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カルマからの気づき? / kikkoさんの記事に見つけた気づきのカケラ✨


今日は仕事がお休みだった。朝はゆっくり起きて、遅めの朝食をとりながらいつものようにTwitterを開いてスクロール。

note仲間のkikkoさんの記事がシェアしてある。早速GO!

kikkoさんはブラジルはサンパウロ在住のnoterさん。私はkikkoさんの文章が好きだ。その暮らしぶりをいつも丁寧に滋味深く書かれていてじっくりと読ませてくれる。

今日のkikkoさんの記事はお子さんたちの「卒業式」に纏わるものだった。日本とは全く違って卒業式の後の真夜中のパーティーはとても華やかでまるで社交会デビューのようでワクワクする。ドレスコードがあるなんて、なんてステキ!プロによるヘアメイクで着飾ったお嬢さんはさぞかし美しく、シンデレラのようだったに違いない。


そして私がとても共感したkikkoさんのエピソードがあった。それは「卒業式で泣いたことがない」というもの。これ、全く私も同じで、それはある意味今日まで自分の中ではわりと深刻な「黒歴史」だったのだ。但し私の場合は「自分の卒業式」に関してのみ。我が子たちのそれに関しては号泣案件だ。これには深いわけがあった。


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小学校の卒業式で泣かなかった女子はクラスで私一人だけだった。12才ともなるとそろそろ男の目を気にするお年頃。女子たちはシクシク、えんえんと可愛く淑やかに泣きながら仲の良い女子同士で抱き合ったりしていた。

それをシレ〜っと冷めた目で見ながら「けっ、男子の目気にしてんじゃねーよ」などと腐女子っぷりを全開にして三白眼になっていると、案の定クラスでも目立つ男子がみんなに聞こえるような大きな声で話かけてきた。

「おい、verdeよぉ、お前だけやん、泣いてないの。なんで泣けへんの?悲しないんか?」

るっせーなぁ。ほっとけや。

「へ?べっつにぃ。だってこのまんまみんなで揃って隣に移動するだけやん」

そう、小学校に隣接するのは春からみんなが通う中学校。今から約40年前の長閑な田舎には中学受験という概念は無かった。みんな揃って仲良く公立小学校から公立中学校へと進学する。


「はぁ〜〜、おまえはホンマに強いのぅ。女子みんな泣いてんでぇ(笑)」

ギャハハと笑いが起きる。小学生男子たちはふざけるのが大好きだ。ましてやしんみりしたこういう状況で笑いを取って目立つのが大阪人の腕の見せ所。一番オイシイ場面でみんなの注目を浴びるのが大好きなヤツばかり。笑わさいでか。大阪人は人を笑わしてナンボ。

「だってホンマのことやもん。ここからお隣へ鞍替えするだけや。なんも悲しいことなんてないわ」


私は子供の頃から人前で泣くことがとても苦手だった。みんなが泣いていると余計に心がシーーーんと凪いでくる。何故だろう。自分でもわからなかった。悲しいというセンサーが私には無いんだろうか。なんでみんなそんなに簡単に泣けるんだろう。泣き方教室があったら是非とも入会したかった。泣けない自分が情けなく、そのことに落ち込んで泣きそうになっていた卒業式。


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昔は子供が多かったので町会ごとに「子供会」というのがあり、親子参加の季節ごとに開催される遠足やお祭りなど、年間を通して盛んに行事があった。そしてその子供会では4年生以上は否応なくほとんど全員参加のソフトボールチームがあった。私はやりたくなかった。どうして休みの日まで拘束されなければいけないのか。私はその頃ピアノや算盤を習っていたので、結構忙しかったのだ。しかし人数がどうしても足りないからと監督自らが家に来て頭を下げられてしまった。そこまでされたら親は無視できない。なにしろ監督は町会長だ。私の気持ちなど無視して「わかりました!やりますやります!」と親は勝手に返事をしてしまった。

腹を括った私は頑張った。しかし想定外だったのは、とりあえず外野でテキトーにしていればいいという人数合わせと思っていたのになんとピッチャーを仰せつかってしまったのだ。なんでやねん!話がちゃうやんか!私はソフトボールのルールなんて知らないのに、知らないまんまに背番号1番のゼッケンを背中に貼っつけられてしまったのだ。

しかしまた想定外だったのは、私の投げる球が私の意思とは全くカンケーなく、勝手にカーブすることだった。監督は喜んだ。ベンチからサインを投げるからカーブとストレートを投げ分けろと命令された。そんなん知らんがな!勝手に曲がるもんをコントロールなんかできへんがな!でも子供には反論は許されない。そしてめんどくさい。勝ちたい意欲も全くないし、とにかく早く終わってくれさえすればよかったので、監督の言うことにはふんふんと頷いてテキトーに合わせることにした。

