verde、 ついにKaze愛を語る(長いよw)
ええ、いつかは語ろうとは思っていたんですよ。
そう、いつかはね。
でもね、好き過ぎるとなかなか言葉にするのが難しく、もっと理解を深めてからにしたいような、時期尚早の感がしてタイミングを決めかねていたというか。
でも、冒頭にあるようにこんな素敵なツーショットを描いて頂いた日にゃあもう、書かずにおれんようになってしもうて。(風愛を語ろうとすると自然と岡山弁になるんじゃわw)
この素敵な絵を描いてくださったのは猫野サラさん。私の大好きなサラさんはみなさんご存知の通り、ここnoteでもその才能を大いに発揮なさっているイラストレーターさんです。
大ファンのサラさんに猫耳アイコンを描いて頂いてずっと愛用させてもらっていたんですが、もうすぐ春だしそういえばヘアスタイルも何年かぶりに変えたし、ここいらで心機一転アイコンを新しくしようと思い立ったのです。
早速スマホで自撮りした写真をサラさんのDMに送り、アイコンに使うイラストをお願いしました。2週間ほど待つつもりで楽しみにしていましたが、お忙しい合間を縫って超絶早い納期で私のDMに送られてきたそのイラストを見て驚愕とともに爆発的に嬉しさが込み上げてきました。その時私はドトールでお昼休憩のランチタイム中でした。画面に現れた新しい「私の顔」はイメージしていたもののはるか上を行く出来栄えで、お目目ぱっちりフェイスラインスッキリの、夢の中に出てくる理想の自画像でした。
ああ、今夜から真面目にお手入れしよう…。マッサージしよう。顔筋鍛えよう。笑顔の練習しよう。。。そんな風に背筋が伸びました。理想の自分の顔を目の前にして、改めて自分を大切にしようと思わせていただきました。ううむ、この何とも表現し難い歓喜と落胆と(ここで鏡を見る勇気はなかったw)戒めにも似た感情は筆舌にし難いものがあります。
そして、その下にもう一つ何やら二人の男女が仲良く並んだイラストが。。。
むむむ!!! こ、こ、これは、、、!!!!!
か、風くん??? もしや、、、藤井風???
ぎゃあぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!
一人、突然ドトールで興奮の坩堝に放り込まれた私は、その時ほどマスクをしていてよかったと思ったことはありませぬ。目と口がこれでもかと開いて、声を出さずに叫んでいました。
ジワジワ涙がこみ上げます。でもメチャクチャ笑顔です。両手でスマホをありがたく握りしめ、ワナワナと震えておりました。
そうです、これは完全にサラさんによるサプライズギフトだったんです。以前より藤井風の大ファンだと公言してやまない私に、サラさんの粋な計らいでこんな嬉しい妄想ツーショットを描いてくださいました!
人間、嬉しすぎると言葉にならないものですね。脳内アドレナリンがダダ漏れになり、満腹中枢が膨満感満貫全席(とにかくお腹いっぱい)で目の前にあるミラノサンドBが全く手につきませんでした。見たくもない。腹いっペーちゃんです!福眼にも程があります。まぁ、落ち着いてからしっかり食べましたけどね。エビとアボカドがおいちかったです。
もうここまでで1000文字オーバー。本題の「風愛を語る」に1ミリも到達していません。
風くんとのツーショットをじっと見つめ、幸せの絶頂の中、あぁこれは書かにゃあいかんな、もういい加減書かにゃあ、これは神様の思し召しだなと観念しました。
風くんとの出会いは意外にもつい最近なのです。藤井風は2019年初春、活動の拠点を生まれ故郷の岡山から東京へと移し、その類い稀なる才能とルックスであっという間に頂点へと上りつめました。もちろんそれまでの彼の努力や地道な活動あっての結果なのですが、いかんせんたったの1年ちょっと前まで岡山の自宅の電子ピアノで弾き語りを毎日のようにYouTubeにコツコツとあげていた少年がなぜこんなにも目覚ましいメジャーデビューを果たしたのか。。。それはもう、彼の持つ音楽的才能やセンスもさることながら、その人間的魅力にほかありません。
