は誰も知りませんでした。この度こうして神さんがこの世界に現れたのは、この真実の話を何とかして世界中へ教えたいからなのです。だからこそ、かんろだいをはじめたのも、この世界の元である「ぢば」でなければならないのです。なぜ、このような話を続けているかというならば、それは世界中の人間を救けた一心からなのです。それなのに、何もしらない子供である人間に取り払われる、この神様の残念な気持ちを想像してごらんなさい。いいですか。しっかりと聞いて下さい。これから先、神様から人間たちにどのような返しがあるのかしれません。この神様の残念な気持ちは、決して小さなものではないからです。ですから、神様から人間たちへの「返し」も決して小さなものではありません。本当に神様がどのようなことをしてしまうか分からないくらいのものなのです。この話を全ての人間たちはどう考えているのでしょうか。神様の残念な気持ちは本当に大きなものなのです。今まで、どんなに苦しい道であったとしても、通ってきましたが、まだ、あともう少しの旬刻限の到来に至らなかったので、じっと待ってはきましたが、もう十分に期も熟してきました。旬刻限の到来と共にすぐ「返し」を行うことになるでしょう。その刻限の到来する日は、何時の事かというと二十六日が来たら分かることになります。その日が来たならば、どのようなことであっても、全てそれぞれに人間の真実の心を見定めて、神様がそれぞれに全てを現すのです。
 なぜ、このような恐ろしいことを言うのかと言えば、神様は、本当に人間が可愛いので、だからこそ、このようなことも話をするのです。
 神様からみれば、子供である世界中の人間はすべて可愛いのです。可愛いとしか思っていないのです。でも、だからこそ、世界中の人間たちの心の掃除を、どこまでもしたいと願っているのです。
 この心の掃除というものを、人間たちはいったいどのように考えているのでしょうか、これこそ神様が人間を救けたい一心でしていることなのです。そして、この救けというものは、決して病気を治すことだけではありません。本当に珍しい救けなのです。この救けを人間たちはどのように考えているのでしょうか。病むことなく、死ぬこともなく、弱ることさえなくなるような、本当に珍しい救けなのです。
 このようなことは、今までどこにも存在しなかったことです。でも、神様がこの世界を、この「ぢば」で創造した証拠を人々に知らしめたいがために、このような珍しい救けを見せるのです。このようなことは、たとえ何処を探しても存在しません。すべては神様が今回初めてしようとすることなのです。
 今まで歩んできた道は、いったいどのような道であるのか、分からなかったかもしれません。でも、これからはしっかりと、どのような道であるのかを示そうと思います。
 この道は、つまりどういういう道であるかというと神様の残念な気持ちをどうにかしたいという一心で始まった道なのです。その残念な気持ちの最たるものは、かんろだいの一件が最も残念で仕方がないのです。ですから、この残念な木本は決して小さなことではありません。神様が人間たちにいったいどれほどの「返し」をするのか、分からないほどなのです。ですから、たとえどのようなことが自分自身の身に降りかかってきたとしても、決して誰かを恨身に思ってはいけません。すべて、それぞれの人間たちがそれぞれにしてきたことが、全て現れてきているだけなのです。
 これから先、神様は世界中のあちらこちらで、その働きを見せることになるでしょう。それは決して今見えている世界だけではなくたとえどれほど高貴な人々が住む山であっても、あるいは底辺の人々の暮らす谷底であっても、どのようなことでも神様はその働きを見せるのです。そして、その働きを見せるというのはつまり、心の掃除をするということです。この世界中の人々の心を掃除してくとはいったいどういうことでしょうか。誰も神様の本心を知らないでしょう。神様には積もりに積もった残念な気持ちがあるのですが、それを今までずっと我慢して見守っていたのです。でも今日という日は、もうしっかりと、その旬が到来したのです。もうどうにもこうにも「返し」をせずにはいられないのです。この「返し」というものはいったどういうことだと人間たちは思っているのでしょうか。これは神様の残念な気持ちしかないのです。この残念な気持ちを決して軽々しく思ってはいけません。本当に積もりに積もった残念な気持ちなのです。
 神様から見れば、世界中の人間たちはすべて神様の子供なのです。神様の心は人間のことが可愛いばかりでしかないのですが、そうは言っても、肝心の人間たちは、そんな神様の心を理解せずに、自分勝手な埃の心遣いで自分の事ばかりを考えているのです。この神様の残念な心を、想像して下さい。本当に言いたくても言葉にできないくらい残念で仕方がないのです。でも、これからさき、今までのようなことは言いません。これからは人間がそれぞれに、自分たちで考えていかなければならないのです。もし神様がこれから人間たちに言葉をかけるとしたら、もう今までのような優しい言葉ではないかもしれません。そのことを人間たちはしっかりと考えてほしいのです。例えば、どれほど長い時間をかけて神様の話を聞いていても、神様の言葉を軽々しく思っていたり、人間同士の気安さで、真剣に神様の話を聞かなかったりしていては何もならないのです。
 この話は、いろんなことが同時に出てきたら、人間たちも理解できるかもしれません。すべて同じ道理なのですから。
世界中の人間たちはどうか、このことをしっかりと考えてほしいと神様は願っているのです。

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