Any day now / vol.4
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ユウジくんの告白は私には重すぎた。
何と声をかけていいのかさっぱりわからない。
ただ黙って、そのギリギリの精神状態で絞り出すユウジくんの声を受け止めることしかできなかった。
今夜のボルドーはいつもよりもズシリと重い。その豊潤な渋みは、飲み込んだ後もいつまでも喉の奥に絡みついて離れない。この深い味わいを楽しむには、心が軽くなければその主張しすぎる重さを持て余してしまうようだ。
その時、ケータイの着信音が鳴った。
私のケータイではなく、ユウジくんの方だった。
「すみません…」
そう言うと、ユウジくんは自分のケータイ画面を確認した。そしてハッとした表情で私を見つめた。
「・・・あの・・・」
「 トキオね 」
「 はい 」
「 貸してちょうだい 」
ユウジくんは素直に自分のケータイを私に差し出した。
画面に表示されるトキオのアイコン。
いつも自分のケータイで見慣れているはずのそれは、初めて目にする見ず知らずの誰かに見えた。
複雑な心境で通話にスワイプする。
相手の声を待った。
「…ユウジ 今どこにいる?」
「・・・」
「 もしかして… 早紀と一緒か?」
「・・・」
「 おい、どうした? ユウジ、聞こえてる?」
「・・・トキオ 」
次の瞬間、通話は切られた。
私は黙ってケータイをユウジくんに返した。
「 … すみません、何と言っていいのか… 」
私は全てを理解した。
そして自分の今の状況を客観的に把握した。
ユウジくんの目をまともに見ることができない。かける言葉も見つからなかった。
速やかに二人分のチェックを済ませ、そのまま黙って ひとり店を出た。
そこからどうやって自分の部屋まで帰り着いたのか全く覚えていない。
誰にも今の自分の顔を見られたくないのと、明るい場所に行きたくないのと、頭を冷やしてこの状況を整理したいのとで電車にもタクシーにも乗らずに歩いて帰路についた。
混乱していた。動揺していた。悲しいのか辛いのか、愛しいのか憎いのか…。
自分の感情があちこちに揺れ動く。足取りは重く、それでも前へ進まなければと 自分を奮い立たせる。
立ち止まって顔を上げて ひとつ、深呼吸した。
夜空に浮かぶ下弦の月は、満月から新月に向けてこれから少しずつ欠けていく。それはまるで今まで幸せだった私のこれからの姿を象徴しているようで背中にうすら寒さを覚えた。
1時間歩いて、ようやくトキオのいるマンションへ帰ってきた。5年間ふたりで暮らした部屋。そこはいつでも温かく心地いい場所だった。毎晩仕事を終えてここへ帰ってくると愛するトキオがいて、ふたりで過ごす時間は誰にも邪魔されない私の唯一の心安らぐ大切な場所だった。少なくとも昨日までは。
昨日までとは違うそのドアを開けてしまったら、そこから引き返せない運命が待ち受けている。私の力ではどうすることもできない、抗えない現実が待っている。いつもは当たり前に押すドアホンのボタンをなかなか押せない。しばらく佇んでいたが心を決めて鍵を回した。
中に入るとすぐの廊下にトキオが座り込んでいた。
「 トキオ… 」
私の声に過敏に反応したトキオは、ハッと顔を上げてとても怯えた表情をした。
震えているようなその瞳は今まで私が見たことのない知らない顔だった。
「 ユウジくんと話してきたわ 」
「 そう… 」
「 忘れられない人…なのね 」
「 ああ… 」
「 私じゃダメなのかな?」
「 …ごめん。もう自分に嘘をついて生きるのに疲れてしまった 」
「 そっか… 」
「 本当に、ごめん。今まで早紀といられて本当に幸せだった 」
「 やめてよ。そんな言葉は聞きたくない。あなたは自分の心に正直に生きたいんでしょ?」
「 うん…。でも早紀を傷つけてしまうね 」
「 傷つければいいわ。存分に。そうしないとあなたはあなたの人生を生きられない。もうこれ以上自分の心を偽りながら生きてはいけないと気づいたんでしょ? だったら思い切り自分に正直に生きなさい。傷つくのは私の勝手だわ。誰の干渉もうけない。思い切り傷ついて、あなたの決断を受け入れることを選ぶわ 」
一気に言うと、トキオはみるみる顔相を崩した。
「 早紀、ごめん。本当にごめん。俺は早紀といたほうがきっと幸せでいられるんだ。そんなの分かってる。早紀のことは今でも大好きだしこの先もずっと変わらない。 だけど…、だけどあいつをひとりにはできない。あいつのことを理解できるのは俺しかいないんだ。他のやつじゃダメなんだよ。誰でもいいわけじゃないんだ。あいつは俺じゃなきゃダメだし、俺はあいつじゃなきゃ… 」