実は風くんは私の息子と同い年、1997年生まれ。いま現在23才の若き青年です。その素顔はまだまだ幼さが残り、日本語(バリバリ岡山弁)に英語が時々が入り混じる、しかも日本語なのにその発音は英語訛りというなんとも複雑かつキュートで舌足らずのお喋りは「何なんw⁉️」と思うほど可愛らしくてムズムズしてしまいます。4人兄弟のお兄ちゃんとお姉ちゃんが二人いる末っ子で甘えん坊体質全開です。生まれた時から家族全員の愛情を一身に浴びてきただろうと容易に察しがつく、愛にまみれた人生だったことでしょう。大体、お姉ちゃんがいる男の子は心根が優しく人への当たりが柔らかいと相場は決まっています。いや、勝手に決めます。あ、この子はお姉ちゃんがいるんじゃないかな?と予想がつきます。因みにお姉ちゃんがいるうちの息子もめちゃめちゃ優しいです。
愛情をたっぷり受けて育った子特有の、人懐っこいその気質はダダ漏れに映像に出ちゃっています。私が大好きな別所哲也さんの朝のJ-WAVEラジオを聴いている方にはよくお分かりだと思いますが「風ち〜〜〜ん!かじぇ〜〜〜!!!」と叫ばずにはいられない愛おしさが溢れます。とにかく愛おしい。別所さんはその風愛を持て余しているようです。うんうんわかる。そして毎朝番組で「一日一風(いちにちひとかぜ)」と言って必ず風くんの曲をかけてくださいます。神。
初めて風の音楽に触れたのはラジオでした。「誰だこれ?カッコいいなぁ…」そう思ったのを覚えています。そして初めて風を目にしたのはMVの『帰ろう』でした。このMVを見た時の衝撃は忘れられません。美しいメロディと共に真っ白のラフなコットンシャツを着た風はまるで過去から甦ったイエス・キリストのよう。この世のものとは思えないほど神々しく、一瞬でその画面に釘付けになりました。そして歌詞の内容に引き込まれ、サビの部分の「あぁ〜〜全て忘れて帰ろう〜〜」というところで風自らが押していた、たくさんの荷物を全て捨て去った台車に仰向きに飛び乗るシーンのところで私の涙腺は崩壊しました。号泣です。その曲の世界観に魂を持っていかれてしまいました。
あぁ 全て与えて帰ろう あぁ 何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ 与えられたもの
ありがとうって胸をはろう
待ってるからさ もう帰ろう 幸せ絶えぬ場所 帰ろう
去り際の時に 何が持っていけるの
一つ一つ荷物 手放そう
憎み合いの果てに何が生まれるの
わたし わたしが先に忘れよう
あぁ今日からどう生きてこう
わたしの意思とは関係なくハラハラと溢れる涙を止めることはできませんでした。
なぜこんなにも響いたのかはわかりません。音楽のちからを、風の魂の根源にある愛を確かに感じた瞬間でした。
そしてその瞬間、わたしは一つのnoteを書き上げました。書かずにはおれなかった。この曲を聴いたからこの文章は生まれました。そしてその時ずっと考え中だった企画に投稿しました。嶋津亮太さん主催の「第三回 教養のエチュード賞」です。
それからというもの、風くんのこれまでの人生を貪るように毎日毎日自分の中に取り込んでいきました。風は東京に出てくるまで岡山県里庄町という「なーんもない所で。大人も子供もみんな仲良し、みたいな場所(風談)」で育ちました。小学生の頃の動画投稿ビデオをウルウルと母親の視線で眺め、中学生の頃の映像や写真を我が子のように愛で、高校を卒業してからの各地でのライブ活動の様子を眩しく見つめながら。あぁ、頑張ったね。ここまで来るまでこんなに努力してきたんだね。音楽漬けの人生は他にやりたかった全てを犠牲にして一途に頑張ってきた結果なんだねと涙なくしては見られませんでした。どんどん愛が増していく風への想い。別所さんもラジオで言っていた「この一方通行の片想い」というやつをこの人は老若男女問わずにたくさんの人から受けて今に至るに違いないと思いました。そんなこれまでの風historyをまとめたインタビューVはこちらです。もう皆さんご覧になったことはあるかと思いますが。
