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「感情」がおわるとき / #磨け感情解像度

「感情の記憶のはじまり」はいつからなのだろう。赤ちゃんが泣くのは悲しいからではなくお腹がすいた状況を母親に知らせるため、だとするとその「お腹がすいた」という感情があってのことだし、いやそれは感情ではなく感覚だろうと言われれば感覚も感じることを自覚することなのだからやはりそこには「不快だ」ということを自覚して訴えたいという感情があってのことではないのかと思うと頭が混乱してくる。

小さい頃の感情の記憶を遡ってみると、一番最初にハッキリと記憶にあるのはベビーカーに乗せられて電車に乗った時のこと。遥か上の方から大人たちが覗き込んできてめちゃくちゃ恐かった。でも何故か「ここで泣いたらアカン」という空気を読んでひたすら恐怖に耐えた。母親はベビーカーの後ろ側に立っているので顔が見えない。なので余計に不安が募ってパニック寸前だった…。

しかしこれはもしかしたら夢の記憶かもしれない。もう少し大きくなってから見た夢の中の出来事を鮮明に覚えていて、それを赤ちゃんの頃の記憶にすり替えているだけなのかもしれない。そう考えると「感情の記憶のはじまり」は自分ではよく分からない。

では、「感情の記憶のおわり」というのはどうなのだろう。

そんなものはない。人間は死ぬまで感情を持ち続ける。なんなら死んでからもずっと霊(たましい)は残るのだからそこには感情も存在するのだと言われるかもしれない。が、それって自分ではまだ経験してないから何とも言えなくないだろうか?「死んでみたけど死ぬ直前まで感情の記憶は変わらずあったよ」という話は聞いたことがないし、誰も経験していないことを他人に断言されてもなんだか腑に落ちない。

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私の仕事は接客業。住宅街の中にある路面の服屋だ。オープンしてから35年が経つ店で私は10年前からここに勤めている。

お店はオープン当初からの顧客様がほとんどなのだが、40~50代だった方々は今や70~80代になっておられる。私が入ってからの10年で5人の方々が亡くなられた。そして今現在施設などに入られた方は数知れず。人生の終盤のときを経年で何人も見てきている。

御年86才になるケイさんはまだ幼さが残る10代半ば過ぎに東北地方から集団就職で東京に出てきた。日本橋にある老舗の割烹料理屋で住み込みで働き、その店の板前さんと結婚して念願の自分たちの店を持った。店を3店舗まで増やし、何人も人を雇って旦那さんと二人三脚でずっと働き続けてきた。

十数年前に旦那さんが亡くなったあとは息子があとを継ぎ、三店舗あった店のうち二店舗を閉めて残った一つの店を親子で守ってきた。息子が板前として腕をふるい、ケイさんは味噌汁や自家製の漬物、小鉢などの簡単な料理と接客や配膳を担当していた。ほんの1年前まで現役で働き続けた。

うちの店に通ってくださるようになったのはケイさんのお店が最盛期の頃、バブル景気で高級なモノが沢山売れ、日本全体が活気に満ち溢れていた頃に遡る。それから35年という長い年月の間、とても贔屓にしてくださった。この店との付き合いは私よりもずっと先輩なのだ。

ケイさんのお店の定休日には必ずといっていいほど遊びに来てくださり、自身もお店の経営者という同じ目線で必ずお金を落としてくださった。「服が欲しい」ということとは別に、この店の繁盛と存続を慮ってくださる心遣いは本当に有り難かった。そして働きづめのケイさんにとって、この店は週に一度の憩いの場であり、ストレス解消の時間だった。

一年ほど前から膝や肩の痛みが酷くなり、いよいよケイさんは現役を引退することとなった。あとは悠々自適に楽しく余生を過ごせば良いだけだ。

週3回はデイホームへ行ってお喋りやレクリエーションに興じて楽しく過ごし、週1回うちの店へ来てのお喋りとお買い物は変わらず続いていた。

そんなケイさんの様子が少し変わってきたのはここ半年ほど。お喋りしていてもいつも同じ話題にたどり着く。息子とそのお嫁さんとの確執。二人してケイさんの荷物を片せ(始末しろ)と言う。いわゆる「終活」というやつだ。お買い物大好きなケイさんは気に入って買ったものをとても大切にする。長年買いだめた洋服は居住空間を圧迫しているという。お嫁さんは見るに見かねてケイさんの荷物を片っ端から捨て始めた。そしてある日息子が店にやってきた。

