Tポイントカードはお持ちでも、出したくねえんです。
僕の住んでいる北海道は、本州とは違ってコンビニの店員でも日本人が多いのだが、律儀な日本人の接客には、微弱なストレスを感じることが多くて疲れる。
ちょっとした買い物をする度に、環境への配慮から海外ではどんどん規制されてるレジ袋が自動で用意されそうになる。それを止めるために「袋いらないです」と言おうとするのだが、同じタイミングで「Tポイントカードはお持ちですか」と聞かれるので、それを遮るように「Tポイントカードはないし、袋はいりません」と言い続けないといけない生活。これが地味につらい。
しかも、より正確には、以下のようなことを毎回考えている。
店員「Tポイントカードはお持ちですか?」
わし「(Tポイントカードを持っているか持っていないかで言えば、持っている。しかし、そのカードを差し出すことによって付与されるポイントという特典は、つまるところ自身の購買履歴をビッグデータによって解析され、様々な企業、さらには警察や検察などの捜査当局にまで提供されるリスクと引き換えに得られるものである。それらを考えた時に、とてもじゃないがカードを出す気にはなれない。人間にはプライバシーをめぐる権利というものがあるのだ。そもそもそのようなことをこちらはわからない、知らないと思って聞いているようだが、消費者を、というか僕をあまりにバカにしすぎじゃないか?そういうことについてあなた自身はどう思うんだ?クソみたいなシステムに加担してるという自覚はあるのか?いや、もしかして何も考えてない、というか知らないのか…?新聞とか読まないのか?であれば、僕がここで意見を表明して抗議したところで、それはなんらの意味も持たない。のれんに腕押しではないか。
だいいち、ただ決められたマニュアルに従って喋っている、ほとんどロボットみたいなバイトの店員にマジな顔で文句を言ってもクレーマーみたいだし、マニュアル的な謝罪をされて終わるだけだ。なんかよくわからないことを言っているめんどくさい客と思われる。ぼくは別にそんなことがしたいわけではない……それにしても、議論が成立しない。言葉が通じない、この状況というのは……もはや、こんなこと考えても仕方ないのかもしれない。何かをわかったつもりになってる僕のほうが傲慢なのかもしれない……はぁ。とにかくTポイントカードは出したくない。それだけ言おう) ありません」
毎回、毎回、こんな感じ。160円のペットボトルを一つ買う度に、このようなことを思ったりしている。
レジ袋、プラスチックのスプーン、ストローなどについても同様のことを一通り思っている。何も言わないけど。毎回こういうことを考えて、微弱なストレスを感じるのがつらいの。もういやなの。
今回、海外に行って買い物して、「なんとかポイントカードはお持ちですか」のたぐいのクッッッッッッッッッソどうでもいいコミュニケーション以下のコミュニケーションしなくて済んだこと、それだけでも本当に良かった。とにかく日本社会のあらゆることに精神を蝕まれている実感がある。
だいいち、ポイントカードを出したとして、レジの店員にとってどのようなメリットがあるのか。なにもメリットがない、無意味な規則をひたすら反復して、客も迷惑するという、そのようなルーティンに意味があるのか。必要だと思う客がいたら、自分から申し出ればいいではないか。レジ袋だのストローだの、レジ横に置いとけばいいではないか。人間が自ら主張する必要を徹底的に排して、上げ膳据え膳のパッケージにすることによって、結果的に誰も欲しいと言ってないものが機械的に用意される(そして環境に負荷がかかる、あるいは断る手間がかかる)。そんな自己疎外の蔓延した非人間的な社会ができあがっていく。それでうまくいくんだったらいいけど、そうじゃないから傾いてるんじゃないのか、この国。なんか頭いたくなってきた。
(トップの画像は、フランクフルト中央駅の本屋で見つけたデヴィッド・ハーヴェイの本。特に意味はない)
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