人生の景色
人生には何度かの「景色が変わる時」があるように思います。
今年に入り、わたしは今が何度目かの“その時“なんだなと感慨深く感じながら日々を過ごしています。
そのように感じるきっかけとなった一番の出来事は、職場の変化です。
今の会社に入り15年になるのですが、今月末日をもって上司が引退する運びとなりました。
上司というのは、つまりはオーナーのパートナーであり、事実上この会社の“ボス“です。この人無くしてこの会社は成り立たない、という存在でした。
引退の理由は年齢です。もう10年も前から、本人の口からその意向を聞いてはいましたが、言うばかりでちっとも前には進まず、仕事の引き継ぎや後継者を育てるための指南は放棄でした。はっきり言って「辞める気ない」状態でした。その状態で10年、一体いつまで仕事するのかと周りはモヤモヤしていました。
もうすぐオサラバする上司のことを悪くいうのはどうかと思うのですが、いかんせん周りに評判のよろしくない方でしたので、この15年間、わたしは尋常ではない気遣い、気配り、気を回す、気を張る、気を利かす、などなど、お客さまに対しても取引先に対してもスタッフに対しても、そして当人に対しても「気」を酷使してきました。
「気を酷使する」ってなんだかすごい言葉ですね。自分で言ってて引きます。
でも、それ以外に表現のしようがないというかなんというか、本当にいろんな意味で勉強させていただきました。色んな意味で。2回言いますけれど。
反面教師という言葉がぴったりだと思います。
言葉遣いや行動や人に対する気遣いなどなど、ボスを見ていると、こんな言葉は人に言ってはいけないな、とか、こういう態度はとても失礼だな、とか、人が嫌がることや傷つくことを毎日のように目の当たりにするので、そのフォローも含めて「こうはならないようにしよう」と日々勉強できるのです。
もちろんわたしに対しても日々攻撃の刃を向けてきますから、グサグサと心を痛めつけられてヤられることも多々ありましたが、人間は慣れる生き物ですから、そういった理不尽案件に慣れつつも段々と対処法を身につけてきました。
そしていつも心を平和に保つための術として、わたしはある時からボスのことを「小学校5年生の男の子」と思うようにしました。
ボスは女性です。わたしより一回り年上です。しかしながら、わたしの周りにいる一回り年上の女性の知り合いの中には、ボスのような人は一人もいません。その超絶異色の存在はわたしのこれまでの人生においてのさまざまな常識を覆してきました。
そこでわたしは考えました。一回り年上の人生経験を持った女性として対峙してはいけない。この人は男の子。年齢は小学校5年生。そう思えば、不思議とその言動を「仕方がないよね」と許せるようになったのです。
人の心を汲めない。思ったことをそのままストレートに口に出す。好き嫌いを押し付ける。自分の価値観だけで生きている。非常に幼稚でとても狭い視野の人です。(『小学校5年生の男の子』というのは比喩で、実際の小学校5年生の男の子たちはもっと思慮深くて思いやりがあって人間として日々成長過程にある価値ある存在だと思います。あくまでも“幼稚で未熟で視野が狭くて子供っぽい“ということの例えです。そういった相手に対して感情的にならず、大人として大きな心で受け止め、冷静に対応すべきだ、ということが言いたいのでそこんとこよろしくね。)
そういう人は、自分とは異なる他人の意見は聞き入れません。凝り固まった思考回路から抜け出せず、新しいことも受け付けません。アップデート不可能。そういう性格の人だから仕方がありません。
今どきの小学校5年生はどんどん新しいことを吸収して脳内アップデートしていくのにねぇ。。。
いよいよ「引退」が現実味を帯びたのは、自身が体力の限界を自覚し始めたここ1年のことでした。身体はしんどい、けれど運営に口は出したい。まだまだ人に譲ってなるものかといった心情だったと思います。なのでここ1年かけて、周りのスタッフたちと水面下で少しずつ少しずつ、細かいことから決定権をスライドさせてゆく作業を積み重ねてきました。
それこそ最初の頃は「誰が決めていいと言ったんだ?アタシは聞いてない!勝手なことをするな!」と激昂しては暴れていましたが、本当に小さなことから、お伺いを立てながらも現場を切り盛りする主導権はこちらにあるんだと認識させる状態に持っていく作業を、水面下で申し合わせながらコツコツ、コツコツと積んでいきました。これはもう修行以外の何者でもありません。みんなよく頑張ってきたと思います。
「X デー」は今月最終日の31日。
最後の最後まで気は抜けませんが、その日ボスにはサプライズで、みんなで盛大に退任&送別セレモニーを敢行してお見送りしようと思っています。二度と戻っていただかなくていいように。
そして偶然にも今月末日は息子の引っ越しと重なります。
子育ても終了。上司のお守りもこの日で終了するのです。
まさにわたしにとっては「人生の景色」が変わる日となります。
この会社に就職し、離婚してからの生活と重なるこの15年という月日は、ある意味とても長かった。
自分一人の決して多くはない稼ぎで、二人の子供たちとの生活を立てなければならないという責任を背負うことは、そう簡単には仕事を手放すことはできないという“呪縛“でもありました。しかしだからこそ頑張れたし、耐えられたのだと思います。
その日々はわたしにとっては本当に修行でした。
改めてたくさんの徳を積ませていただいたことを感謝したいと思います。
今年に入って見える景色が違ってきました。
それはネガや責務からの解放というだけではなく、今後はこれまで以上に自分の仕事に対しての責任を自身に課すという心理的変化による違いです。
身が引き締まるとともに、自由を存分に味わいながら、信じる方向へと自信を持って進んでゆく所存です。
清々しいことこの上なし。
わたしの目線の先にあるのは、大きく広がる澄んだ青空です。