「とにかく物凄い量の洋服があるからもうこれ以上売らないでくれ」と言う。

そして「本人は呆けてるから分かってないんだ。これ以上売ったら訴える」と。

訴えるって、どこへ?ケイさんは呆けてないよ。でもその時は息子の言うことを受け入れるしかなかった。事を大きくしてケイさんがここへ来れなくなったらかわいそうだ。

家族の気持ちはなんとなく分かる。母親が騙されて高い洋服を売り付けられてるんじゃないかと思ってるのだろう。

とりあえず、分かりましたと言って事情を汲むことにした。

後日来店したケイさんはいつものように楽しくお喋りして歓談したあと、今の時期に着られる七分袖のカットソーが欲しいと仰った。

息子から売らないでと言われてる手前、去年の今頃買ったものはどうしたのか聞いてみると、お嫁さんが段ボールに詰め込んで出せないという。どこに何が入ってるのか分からないし、肩や腕が痛くて段ボールを動かして開けたり中身を探したりできないと。季節が変わって今すぐ着られるものが手元にないのだと言う。

それは困ったね、じゃあとりあえずデイホーム用のものをと見繕った。そして、もう古くなって痛んだものやサイズが変わって着られないものはどんどん処分したほうがいいよとやんわりとアドバイスした。ケイさんは昔からお洒落でお洋服が大好き。とても気に入って買ったものたちを簡単には捨てられないという。気持ちは分かるがもう着られないような洋服たちが暮らしを圧迫するようでは本末転倒。スッキリすれば気分も上がるし持っている服も分かりやすく管理しやすい旨を説明するとようやく納得してくれた。

いつものようにタクシーを呼び、杖をつきながら痛い膝を庇うようにして帰途につかれたが、迎車のタクシーを店の前で待つあいだ中、私の手をしっかりと繋いで離さない。ぎゅっと握ったその掌の力に私はケイさんが何か言いたいことがあるように思えた。

「また来てね。待ってるから。」

そう言うとケイさんは

「うん、ありがとね。また来週来るから。」

そう言ってタクシーが来るまでずっと私の手を離さなかった。

次の日、すごい剣幕で息子から抗議の電話があった。

「売らないでくれって言っただろ!なんでだよ!」

「今すぐ着られるものが段ボールから出せないと仰ったんです。」

「そんなの嘘だよ!もう頭が呆けて何を言っても分からないんだ!話してもムダ!理解できないから」

そんなわけない。ケイさんはとてもしっかりした会話ができて、お金の計算もきちんとしている。会話が成り立たないのはあなたにケイさんの気持ちを理解しようとする心がないからだよ。そう言いたかった。しかし立場上、心の中で抗議することしかできなかった。

「感情」はその思いを誰かに伝えたい気持ちがなくなるとどんどん薄れていくのかもしれない。

理解されないと感じると、その相手には心の扉を閉じてしまう。どんどん無表情になって喜怒哀楽を出さなくなっていく。受け取ってくれる人がいないからだ。

感情を受け取れる人になりたい。

そして私も感情が出せる人になりたい。

私も以前、感情を思うように出せずに、関係性が拗れたことがある。それは親族間や夫婦間というとても近い間柄でのこと。近いからこそ、自分の感情の出し方が分からなくなり、全く伝わらなくなってしまった。

ケイさんが伝えたかった感情を、私は繋いだ掌に強く感じた。

甘えたい、頼りたい、話したい、理解されたい…

それを言葉に出して身近な人に伝えられたら…。

ケイさんは家に帰ると、きっと無表情に暮らしているのだろうと想像する。感情を出せる相手がいないのだ。そうしていくうちにどんどん忘れていくのだろう。笑うこと、怒ること、悲しむこと、辛いこと…。

そして心の中にその感情を閉じ込めているうちに消えて無くなってゆく。感情が麻痺してゆく。そうすることで自分の身を守る。ストレスで身体の健康を蝕まれないために。

「感情がおわるとき」とは自分の気持ちを伝える相手がいなくなったときなのかもしれない。それは決して年齢とは関係ない。楽しいことや嬉しいこと、悲しいことや辛いことを喜怒哀楽を出して分かち合える人が普段の生活のなかにいなくなると、感情を出すことを少しずつ忘れていくのではないかと思う。

感情を出すには「出せる環境」「出せる自由」が必要だ。それを自覚しているかどうかで大きく変わる。人生の終盤に感情を出すことを忘れていかないように、うちのお客様にはせめてお店に訪れたときは思いっきり喋って思いっきり笑ってもらえるよう、今日も感情豊かに接客したいと思う。

手を握りたいという感情を素直に出せるような、握られた手をしっかりと握り返して、気が済むまで握り続けてあげられるような。いつでも受け入れ態勢万全でいたいと思う。感情は人として生きるための一番大切な意識だから。

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「感情」という言葉をどう捉え、どう表現するかを考えたとき、人の「感情」そのものをどのように扱うべきか、どんな風に大切にしていきたいか、それは人と人とのコミュニケーションの中に重要なカギがあるのではないかと思いました。それはどのように人と接し、自分がどんな人生を歩みたいかという、生き方そのものを考えるきっかけになりました。

illyさんのこちらの企画に参加しました。

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