はじめに―アナーキストになれない
考えたことをまとめるために、noteに記事を掲載しようと思った。それで、「アナーキストになれなかった人たちのために」というタイトルを付けてみた。「それにしても、こんなに感傷的なタイトルつけなくてもいいのではないか」と我ながら思わなくもないが、元ネタはスピッツのアルバム「オーロラになれなかった人たちのために」である。このアルバムも非常に感傷的であり、およそアナーキストの聴くものとしては似つかわしくない。
このマガジンで言うところのアナーキストになれなかったのは僕である。だから、自分で自分にあてた文章を書いているということになるのかもしれないが、結果として興味を持ったり共感してくれる人もいるだろうから、それで良いと思っている。
アナーキストというのは、社会運動に没頭する人の中でも、特にハードコアな意識を持つ人を指すことが多い。その定義は人によって異なるだろうが、僕の中では「あらゆる差別や抑圧に反対し、自由を求めて実践する人」といった意味合いが含まれている。あらゆる差別や抑圧に反対するので、人間の生を利用し廃棄する資本主義への反対も、性差別に反対するフェミニズムも、動物の権利を主張するヴェジタリアンも、環境問題に取り組むエコロジー思想も、ここには含まれる。これはハードコアであり、なかなか簡単にはなれない。
もちろん、これからなれるのかもしれないが、今のところはそのような名称を自負できることができるとも思わない。なりたいのになれない。なれそうな時もあるけど、ワナビー。アナーキストではなくても、社会問題に関心がありつつ、なにかできそうでできない。その意味で「なれない/なれなかった人」は少なくないのかもしれない。ということで、そうした人への呼びかけは、悪くないと思っている。この気持ちを大事にしながら、キリッとした意識と、だらしない表情を混在させた人間として、社会のことを考えたり、考えなかったりしたい。
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