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コップコップ

猫は、高貴で上品な生き物だ。

振るまいも、時に傲慢に見えることもあるけれど、おおむね奥ゆかしく、つつましやかだ。

そんな猫だから、最終電車でよく見る人間のように突然吐くような下品なことはしない。猫が吐くときには、必ず予備動作がある。ある、というか上品であるがゆえに、きちんと周囲に知らせてくれているのだ。(この辺りでお気づきになる方もおられると思いますが、今回は平たく言うと「猫のゲロ」の話です)

もし猫が、それまでの動作を止め、居住まいを正して、遠い目をしたら、ひとつ目の合図だ。(ときどき本当にただぼんやりしているだけのこともあるから、そのときは「……って、ただぼんやりしてるだけか!」とツッコもう)

そのあと、猫はお腹を波打たせながら「コップコップ」と、不思議なリズムを奏で始める。これが我が家で「コップコップ」と呼んでいる予備動作だ。

使用例:「わー、くうがコップコップし始めた! なにか敷くもの取ってー!」

猫は、我々人間に(もしかしたら床やカーペット、布団を汚さなくて済むかもしれない)という希望と猶予を与えてくださる。その猶予はおおむね無駄となり、洗濯物が増えることがほとんどだけれど、まれにうまい具合にティッシュペーパーや新聞紙などでキャッチできることもある。僕たちは何やらものすごく得した気分になり、「今のはファインプレーだね」と、おたがいを称え合うのだ。美しきゲロ愛。

そんな愛に満ちた夫婦ではあるけれど、しょせん僕たちは低俗な「人間」という生き物だ。

ある朝、妻が僕に向かってボソリとつぶやいた。

「でもさぁ、とっさに起こしちゃうもんだよね」

僕は起き抜けで、何の話かまったく理解できなかった。

「なんのこと?」と聞くと、妻は続ける。

「夜中に起こしたの、覚えてないの?」

ああ、確かになんとなくそんな記憶があるけれど、寝ぼけていてあまり思い出せない。

「なんだっけ?」と聞くと、妻はさらに続ける。

「『いち』があなたの顔を向きながらコップコップし始めたのよ」

もうここからは独り言のように、妻は続けた。

「反射的に起こして、結局マクラに吐いちゃったんだけど、起こさないほうがおもしろかったよね……。だって顔に吐かれることなんて、めったにあることじゃないよ? とっさのことでそこまで考えられなかった」

猫と比べると、人間はなんて醜く下品な生き物なのだろう、という話だ。

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仁尾智(におさとる)
そんなそんな。