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密度

それなりの田舎に住んでいる。

どれくらいかというと、近所で野生の鹿や熊や猿やホタルが出没するくらい。なので、夏の夜、雨戸を閉めるために窓を開けると、羽虫や蛾なんかが家の中に迷い込む。そんなときは猫たちに見つかる前に、なんとか捕獲して、外へ逃がしてあげるのが常だ。

常なんだけれど、猫もそこまで野性を忘れているわけではない。だいたいわらび(オス10歳)なんかが、僕よりも早く見つけて、追いかけまわすのだ。猫にとっては祭りだけれど、僕にとっては面倒であり、虫にとっては文字通りの地獄である。

僕は、特に親しいわけでもなく、縁もゆかりも義理もない一匹の虫のために、わらびと争うことになる。(虫の)運が良ければ、嫌がるわらびを抱き上げたり、追い払ったりしながら、虫から引き離して、外に逃がしてあげる。運が悪ければ、無残なことになる。

申し訳ない気持ちになるのも、残骸を処理するのも、僕なのだ。理不尽。

……で、だ。
羽虫の寿命がどの程度かは分からないけれど、とりあえずキリのいいところで1日としておこう。
そして猫がその羽虫を見つけて追いかけまわしている時間を30分とする。猫は意外としつこいから。
猫の寿命は、うーん、15年としてみる。もっと長生きしてほしいけれど、まあ、平均的なところで。
僕が嫌がる猫を抱き上げたり、追い払ったりしている時間も30分とする。僕も意外としつこいから。
それでもって、僕の寿命はひとまず75年としておくか。あと27年って……。気が遠くなるけれど、便宜上。

これでいくと、ですよ。
羽虫は一生のうちの48分の1もの時間を、猫に追われていたことになる。僕の一生に換算すると、48分の1というのは、約1.5年だ。つまり、羽虫は人間的時間の感覚で1.5年もの間、地獄を味わったことになる。これは、長い。命からがら逃げ出せたとしても、1.5年も何者かに追われていた過去を持つ羽虫。それはもう結構なストレスで、その後の生活では何らかの支障が出るに違いない。

かわいそうな羽虫。

さて、猫も猫で僕の5倍(75年÷15年=5)の密度の時間を過ごしている。……と、いうことは30分、羽虫を追いかけていたのだから、時間の密度を考慮すると、猫にとっての30分=人間的時間に換算して2時間半もお祭り気分だったことになる。

わっしょい、わっしょい。

そしてそのあと、僕に30分も抱き上げられたり、追い払われたりしているので、これも人間的時間に換算して同じく2時間半も僕に苦痛を与えられているということだ。

祭りからの苦行。

そう考えると、例えば眠っている猫の肉球をプニプニ触って機嫌を損ねたり、エサの時間になっても用事が済むまで待たせたりすることは、僕の感覚の5倍もの時間、猫は苦痛や我慢を味わっているのだ。

そうなのか……。それは、なんだか相当申し訳ない気がしてきた。

抱き上げるのも、肉球を触るのも、エサを待たせるのも、これまでの5分の1になるように努力することにする。


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仁尾智(におさとる)
そんなそんな。