そこから風くんの曲を聞くたびに私の目の前に妄想列車がやって来るようになりました。そう、風の歌は「聴き流し」ができないのです。これには参りました。作業のBGMにとAmazonmusicにダウンロードして流していると、目の前に突然到着します。ドアが開いたら乗るしかありません。乗ったが最後、何処へ行くのか行き先は分からない。あとはただひたすら目の前に浮かんでくる文章を乗り遅れないようにタイピングするのに必死です。いつも勝手に連れていかれるものだから、心の準備もなにもない。プロット?そんなものは存在しません。気が付いたら投稿している。そんな掌編を集めたものをマガジンにまとめています。その変態ぶりを、いや、偏愛ぶりをご覧になりたい稀有な方はこちらをどうぞ。
風くんの音楽の素晴らしさを解説するには私には音楽の専門知識がなさすぎるので何も申しますまい。まぁ、観ればわかります。聴けば納得です。風くんはご両親の影響で幼少の頃からクラシック、ポップス、演歌、歌謡曲、洋楽、ジャズとジャンルを問わずに音楽漬けの日々を送ってきました。ピアノとサックスをまるで自分の体の一部のように自在に操り、あらゆるミュージシャンの楽曲を器用に耳コピしてはYouTubeに投稿し続けていました。
おうちのピアノは電子ピアノだったようで、ノリノリで鍵盤をガンガン叩きながら弾く様子はベースやドラムやパーカッションのリズム帯をメロディを弾きながら同時にやっているのがわかります。鍵盤を叩く音さえも演奏の一部なのです。知らぬ間に打鍵が驚くほどに強くなっていたようで、それはクラシックの人が聴くと「そんな雑に弾くなぁ!」といった感想が寄せられたようですが、風いわく「そうせんとこのグルーヴはでんのんじゃ…」だそうです。うん、そうなんだよね。風の演奏はその独特のヴァイブスが彼の全てを物語ります。風の中ではリズムとメロディーの両方を体全体でピアノで表現するのが当たり前のことなのでしょう。
わたし的に風にのめり込む要素としてひとつあげるとすれば、彼の選曲する他のアーティストたちのカバー曲にあります。過去のYouTubeの動画はその宝庫です。
また、風が自ら選曲したカバー数曲は彼のEPアルバムのなかに納められていますが風くんのピアノのみで弾き語りされるそれらの楽曲はまるで元々風くんのオリジナルのようにしか聴こえないのです。それはそれは見事なアレンジ、そして見事なボーカル。これは是非とも聴いてほしいんですよねぇ。ネット配信によるダウンロードサイトのみで聴くことができます。ポチッとな。詳しくはだれでも無料でDLできる藤井風アプリ内をご覧下さい。
風が私の息子と同い年だと考えると余計にその選曲が彼のご両親の趣味によるところも大きいのかなと推測します。本当にたくさんの、時代もジャンルも様々な音楽を聴いてきたのだなと思わせます。私が若い頃にハマったブラックミュージックなどはもうその典型で涙ものです。たまりません。この曲をこんな風に自分のものにしてアレンジも完璧にやってのけるのはどれだけ聞き込んできたのかと言うことがよくわかります。そしてなんならオリジナルよりもずっといいのです。
因みに過去のYouTubeでも観られる曲のなかで私のイチオシはこちら。セクシーな瞳が時々カメラ目線でこちらを射抜く、ヤンチャな風ちん。もう、これこれ、オトナを弄ぶんじゃないよと言わずにはおれません。
完璧な発音で気取って歌ってますが、アメカジ風赤いチェックのシャツの下はなんと高校ジャージ。そう、これは風の定番スタイル。座っていて見えませんが、ネーム刺繍が入った正真正銘のホンモノの高校ジャージ。こういうのもファンにはたまらんのんじゃわ。おうちではいつもこれはいてるのよね。かわいいやつじゃ。歌い終わってビデオを止める直前のちょっとはにかんだ笑顔もこれまたたまらんのんじゃわ!
