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年齢を重ねるということ

私は里帰りした母の実家の佐渡で産まれ、その後 少し大人になるまで新潟で過ごしていました。現在はさらにいい大人となり東京砂漠(とは言え下町なので砂漠、とは言いがたい笑)に住んでいます。    こちらに住んでもう40年近く過ぎたことになりますね。新潟にいたより2倍くらいの人生をこちらで過ごしている事になってしまいました。すっかりいい大人となってしまい 笑 もはや出身地など、どうでもいい感じになってはいますが、今頃になって 子供の頃に食べていた物が(いわゆるソウルフードと呼ばれる)とても食べたくなるのでした。いろんな食べたい物がありますが 特に夏の食べ物が多いでしょうか。祖母が作っていた夏のごはんやおかず。漬け物や、フルーツ。明治生まれの祖母は食後に出すフルーツをいつも水菓子、と呼んでいました。モダンなところのあった祖母は果物でコンポートやフルーツポンチのような物まで作っていました。そんなふうに子供の頃の食にまつわる さまざまな事を思い出すようになっています。 人は年齢を重ねていくと そうなるのでしょうか?それとも私が食いしん坊なだけなのでしょうか??

ほんとうは 土地の物はその場所で食べたいのだけれど それはかなわないので 手に入る場所で購入して自宅で食べています。ありがたい事に私の食べたいものは一部を除いて 御徒町の吉池に売っているので、時々 出向いて好きなものを購入するのが とても楽しみになっています。特に夏に出まわるなす漬けがとてもありがたいです。。水茄子の漬け物。新潟出身じゃない人には たいしておいしくない代物でありましょう。新潟のスーパーにはどこでも売っていますが、こちらのスーパーでは見たこともありません。東京生まれの夫は最初は少しも興味をしめしませんでした。ただ、実家に行くたびに すすめられるままに食べていくうちに 好きになっていった、と話しておりました。今は一緒にいただいています。回を重ねないと良さのわからない食べ物のようです。笑  まあ、ソウルフードなので 私には興味ない事が信じられないわけですが。。子供の頃 祖母は自分で 水茄子を漬けていました。晩年は近所の市場で買ってました。実家の近所の市場で毎朝買っていたことが とても懐かしく感じられます。私の実家の近所の市場では 農家のお母さん方(いやすでにおばあさまでしたね)が家の畑でとれた農協に出さない野菜を持ってきて売っていました。庶民の味方の農家の持ち寄り市場です。茄子漬けは それぞれ農家のお母さま方の手作り茄子漬けで、みんな ご贔屓のお店があるのです。朝なるべく早く行かないと売り切れてしまう事もしばしば。朝7時から10時に行かないと、と思っていました。とうもろこしや枝豆もなくなるので。結局、夏は祖母が好きな枝豆、とうもろこし、ナス漬け、スイカを食べて暮らしていました。スイカはまとめて取り寄せていたようで廊下に10数個ゴロゴロところがされていました。選ぶのは小学生だった私の役目。軽く叩いて決めていました。おかげさまで今もおいしい果物を選ぶのは得意です。笑 夏は毎日それらを食べていました。家事を全て請け負っていた祖母のごはんが子供の頃のソウルフードになってしまっています。働いていた母、家事を請け負っていた祖母、おばあちゃん子だった私。前に書いた母の気持ちを考えるといろいろ複雑ですが、今では それも境遇だから仕方ないんだな、と割り切って考えています。まあ、気を遣ったところで母も祖母も もういないので どうにもならないのですが。。笑 最近は施設暮らしの父に 彼のソウルフードをせっせと差し入れることで 自分の気持ちに折り合いをつけています。とりあえず残された父が亡くなった時に自分が後悔しないように、出来る事は何でもしておこう、と思う今日この頃です。





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