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その空の向こう側へ #リライト

大杉隼平さんの空の写真が好きだ。

その空には彼独自の光と影がある。

美しいだけではない、明るいだけではない、青いだけではないその深く憂いを帯びた空は私がこれまで他には見たことがない世界。

まるで中世ヨーロッパの宮廷絵画のような色使い。白、青、群青、オレンジ、赤、茶色、黒…。様々な色たちが自己主張するようにうねり、微睡む。

鋭い光のコントラストの対象にあるのはどこまでも沈んだ、暗くて怯えにも似た影。

それは私の感情の誰にも見せない幾重にも重なる襞の奥深い部分を揺さぶる。



昨年の4月に神宮前のギャラリーで開かれた個展を見に行った。

その前の年の2月、隼平さんの父親である、俳優の大杉漣さんが急逝された。

以前からTwitterやInstagramで隼平さんの作品を拝見していて、その独自の世界観に魅せられいつか東京で個展が開かれたら必ず行こうと決めていた。


その日は春の終わりの晴天に恵まれた雲一つない快晴の空だった。久しぶりに訪れた原宿。駅から通り沿いのショップを横目に散策しながら緩やかな下りの表参道を歩く。

鮮やかなブルーのロングシャツを薄いカットソーの上からコートがわりに羽織ってきたが、4月下旬の春の風は思いの外冷たくて軽装で来たことを一人後悔した。

華やかな春の色が溢れるウインドウショッピングを楽しむつもりがとんでもない。道幅いっぱいに人、人、人…。

インバウンド効果の外国人観光客や関西方面から来た賑やかな旅行者たちでなかなか思うように前へ進まない。自分のペースで歩けないもどかしさに少しイライラしながらようやくラフォーレまでたどり着いた。


信号を左に折れ主流から外れると少し歩きやすくなった。それでも明治通り沿いのファッションビルやタピオカショップに目的がある若者や旅行者たちでごった返してまだまだスムーズには進めない。

その先にあるBEAMSを過ぎるとやっと人混みから解放される。歩道橋の階段を上がって視界が広がると、思わず空を見上げて大きく深呼吸した。やれやれ…。


ギャラリーは歩道橋を渡ったすぐのところにあった。

明治通りに面した広い間口と横長の壁は全面ガラス張り。その透明で明るい光が中から客人を優しく手招いているように見えた。とてもオープンな雰囲気でそこに入る前から心が踊る。

一歩中に入ると壁面の目線の高さに、行儀よく横一列に写真が展示されている。その一つ一つに短いメッセージのようなタイトルが記されていた。


「あなたが見ている景色」
「見えるものの裏側にはいつも支えてくれている人がいる」
「雨の中。ゆっくりと歩いた。いつかのように。」
「見る前に飛べ」
「挑戦し続けたい」
「大切な人はすぐ側にいる」


その言葉は、まるで亡くなったお父様の大杉漣さんから息子である隼平さんへのメッセージのようでもあるし、隼平さん自身が自分を鼓舞するための心叫びのようでもある。


私は隼平さんの空の写真が大好きなのだが、この個展ではストーリー性のあるリアルな人物写真が沢山展示されていた。

その写真たちは、武骨とも言える飾り気のない見るからに手造りと分かる木枠のフレームに縁取られている。それはなんとも味わい深く、まるで一枚一枚の写真を大事に抱き抱えているように見えた。そこにあるのは確かに「愛」だった。


木枠のフレームは父親である大杉漣さんの作品だった。

以前、テレビの番組でその造る様子を拝見しことがあったので「ああ、これがそうなのか」と写真を見るのと同じ位の時間をかけて一つずつ木のフレームを鑑賞した。素晴らしかった。親として子供の成長と活躍を期待する、祈りにも似た感情が静かに伝わってきた。その想いに思わず感極まってしまった。写真もさることながら、フレームに感動するなんてことはこれまで一度もなかったことだ。


