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人生の分岐点 (番外編) / #分岐点話

人間、半世紀も生きてると分岐点の二つや三つは誰にでもあるだろう。

はて、私のこれまでの人生の分岐点はというと…。

ありすぎてワケがわからない。まずは人生一番最初の分岐点と思えるところから書くとしようか。

高校1年の時の夏休みのバイト。生まれて初めてのアルバイト。時給500円時代。一人ではなにかと不安なお年頃、夏休みに入る前に友達数人で集団バイトできるところがある!と仲間の一人が言い出した。

そこは街中から遠く離れた田舎の石鹸工場。

石鹸工場?どんなのか想像がつかない。とりあえずみんなで行けば怖くない!と、面接もなにもない「来るもの拒まず」状態の会社というか工場へレッツらゴー!

ところでみなさん、「ああ野麦峠」っていう映画知ってますか?詳しくはこちらをどうぞ

そこはまるでその映画の世界だった…。

何台も並ぶベルトコンベアーの両側にズラ~~っと並ぶ女工さんたち。

遥か彼方のベルトコンベアーの果てから工場のおじさんが大量にバケツで運んできた出来立てホヤホヤの熱いお湯にまみれた化粧石鹸がドリャアーーーーッ!とぶちまけられる。

それを女工さん達が手に持ったタオルに1つ取り、サササッと手慣れた技でお湯を拭き取ってまたベルトコンベアーにポイッと放り投げる。

ああ野麦峠。

どんだけっちゅうくらい流れてくる化粧石鹸。そしてキョーレツな香料の臭い。

熱湯の湯気で工場内はむせ返るような暑さと蒸気、だだっ広い工場は冷房なんてほとんど効いてないも同然。汗だくになりながらその脳天をつんざくような臭いに意識は朦朧。もう無理…耐えられない…前世で何か悪いことしましたか私達…。周りを見回すと黙々と下を向きながら慣れた作業に顔色一つ変えない女工さんたちはよく見るとほとんど私達の親ぐらいの年齢のベテラン女優たちだった。化粧石鹸がお蚕さんに見えてくる…。

半透明のその物体はドギツい赤や紫色で中心部には薔薇のモチーフが彫り込まれている。一体どこで誰が使うのやら。安っぽい香料がプンプン臭って頭がガンガン痛くなってくる。

フラフラになりながら午前中いっぱいはなんとか苦行に耐えた。ベテラン女優(女工)さんたちは休憩室でお昼ご飯の時間だ。私達は仲間で休憩室のはじっこに集まってお弁当を食べる。

「臭いが気持ち悪くて吐きそうなんだけど」

「帰りたい…」

「あたしも帰りたい…」

「あたしも…」

「… 」

みんなで目を合わせて意見は一致した。

逃げよう。

今から思えば別に逃げなくてもいいんだけれど。普通に「やってみたけれど無理そうなので辞めます。」と言えば多分むこうは「去るもの追わず」だったはず。しかしそこは頭がまだ子供脳の高校1年女子たち。

『 イヤだ = 逃げる 』という胆略的思考回路。

そこからの逃亡劇が凄まじかった。

工場の敷地は広く、建物から出入口までかなりの距離がある。出入口には高さ3メートルはある(感覚的には10メートル位に思えた)鉄柵のフェンスでガッチリカギがかかっている。まるで刑務所だ。その鉄柵の出入口を監視するように建物の上階には見張り塔のようになっていて常に誰かが監視している。一体何を監視しているのやら。

建物の影から私達は一斉に鉄柵に向かってダッシュした!外は雨が降っている…。

見張り塔の中の監視員に望遠鏡で私達を見つけられたら一貫の終わりだ。撃ち殺されるか捕らえられて二度とシャバには出られない終身刑が待っている。

それ!走れ!力の限り走り抜け!!!

鉄柵にたどり着いた者から死に物狂いで10メートル(実際には3メートル)の結界を登り始めた。

ここはショーシャンク。なんとしてもこの鉄柵の向こう側にある自由を掴むんだ!さあ登れ!登れ!後ろを振り向くなーーー!

