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第2回 仁徳天皇とコノハナサクヤ姫
「日本書紀」によれば、仁徳天皇は聖帝と言われるように、民衆のための政治を行った天皇と称されていますが、「恋多き帝」という別の顔も有りました。
日向国の諸県牛諸井(もろがたのうしもろい)の子で、髪長姫(カミナガヒメ)という美人で誉れ高い娘がいました。彼女は、見初められて仁徳天皇の妃に迎えられます。この髪長姫が、コノハナサクヤ姫のモデルに成ったのではないかと言われています。正妻である、皇后は大和の豪族である葛城(かつらぎ)氏の娘、磐之媛(イワノヒメ)です。彼女は非常に嫉妬深く激しい気性の持ち主だとされています。名前もなんとなく、イワナガ姫に似ていますよね。この時代は亡くなると出生地に戻して、埋葬する習慣があったと言います。女狭穂塚に眠る美女はカミナガヒメなのでしょうか。
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仁徳天皇の実在性については、歴史的な証拠がほとんど有りません。存在が曖昧なため、想像の域を出ませんが、南九州の豪族は盛んに、娘を朝廷に送り出していたのは確かなようです。南九州の日向国と畿内のヤマト政権との交流が、盛であった事が想像できます