そう言ってトキオはその場に泣き崩れた。
こんなになるまで…
そんなに思い詰めるまで…
私は5年間、一体トキオの何を見てきたのだろう。
愛する人の心をちゃんと見つめることができていたのだろうか。
そこにあるのは私の幸せであって、トキオの幸せではなかった。
私は、私の気持ちが心地よければそれで満足していた。対面するトキオの気持ちは? 当然私と同じだと思い込んでいた。そう思いたかっただけで、確かめようともしなかった。
何も起こらない、静かに凪いだ海のように穏やかだった日々は、もしかしたらただの幻想だったのかもしれない。こうしてトキオの本心を知ってしまった以上、もう二度とあの優しく心地よい守られた繭の中の世界には戻れないのだと知った。
「 トキオ・・・」
トキオの頬を両手で挟み、顔を上げる。涙でぐしゃぐしゃになったその顔を見て、これまで私に言えなかった苦渋がありありと伝わってきた。
可哀想なトキオ。私のかわいい人。
こんなに苦しむ姿は私の望むことじゃない。お願いだから悲しまないで。
私のあなたへの想いは何一つ変わっていない。これからも私はあなたを愛し続ける。
トキオの唇にそっと触れてみる。そして涙に濡れた睫毛にキスをした。
柔らかな髪に指を滑らせる。フワフワとしたこの感触が大好きだった。ずっと私だけのものだと思っていた。
トキオの震える体を両腕で包み込むと、すがるように私に抱きついてきた。
「 いつでも。私はあなたのことが好き。これからも変わらないよ。あなたが幸せでいてくれないと、私は悲しい。だからもう泣かないで。あなたはあなたの愛を大切にして。私は私の愛を、大切にするから 」
「・・・俺は、早紀のことを幸せにできなかった。わがまま言って本当にごめんなさい。もっと早く気づけばよかったんだ。もっと早く。自分の心に蓋をして、ずっと見ないフリしてきた。でもやっぱりダメだった。このままじゃ俺は早紀のこともあいつのことも失ってしまう。そう思ったらもうこれ以上自分に嘘をつくのはやめにしようと思った。でもこんな風に誰かを傷つけないと生きていけないなんて、俺は、俺は・・・」
「 誰かを好きになることが、他の誰かを傷つけるなんて思わないで。私は、また前へ進めるから。本当は三人で幸せになれたら最高なんだけど。そうもいかないでしょう? だからいつの日か私に好きな人ができたら喜んでね。あなたよりも好きな人が現れたら、あなたとユウジくんに喜んでもらいたいの 」
「 早紀… 」
人の心は他人にはコントロールできない。
私の大切な人が男の人を好きになっても、私がそれを責めることはできない。それは正義でもなんでもない。
私が望むことは、私一人が幸せになることじゃない。
私の好きな人が幸せになることだ。
そこに私がいなかったとしても。
いつでも
私はあなたの幸せを願っている。
今すぐに
その心を解き放って。
全ての縛りから解放されることによって、この心は満たされる。
あなたを想う。あなたの笑顔を見せて。
だから大丈夫。
きっと、幸せになれるよ。
私は中学生の女の子ではないし二人を責めたり貶めたりしたくない。
二人を愛しく想う、一人の人間。ただそれだけだ。
下弦の月はいつかその全てを失って、また新たな新月となって現れる。
その時に見える光景は、きっと何もかもが美しく、新しい世界に違いない。
だからいつでも
あなたを想っている私を思い出して。
サヨナラは言わないでおくわ。
Any day now
幸せになって
あなたをアイシテル 。
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この物語はマガジンで1話から読んでいただけます。よろしければどうぞ🎵
最後までお読み下さった方へ。ありがとうございました。
この小説を書くきっかけとなった映画が2本あります。(下記参照)
どちらも同性愛をテーマにした物語です。
人間には男性と女性しかいません。それは生物学上のはなし。
では心はどうでしょう?
女の心を持った男、男の心を持った女、男を愛した男、女を愛した女、どちらも愛する男、どちらも愛する女。
そこにあるのはただ「愛する心」。それは人として人を愛しく想うことのみ。
なによりもピュアで信じられる心なのではないでしょうか。
私はただ、あなたを愛する。
それだけで十分幸せなのだと思います。
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