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出世話

きょうは我が家の最初の猫、ミルキーの命日です。某所で書いたエッセイを置いておきます。

その日は、日曜日だった。

僕は、前日の最終の新幹線で、単身赴任先の大阪から神奈川の自宅に帰ってきていた。

妻は、前夜、幹事を務めた小学校時代の同窓会に参加していた。

ミルキー(当時15歳・メス)は、妻が結婚前から飼っていた三毛猫だ。生まれてすぐに捨てられていたのを保護したらしい。
気位が高く、女王様のようだった。甘やかして育てた妻のせいだ、と思う。
結婚してしばらく、僕はミルキーに「いないもの」とされ、完全に無視されていた。妻のひざにしか乗らず、妻にばかりついて回っていた。
時間が経つにつれて、少しずつ心を開いてくれたような気はするけれど、それも「家来」として、みたいな感じだった。

数年前からミルキーの体重が減り始めていた。とても活発で、食欲もあり、調子が悪いようにも見えなかった。
ただ体重だけが減っていて、年齢のせいかと思っていた。念のため、病院で検査を受けてみると「甲状腺機能亢進症」と診断された。
それ以来、2週間に一度程度、通院していて状態は安定していた。

その日も通院日だった。いつも通りの通院日のはずだった。
妻は「昨日はあまり食べなかったのよね」と話していたけれど、僕は「暑さのせいじゃないの?」と、あまり気にもしていなかった。
そんな会話をしてから、妻はミルキーを連れて家を出た。

前日深夜に帰宅したこともあり、僕は疲れていた。リビングのソファベッドでぼんやり寝転んでいた。寝ていたのかもしれない。
1時間半後くらいだろうか。家のドアの鍵が開く音がした。
(あ、帰ってきた)と、思ったけれど、妻がなかなかリビングに姿を現さない。
不審に思って玄関へ行くと、妻が涙ぐみながら「大丈夫、水が抜ければ大丈夫だから」と言い聞かせるようにつぶやいていた。
僕は、何が起こっているのかうまく把握できなかった。
暑い日だった。

妻は病院で聞いたことを、僕に話した。
ミルキーの肺に水がたまっていること、その水が原因で心臓に負担がかかっていること、水を抜くための注射を打ったこと、水が抜ければ持ち直すであろうこと。
僕は内心(なんだ、驚かすなよ。大丈夫なんじゃないか……)と思っていた。この時点では、何ひとつピンと来ていなかった。

ピンと来ていなかったから、前夜入れなかった風呂に入った。ただし、ミルキーの様子は気になったので、風呂のドアは開けたままで。
妻も前夜の同窓会と、病院での出来事でぐったりしていた。僕がさっきまで寝ていたソファベッドに横たわっている。

風呂場からミルキーを気にしていると、ミルキーは少しおぼつかない足取りで、猫用のトイレに向かった。
そして、トイレにたどり着く前に、粗相してしまった。
僕はバカだから、本当にバカだから、それを見て(あ、水が抜けた。よかった)って思ったんだ。本当にバカだ。
その直後、絞り出すような声を出して、それがミルキーの最後の声だった。

そこからの光景は、泣いている自分とは別に、その場を俯瞰していた自分がいたような気がするほど、鮮明に覚えている。
触るとすごく怒っていた尻尾を何度も何度も触ってみたこと、床にたまっていく妻の鼻水と涙、吠えるように泣く僕らを遠巻きに見る他の猫たちの様子。

翌日、大阪へ戻る予定を延期して、ペットの火葬場に行った。
そこで言われた「動物は飼い主を待つんですよ。だから日曜日に亡くなることが多いんです」という言葉は、本当かもしれない。

一応ミルキーに待ってもらえる程度には、飼い主として認めてもらえていたのかな。
無視されていた頃に比べると、ずいぶん出世したな、と思う。

ミルキーはママの味すら知らないで鳴いてた猫に名付けた名前

(了)

#猫 #エッセイ

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仁尾智(におさとる)
そんなそんな。