年に一回行われる大会で、私の投げるカーブはことごとく三振を取りまくり、なんと優勝してしまった。みんな涙を流して喜んでいる。もちろんそこでも泣かなかったのは私一人だ。私のその時の心境はただ一つ、「あぁ、これでやっと終わる」だった。しかし問屋はそう簡単には卸さなかった。なんと優勝チームは市の大会に出場できるという。ヤバい。まだあるんかい。いやだ。。。

泣く泣く出場するとそこでも私の必殺ヒョロヒョロカーブは力を発揮した。なんせ自分でもどこにどう曲がるかなんて分からない。自分で分からないものは他人には到底予測不可能だ。監督さえも惑わす。ある時、監督が出した「ストレート」のサインに私は首を振った。それまで一度も監督に反発なんてしたことなかった従順なピッチャーがだ。監督はベンチで慄いているのがわかった。目ん玉ひん剥いてびっくりしている。めんどくさかった。カーブでもストレートでも、どうでもよかった私は常に首を縦に振って投げていた。しかしその時、風が吹いた。私の汗まみれの顔に、束ねていたロングヘアーの毛先がペタッと貼り付いたのだ。その髪を手で払えばよかったのだが思わず激しく首を振って払おうとした。そう、私はカーブでもストレートでもどっちでもいいし、なんならカーブのサインが出ても頷きながらもコントロールなんてせずに単に放っているだけなのだから。曲がるも曲がらないのも手放した球次第。答えは球に聞いとくれ、だ。

髪の毛を振り払おうと首を激しく振った私に怪訝な顔をしながら、監督は今度は「カーブ」のサインを出した。私はパニクった。どっちやねん!さっきはストレートやったやん。まあええわ。どっちでも知らんわ。戸惑いながらヤケクソに投げたボールは見事に大きなカーブを描いてキャッチャーミットに収まった。

アウトーーー!!」・・・三振や。

監督は大喜びだ。ベンチに戻ると私の肩をバシバシ叩いて喜んだ。

「おまえ、すごいなぁ!なんで分かったん?あのバッターがおまえのカーブ打たれへんの」

知らんがな

へへへと笑って誤魔化した。はよ終わって〜、とひたすら念じながら。

私の念力は通じず、スイスイと勝ち進んでとうとう決勝戦まで来てしまった。あぁ、めんどくさすぎる。帰りたい。ピアノの発表会がもうすぐあるのに。練習せんなあかんのに。


頭ん中は空っぽにして心ここにあらずで無心で投げた。考えたらそこまで行ったことが奇跡なのだ。ルールも知らないピッチャーのチームが、市の大会で優勝なんてしちゃいかんのだ。案の定、その試合で我がチームは負けた。それでも準優勝だ。私にしたら快挙だ。なんでこんな所にいるんだろう?ぐらいのアウェイ感でよくここまで来たと自分で自分を褒めたい気持ちでいっぱいだった。そしてなにはともあれ「これでやっと解放される!」という爽快感でいっぱいだった。

しかし。

周りのチームメンバーはじめ、監督、保護者まで全員が泣いている。悔し泣きだ。号泣している人もいる。

むむむ。。。

あの時ほど、バツの悪い思いをしたことはなかった。


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今朝のkikkoさんの記事を読んだ後、そういえば私も昔っからみんなが泣く場面で泣けなかったなぁ、と思い出し、一体それは何故だろうとしばらく思考を巡らした。そしてある結論に至った。

私は子供の頃からあらゆる「」にはめられるのが大嫌いだった。手枷足枷をはめられるような感覚になると閉じ込められたような気持ちになって「ギャア〜〜」と叫んでぶっ壊したくなる。でも子供の頃は自分の考えなどをうまく周りの大人に伝えることができず、そこから逃げ出すことは考えにも及ばなかった。黙って従うことが当たり前の生活は「我慢していること」さえも気づかない。とても不自由で自分の気持ちなどはどこにも反映されない生活。それがデフォルトなら別に毎日の生活はどうということもなく過ぎて行くのだ。

しかしながら、その枠が取っ払われた瞬間というのは反動で非等に清々しい開放感を味わう。子供心に「卒業式」や「試合終了」はその代表格の出来事だったのだろう。だから私は泣けなかったんだ。「悲しい」や「寂しい」や「悔しい」などのみんなの感情とは正反対の「嬉しい」や「楽しい」や「自由だ」という気持ち。なんとも歪なその感情こそ、私がこの人生でテーマにしていることそのものではないか。


前世でどんなカルマを背負って生まれてきたのかは知らないが、私の今生の生きるテーマは「縛りからの解放」だと思っている。自分の人生を生きる上で最も大切にしている「」と「自由」。この歳になってようやくたどり着いた生き方の指針はどうやら子供の頃から無自覚にもちゃんと根底に備わっていたようだ。


今朝のkikkoさんの記事が閃きのきっかけでした。kikkoさん、このCHEMISTRYがあなたの書いた文章によって起こりました。何だか楽しいですね。長い人生、どこに気づきのカケラが転がっているか分からない。今日は気づかせてくださってどうもありがとうございました!


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