背の小さい者から順に、一人ずつ肩で足場を作ってお尻を押してやる。早くしろ!とっとと登れ!モタモタすんなーーーっっっ!

雨が容赦なく叩きつける。鉄柵を登る手が滑ってなかなか上に上がれない。焦れば焦るほど、後ろから来る監視員が銃と手錠を持って追いかけて来るような錯覚に陥る。

なんとかかんとかそのそびえ立つ鉄柵を乗り越えてようやく私たちは脱獄に成功した。

死ぬかと思った…。

そのあと私達はダルい身体を引きずって冷房の効いた茶店(サテン)へ移動し、アイスコーヒーを飲みながら心ゆくまでダベっていた。

「あ~~あ、せっかく稼げると思ったのに。長い夏休みこれからどーすんの?」

グズグズとダベり続ける仲間を尻目に、私はこうしちゃおれんとその足で最寄りの駅近くのS百貨店のレストラン街へ職探しに行った。こうなったら飛び込みで雇ってもらうしかない。この夏休み、しっかり稼いで欲しかったブランドの洋服を絶対買うと決めていたんだ。思い立ったら即行動。性格はその頃から変わっていない。

その店は夜の8:00以降はバーになるオシャレなレストランだった。高校生だから8:00までならいいよと言われてすぐに決まった。

その店で働いていた大学生のお兄さんが私の初恋の人だ。

私は半年前まで中学生だったのだから、いきなり大人の扉を開いてしまった衝撃と『ああ野麦峠』とのギャップで夏休み中クラクラしながら恋と初めての仕事の楽しさに、完全に頭の中に花が咲いていた。

そのお兄さんにはたくさんの音楽を教えてもらった。ブラックミュージックにハマったのはお兄さんの影響だ。パティー・オースティンのアルバムを貸してもらって初めて聴いたときは衝撃だった。あれから35年。いまだにパティーの大ファンで、大人になってから念願のBLUE NOTEのライヴでステージかぶりつきのテーブルを陣取り握手したことは忘れられない。

↑その時お兄さんに貸してもらったパティー・オースティンのLPレコード。ここから私のブラックミュージック愛は始まる。PATTI・AUSTIN『Every Home Should Have One』

ひと月バッチリ働いて稼いだお金は10万円だった。その店の時給は確か600円位だったと思うから、本当によく働いた。そしてその10万円で憧れのブランド服を買いに走った。そこから私のファッション愛は始まる。

↑80年代はデザイナーズブランド全盛期で日本のアパレル業界は勢いに乗りまくっていた。高校卒業と同時にアパレルの世界に入った私はいまだに足を洗えていない。ファッションは私の一部。最早アイデンティティと言ってもいい。

大人の階段を初めて上った思い出。たくさんのキラキラした経験は今でも宝物のように胸の中にある。因みにお兄さんとは何の進展もなく、公私ともにひたすら妹のように可愛がってもらった。お兄さんにとったら16才の私はお子ちゃま過ぎたのだろう。ちょっと私は不満だった。

あのままあの鉄柵の中でひと夏を過ごしていたら、今の私は無いかもしんない。大袈裟かもしれないけれど、多感な年頃の一生に一度しかない貴重なひと夏の経験は大人になった今では決して味わえない特別なexperience✨

これは間違いなく子供から大人への分かれ道の記録。

あの鉄柵こそが…。

          

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たなかともこさんの企画に参加しようと書きましたが、今朝ほど主旨の変更がありましたので、先に書いたこの記事は番外編として投稿します。( 既に先ほど趣旨に沿った記事を投稿しました。)

人生にはたくさんの分かれ道があります。

その後、後悔しても失敗しても私は『アリ』だと思います。

何故ならそれは自分で選択した道だから。

誰のせいでもなく、そこからまた顔を上げて歩き出すということを自分で選択をすればいいのだと思います。

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