そしてもうひとつ、彼の魅力の部分で力を入れて語りたいのがそのルックス!神は易々と二物も三物も彼に与えたもうた。しかし「これ、同一人物ですか?」と疑いたくなるほど、その時々によって風は顔が違います。表情がコロコロと変わってどれが本当の彼なのか、その判断はなかなかつきません。MVによっても全く違うしYouTubeも一つ一つ全然違う。特にデビューしてからのその様子は明らかで、時系列がおかしくなる。
最初にニューヨークで撮った『何なんw』はかなり大人の雰囲気でドキドキします。ウェーブヘアにその彫りの深い顔立ちが映えるようなメイクを施してあるようで、非常に美しい。ハッキリと意思の強いオトコマエ顔にうっとりします。初めてのMV撮り。ニューヨークのど真ん中、ベテラン俳優たちや有名なミュージカル俳優に囲まれた状態でも風は全くひけをとりません。とにかくカッコいい!まさに「風ヴァイブス」が吹き荒れています。このMVで風は下記の賞を受賞しました。パチパチパチパチ!
なんつぅ可愛い笑顔なんじゃ。ではそのMVをどうぞ。
ね、違うでしょ?精悍な大人の男でしょ?
そしてまたある時はとても繊細な美しさにドキリとさせられるセクシーな表情を見せてくれるんです。この曲は自分の弱さをさらけ出しながら、人から受けた「優しさ」に思いを馳せる物語り。儚く脆く、危うげな風くんの女性的でもある優しい眼差しや無防備な姿に心がかき乱されます。特筆すべきは途中「あ~ああ~~・・・」と魂の叫びと共に走り出す風の姿と顔のアップが交互に切り替わる場面で見せる時の、アップの色っぽい目元とその下に薄く点在するソバカス・・・
これ、分かる人にしか理解できない「萌えショット」。あのソバカスのセクシーなことよ。あぁ、やべぇ。
よーーく、ごらんあれ。
分かった?ソバカス見つけられた?分かんない?もっかいいってらっしゃい!
かと思いきや、『もうええわ』ではホームレスになります。世捨て人?のような、なにものにも囚われない自由を求めて汚れた渋谷をさ迷う姿に虚しさのようなノスタルジアと危うさが漂います。この世のあらゆる「執着からの解放」をテーマに、最後にはその瞳に希望の光さえ見えてくるようなドラマティックなストーリー展開。ね、来るでしょ?妄想列車が・・・。
こんな風にしてわたしは風にのめり込んでいきました。思えば風に出会ってから、私の世界観は明らかに変わりました。
日毎に愛が溢れてくるのです。そして「生きるとは」という何か哲学的な思いにふける時間がとても増えたように思います。そして「愛する」とは。これはもう人生の一大テーマです。よくよく考えてみると、こんな思考に至ったきっかけは風に出会ってからなのです。
風は先日、人生で初めてのホールツアー『HELP EVER HALL TOUR』を成功させました。このコロナ禍で敢行する勇気は相当なものだったと思います。予定通り、やるのかやらないのか、一発目の武道館ライブは開催決定してから実際に行われるまでハラハラドキドキでした。
もちろん、わたしも行きたかったのですが、スケジュールが合わなかったのと、もしも、もしもその前後に自分がコロナにかかったら、その後のツアーが中断される恐れがある。これはファンにとっても一大決心です。「そんなこと言ってたらキリないじゃんか」と思うでしょ?でもね、日頃わたしは接客業でたくさんの人と関わる生活をしています。もしかしたら既に感染しているかもしれない。だから自信がなかったし、何故か今回は「最後まで風のツアーが敢行され、成功すること」を見届けたかった。もうね、親です。親目線なんですよ。それは愛です。それ以外に言いようがない。
武道館は大成功を収めました。その時のライブビデオが発売されるのを首を長くして待っています。孫です。孫目線です。もうね、ばあちゃんは待ってるよ。可愛い風がたくさんのファンに囲まれて幸せに歌っているところを見せておくれ。
