名前という運命共同体
私は自分の名前が嫌いだ。
理由はよくわからない。なんとなく好きじゃない。
“自分の名前が嫌い“なんて、つけてくれた人に対する恩も忘れて罰当たりな、と思われるかもしれないが、嫌いなんだからしょうがない。
本来、人道的に考えれば、自分の名前というものを特別な意味をもって大切にするものなのだろう。
一般的には親につけてもらうのだろうから、親が子を思う気持ちを込めてつけられる。その思いを子はありがたく受け取り、名前に込められた親の愛情を感じ取って一生大事にしていくものなのだろう。
私は両親にとっての三番目の子供として生まれた。
特に母親は待望の男子を待ち望んでいたらしい。そこには少なからず、昔の日本の考え方として、長男の嫁の立場からくるプレッシャーのようなものもあったに違いない。
先に生まれた二人は女の子だった。
母は私がお腹に宿った時、どうか今度こそ男の子でありますようにと祈っただろろう。昔のことだから今のように超音波で早いうちから性別を知ることもなかった時代の話だ。生まれてきて初めて、子の性別を知る。もし早い段階で私が女だとわかっていたら、私はこの世に誕生していなかった可能性もなきにしもあらず。
当時関西に住んでいた両親。母は私を九州の実家に帰って産んだ。二人の娘を連れての里帰り出産だ。
ある日、母が出産間近の大きなお腹を抱えて、実家の二階で用事をしていると、下の階から長女の姉が叫んだ。
「おかぁさ〜〜ん!!○○子が!!!○○子がぁ〜〜〜!!!」
と、次女である妹の名前をこの世の終わりともとれるような悲痛な叫び声で。
次女は当時2歳にも満たない幼児。母は何か危険な目にあったのか(例えば食べているものを喉につまらせたとか、汲み取り式の便所に落ちたとか)と驚き、大慌てで階段を駆け降りようとした。
そして悲劇は起きた。
階段の一番上から下まで、大ゴケして尻と腰を強打し転がり落ちたのだった。
出産間近のことである。
その時、お腹の中で私はグルングルンと転がったに違いない。
その後間も無くお産が始まって、短時間で生まれたから命が助かったものの、私の首には臍の緒がしっかりと巻き付いていて窒息状態、首から上に血が通わず、真っ黒な顔で生まれてきたらしい。赤ん坊らしくオギャアとも泣かずに、真っ赤に血走る目で、無言で睨みつける阿修羅の如き生まれたての我が子を見てギョッとしたと言っていた(そんなこと本人に向かって平気で言う母もどうかと思うが)。もし難産で時間がかかっていたら確実に死んでいたと、産婆さんが言っていたらしい。
無事に生まれたものの、母の気持ちは穏やかではなかった。
なぜならまた女の子だったからだ。
母は私が生まれたことを、なんと一週間も関西にいる夫に告げることができないでいた(昔話とて、それを本人の私に言うのもどうかと思うが。母はどうかと思うことがちょいちょいある人なのである。そしてその遺伝子を私は確実に受け継いでいる)。
まだ生まれないのかと痺れを切らした父が九州の母の実家に電話をした。実は一週間前に生まれたけどまた女だったから言えなかった、と聞いた父は「無事に健康ならどっちでもいい」と流石に怒ったらしいけど。そりゃそうでしょ。でも言えなかった母の気持ちも、昔の嫁の立場としてはわからなくもない。
私の名付け親は母方の祖父だ。
目の前で生まれた三番目の孫娘は、たとえ阿修羅の如き形相であってもさぞかし可愛かったろう。
おじいちゃんはどんな感情をもって私の名前を考えてくれたのだろうと想像するとありがたくて仕方ない。
そう、私は九州のおじいちゃんが大好きだ。そしておばあちゃんも大好き。
二人ともとても穏やかな人で、いつもニコニコと笑っていた印象がある。
どんな家庭にも何かしらの問題や、外からは窺い知れないやんごとなき事情というものがあろうけれど、私にとってはとても平和でのんびりとした家庭だったと記憶している。私が高校生の頃まで毎年のように夏休みは九州の母の実家で過ごした。あの時の平和な暮らしは今でも私の心の拠り所となっている。
おじいちゃんに直接聞いたわけではないからわからないけれど、母曰く、「なんか、皇族の人の名前にあやかったみたいよ」と言っていた。
読み方はどこにでもある名前なのだけれど、漢字が珍しいといえば珍しいかもしれない。この漢字を使うこの名前の人に、これまでの人生で2回ぐらいしか会ったことがない。とてもクラシカルでオーセンティックといえば聞こえはいいが、要するに古臭い名前だ(おじいちゃんごめんなさい)。今の時代にはまずいないかもしれない。おばあさん代表、みたいな名前。言い過ぎか。
一般的にミチコさんを「みっちゃん」と言うように、私も王道の愛称で人に呼ばれる。それはそれで親しみがあって嬉しいのだけれど、いかんせん古臭い名前はどうも好きにはなれず、私の感覚と乖離している。もっとモダンでシュッとした名前がよかった。なんて思春期の頃はずっと思っていた。
この名前がよかったな、という女の子の名前が私の中には昔からあって、娘にその名前をつけた。私の思い入れ。強い思い入れはきっと娘を守ってくれていると信じている。つけた方からしたら、お守りを授けるような感覚だ。
あ、そうか。今やっと気づいた。
おじいちゃんは瀕死の状態で生まれてきた三番目の孫娘に、少しでも尊くありがたい名前をつけることでお守りを持たせてくれたのかもしれない。苦しみながら生まれてきたんだから、今後は苦労なく大切に育てられますようにと。
あぁ、おじいちゃん。おじいちゃんおじいちゃん。
ありがとうおじいちゃん。
その思いはありがたく受け取ります。今頃遅いけど。
人生の残り時間もそろそろ計算できる年になって、名前のありがたみを噛み締める。おじいちゃんの思いとは裏腹に、私のこれまでの人生は波瀾万丈な上、苦労だらけではあったけれど。これも私が自分の名前を好きではなかったという罰当たりな思いが招いたカルマだと言えなくもない。
名前って不思議だ。
自分の意思とは全く関係なく与えられる、一生を共にする自分を表すもの。それは私という人間にとって、なくてはならない唯一無二のもので、私という存在そのもの。
ここnoteでは「Verde」という自分の意思でつけた名前で生きているからある意味非常に愛着があって、note仲間からはこの名前でしか呼ばれないから本当の私の名前よりもすんなり受け入れられる自分がいる。
仕事では苗字や役職で呼ばれるし、下の名前で呼ばれることってほぼない。
考えてみたら本当にない。夫も恋人もいないので、呼ばれるような関係の人は親きょうだいと親戚とほんの一握りの昔からの友人だけだ。
名前って不思議だ。
好きじゃないからと無意識下で遠ざけていた自分の名前のことをこんなふうに考えると、ありがたかったり愛着がなかったりととても不思議だけれど、それでも一生私からは離れないものなのだ。
死んだら戒名というものを授かるらしい(いらないという人が増えていると聞きます)が、その時初めて自分の名前が私という存在と共にこの世から消える。
そうか、名前っていつか消えるのか。私と共に。運命共同体なんだ。
そう思うと、以前より少し愛着が湧いてきたように感じる。
大切にしないといけませんね。
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