プナン族に鬱はあるか

 日本人の15人に1人が鬱という。
 一方、文明化が進んでいない部族には鬱は少ないのではないかという気がする。
 マレーシア領ボルネオ島に居住するプナン族は近年まで、そして現在も部分的には狩猟採集で生き抜いている。現在は森林の開発が進み、狩猟採集で生きていくのは難しくなり、マレーシア政府の指導もあり、定住している。彼らの日常は、T シャツを着て、短パンをはいている。彼らは先のことを考えず、今日を生きている。気候が高温なこともあり、1日の大半を寝て過ごす。ガスを使った調理が進んでいるが、現金を稼ぐ手段を持たないため、ガスがなくなってしまうことも多いようだ。ガスがなくなっても気にしないのがプナンの人たちと聞く。
 そんな彼らは基本的に今日をご機嫌に過ごす。アリとキリギリスのキリギリスのような生活ではないかという人もいる。違いは、家族、親戚、部族間でのつながりの深さ、豊かさのようだ。困ったことも、楽しいことも、何でも分かちあい、笑い合って生活しているそうだ。
 人間の社会は、かなり古くから、権力者が統制する仕組みを取った。チンパンジーやゴリラも群れの掟が厳しく、勝ち残れなかったものは群れの中の下位におかれてしまう。下位のものへの救済もあるだろうが、下位の者はストレスを感じているのかもしれない。プナンの仕組みは、気候に恵まれ、部族間の対立がなく長い年月を過ごしてきたことで出来あがったまれなものと思える。食料をめぐる部族間の対立があれば、部族として長のもと他の部族に負けないように統制を強めていただろう。農耕を行うことで土地がやせ、食料をめぐる争いが激化したという仮説もある。プランは、熱帯のジャングルになっている果実を取り放題だったで、ご機嫌に生きてこれたのかもしれない。
 将来のことを考えることを当たり前のように生きている日本人とは、まるで違う。将来のことを考えて、不安を抱えながら生きていれば、鬱になるのも当たり前かもしれない。日本の多くの地域は農耕を行って、天候、季節を考えた生活をしてきたので、将来のことばかり気にする気質が身についたのかもしれない。
 日本人のほとんどは、家を買わなくてはならない(賃貸でもいいが)、結婚しなくてはならない、仕事をしなくてはならない、老後のこと考えなくてはならない、と考える。考えることが多すぎる。働いて、稼がなくては、飯も食えない。プナンだったら、その辺の木から実を取ってくれば、腹は満たせる(ただし、そういう状況もあまりなくなっているようだ)。
 毎日、仕事場に行き、昔なら、書類、今なら、パソコンを1日中眺めている。気持ちがおかしくなる方が普通だ。
 ひょっとしたら、食うに困らず、先のことを考える必要がない社会を作る方が良かったのかもしれない。試験や選挙で人を選ぶなんて誰が考えついたんだろう。国を強くするためか、地域を豊かにするためか、選ばれしものになることを強要するなんておかしい。人に勝つことだけ考えて生きていくなんておかしい。リーダーシップ、言葉の響きはいいが、社会を序列化するだけではないか。
 プナンにも長(おさ)がいるようだ、伝統的には、一番陽気な人が長になっていたようだ。最近は、近代的な思考をする長もいるようだ。部族が金銭的に豊かにあることを訴える長も出てきているという。プナンに鬱がはやらないことを祈る。
 食えない人が出ない、先のことなんか考えない、いまが大事という社会は、やってこないのだろうか。
 

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柴田英寿
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