気持ちを言葉にする
心ない言葉に傷つく人がいる。
そんな時「私は傷ついた」と相手に言える人はそう多くはないのかも知れない。
それでも、その気持ちを一人で抱えているのと、どこかに書いておいたり、誰かに聞いてもらうことは全く違った方向へ心を向かわせる。
どこにも吐き出せずに抱え込んだ黒い言葉はグルグルと身体中を巡り、思考を停止させ、その言葉に囚われている間は心も身体も縮こまって身動きが取れなくなる。最悪の場合、自分が悪いと思い込まされて考え方や行動をコントロールされることもある。
私は正しい。絶対に私は間違っていない。
そう言って、自分の勝手な思い込みで相手の行動を批判し、思惑通りに動かなかった相手を「義理を欠いた」と言って罵り、自分の勝手な行動を正当化する人がいる。
そんな人間からは直ちに距離をおくべきだ。
それは決してわがままでも自分勝手でもない。自己防衛なのだ。
いくら近しい間柄だとしても。例えば、親兄弟など親族だったとしても。いくら「こんなに思ってやったのに」と言われたとしても。
考え方の違いはいつか必ずその関係性に無理が生じる。続けるためにはどちらか一方が我慢をして自分を抑えるしかない。
それでは双方がフェアでいい状態だとは言えない。そしていつか必ずその関係性は崩壊する。
「 私は傷ついた 」
この言葉が言えず、自分が悪いと思い込むことは人格否定と同義であり、自死と同じだ。
無理をした先にあるのは自己の崩壊だ。
自分の人生を歩みたければ声に出して。言葉にして。
そうすれば必ず、賛同の声があるはず。自分の思考が間違っていないとわかると自信を持って前へ進めるはずだ。
コントロールしようとする人間は自分の意思を曲げない。これが正しいと強い言葉で言いきる。その強さに、その言葉に惑わされず、自分の本当に進みたい道を見失わずに、自信を持って、覚悟を持って進んでいこう。
やったことの後悔は日に日に薄れる。思いを新たにし、改善していけばいい。しかし、やらなかったことの後悔は一生残る。
どうしてあの時、思った通りにやらなかったんだろう……。
そう思うことのないように。
時間は限られている。思う存分、自分の人生を生きよう。
気持ちを言葉にすることはとても大切なことだ。
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