写真は隼平さんが旅をしながら出逢った人たちにその都度「写真を撮らせてもらえますか?」と伺って、了承を得てしばらく対話をしてから撮影されたそうだ。


対話は人を一歩深く踏み込んでその人を知る作業だ。

写真はその人の暮らしや今ここにいる現状の心の中の瞬間を切り取る。

言葉を交わした上でカメラを向けるのと、通りすがりにいきなりシャッターを切るのとではその被写体は全く別の顔を見せる。

隼平さんの人物写真にはドラマがある。

こちらを見据えるような瞳は今にもその心情を語り出しそうだ。

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ソファーに身体を重ねるように並んで腕を組み、朗らかな笑い声が聴こえてきそうな老夫婦。

着古した作業着にカンナで削った木屑にまみれて爽やかに微笑みかける木工職人。

会えない誰かを想い切ない表情で夜空を仰ぎ見る若い男。

夕暮れのビーチに座って太陽が沈む様子を言葉もなく見届ける熟年夫婦はこれまで過ごした年月を遥か彼方の海原の向こうに想いを馳せるように同じ方向を見つめている。

誰もいない薄暗い教会の礼拝堂に一人、シワの深く刻まれた手と手を口許で合わせて無表情に床を見つめる老婆は神に何を祈るのか。

今日は特別な日なのだろう、千鳥格子のベストの胸元に誰かのために買った真っ赤なバラを一輪挿し、引き締まった笑顔でカメラを見つめるハンチング帽の男の目は希望と幸せに満ちている。

夜の路上で黒いコートに身を包んだ若い女は、いつものようにタバコを燻らせながらこちらの様子をまるで品定めするかのようにして白い煙を吐く。



一つ一つの写真から物語が聴こえてくる。対話のあとの撮影は、被写体の緊張や不安を解き、全くの見ず知らずの他人の関係から一つ進んだ安心感の他に、この撮影のあと、もう少し自分の話を聞いて欲しそうな表情にも見える。

隼平さんの人物写真に不思議な温かさを感じるのは、きっとその撮影前の少しの対話にカギがあるのではないかと思った。


「今」を生きる。その人々を写真に撮る。

過去を想いながら。未来を信じながら。

その胸の内側に様々な思いを込めて。


大杉隼平さんは30代半ば過ぎの爽やかな好青年だ。まだまだこの先の長い人生に夢と希望を描く年代だ。しかしその目は遥か遠く異国に暮らす人々の、心に抱える哀しみや移ろいゆく時の流れに逆らえない哀愁のような心の叫びをはっきりと捉えて作品に写し込むことができる。

それはもしかすると志半ばにしてこの世を突然去られた父親に対する愛情と哀しみが、カメラを構えた時により一層彼の感情の襞を揺さぶるからなのかもしれない。



横に並んだ写真の始まりの部分の壁に、この個展の開催にあたり彼自身の思いを言葉にしたメッセージが掲げてあった。

それは亡くなったお父様への感謝の思いを丁寧に綴ったものだった。

きっとまだ心の整理がついていないのだろうと思う。

当たり前にあったはずの日常がいかに大切で儚いものだったか。

伝えたかった言葉もたくさんあっただろう。

それらの想いを作品に込めて、現実に見えるものの向こう側を撮りたいという気持ちが熱く伝わってきた。そしてこれからの彼の作品がとても楽しみになった。


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写真集とポストカードを買ったら、表紙にサインしてくださった。そしてギャラリーを出るとき、わざわざ外まで見送りに出て丁寧に挨拶してくださった。真摯で真面目なその人となりを垣間見て、初めて会ったその青年のこれまでの成長過程に想いを馳せた。きっとご両親に愛情深く育ててもらわれたのだろうと容易に想像できた。

心に響く写真を撮る、素敵なアーティストに出逢えた。今日はとてもいい日だった。


* ***** *


大杉隼平さんの情報はTwitterやInstagramで見ることができます。




*この文章は2019年4月に神宮前のギャラリーで開催された個展を観に行ったあと、すぐに書いた記事のリライトです。

まだnoteを始めて間もない頃に書いたその記事は余りにも拙く、恥ずかしい代物でここに並べることは控えます。

今年に入り、件の流行り病のせいでなかなか思うように活動が出来なかったことと思われますが、ようやくこの秋には大杉隼平さんの個展がここ東京でも開かれるので今から心待ちにしています。

#リライト #大杉隼平 #写真展
















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