パジャマみたいなゆるゆるファッション、ふわふわヘア、曲ごとに違う表情を見せる可愛い風よ。たくさんのお客さんの前で、人生初の武道館ライヴで歌った気分はどうだったんだい?ばあちゃんに聞かせておくれ。
『優しさ』と『帰ろう』を歌っている時の風は、感極まったようでウルウルしてるね。嬉しかったね。泣いちゃったね。うんうん、よかったね。
風くんの座右の銘は
『 HELP EVER HURT NEVER 』です。
その意味は
『 常に助け、決して傷付けない 』
これは風くんのお父様が常日頃繰り返し仰ってきた言葉。風は小さい頃からこの言葉を心に留めて大切にしてきたそうです。
若干23才にして華々しい活躍と共にこの厳しい状況下において全国ホールツアーを大成功におさめたのは、彼のこれまでの努力や実力、スター性もさることながら、同じ志のもと、風を支えてくれる周りの人たちに恵まれたこともとても大きいでしょう。しかしわたしはそれだけではないような気がします。
風は言います。
「何処におってもしっくりこさせてもろうとんで・・・」
ありがたいと。岡山でも、ニューヨークでも、東京でも。
その時々でたくさんの顔を見せ、真のアーティストとして私たちを楽しませてくれる風ですが、その素顔はきっと何処にいても、誰に対しても同じように、愛を持って心優しくいたいというお父様の言葉を胸に、風自身が人と関わってきたからに違いありません。
彼の生き方の根底にある「愛」が周りの人たちに循環し、共感を呼び、それぞれの中でさらに育まれ、作品へと昇華する。そしてその作品を風のピアノで、風の声に乗せて私達ファンのもとへと届けてくれる。
「 幸せ 」とは。「 愛する 」とは。その答えを探している人は、今この世界に数えきれないほどいることでしょう。
今だから、このコロナ禍だからこそ風は私たちの前に現れたような気がしてなりません。
風は言います。
「 落ち着いて。優しく。そうすればきっと大丈夫。全ては神様からのギフト 」
その作品の中に込められたメッセージ性を以て風の事を神格化したり、「人生何回目?」といった声もよく聞かれますが、決して風は神でもなければ何かの生まれ変わりでもなく、素顔はまだまだ幼さの残る23才の青年です。これまでの人生で彼が関わった人達から受け取ったたくさんの愛と信頼が、彼の中で積み重なり、熟成し、『 藤井風 』という人間性を育んできたのだと思います。
風の人生はまだまだこれから。今後ますますその才能を花開かせて素晴らしい作品を残していくことでしょう。楽しみで仕方がありません。
あぁ 全て与えて帰ろう あぁ 何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ 与えられたもの
ありがとうって胸をはろう
待ってるからさ もう帰ろう 幸せ絶えぬ場所 帰ろう
去り際の時に 何が持っていけるの
一つ一つ荷物 手放そう
憎み合いの果てに何が生まれるの
わたし わたしが先に忘れよう
あぁ今日からどう生きてこう
人生に迷ったとき、そんな風に風の優しい歌がそっと背中を押してくれるような気がします。
自分にとって何が幸せか。
どんな風に生きていきたいか。
皆が心待にしている新しい世界の扉を開き、大切な人たちと笑顔で会えるようになったとき、風の歌はより一層心に響き、幸せをもたらしてくれることと信じます。
そしてわたしはこれからもこの言葉をいつも心に抱きながら生きていこうと思います。
『 HELP EVER HURT NEVER 』
ーENDー
ここまで長い文章にお付き合いくださりありがとうございました。
これからも風愛にまみれながら、行き先の見えない妄想列車を待ちたいと思います!