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本能の防御センサー

人には皆「本能の防御センサー」が備わっていると思っている。

人付き合いをしている中で、仲良しだと思っている人とのちょっとした違和感、ほんの一瞬の意識の齟齬、「あれ?こんなこと言うんだ」「え?そんなことするの?」「あ、その感覚は違うかも」などと感じることがある。

人間はそれぞれ考え方も感じ方も違って当たり前なのだからそれは当然のことで、「まぁ、そんなこともあるよね」とスルーするのが人間関係を円滑にするための術なのだけれど。


「いい人だな」「好きだな」と感じるからその次の段階へと進むのが世の常人の常。最初から嫌だと感じる人には誘われても断る(私の場合)。そして例えばSNSで知り合った相手だと、何度かテキストでやりとりしたり、ZOOMで顔を見て会話したりオフ会で対面したりと、段階を踏んで関係性は進んでいく(私の場合)。

そんな中、その過程で、時々感じる「あれ?」という感覚。これが全くない人は、問題なくそのままスムーズに発展していくのだが、ちょいちょい「あれ?」がある人とは、その後必ず破綻することがデフォルトとなっている(当社比)。

この感覚はとても繊細で本当に僅かなズレのようなものだから気づかないことがたくさんあるのだけれど、最終的に破綻した後でよくよく考えてみると、このちょいちょいあった「あれ?」が必ずあちこちに潜んでいたことに気づく。それは多分、無意識下のことでその時は「あ」ぐらいの違和感なのだろう。「そう言えばあの時、ちょっと引っ掛かったんだよな」とか「あの言葉(または表情)が気になったんだよな」とか「あの時私の言葉を上の空に聞いていたように感じたのはそういうことだったのか」みたいな、本当に気を付けていないとスルーしてしまうような小さな小さな歪み。

それを私は「本能の防御センサー」と呼んでいる。

そうは言っても人それぞれ、調子のいい時もあれば機嫌の悪い時もある。いつもいつも同じテンションで「いい人」でいられるわけがない。私だってそうだ。虫のいどころが悪い時は、口調も攻撃的になるし性格も荒ぶる。

そうではない。そういったあらゆる条件によって日々変化する表面的なことではなくて、その人の本質の部分がちょいちょい顔を出す時、このセンサーがビビビッと働く。

「いや、誰でもそのセンサー持ってるやろ。大人なんだからそこんところは上手く忖度して無意識に選んでるよ」というそこのあなた。そうなんです。でもね、私は素直で正直なので、来るもの拒まずなところがあり、誰も皆一様に受け入れ態勢万全、という無防備なアホでして。

とは言え、今は開けっぱなしのこんな私でも若い頃は全く正反対だった。ものすごく疑り深い性格で、人見知り。簡単には人を寄せ付けないところがあったと思う。
「バリア張ってる。隙がない」とよく言われた。傷つけたくないし傷つけられたくないという防御本能がとても強かった。しかしながら寄る年波、子育てや離婚を経験し、幾多の荒波を乗り越えてきた今となっては「人間みな愛しい」という境地に至っていることが、このセンサーを鈍らせているのは残念ながら認めざるを得ない。隙だらけ。脇が甘い。まぁまぁええやないか、皆がんばってるんやし。皆ええ子やん、という感じ。

若い頃の必要以上に高く分厚かったブロック塀が、本当はそれを乗り越えるかブチ壊すことで得られたはずのステキな出会いや深め合えたはずの人間関係を自ら希薄なものにしていたという後悔の念が、極端な形で今現在の「来るもの拒まず態勢」に影響を及ぼしていることは否めない。

まあ、取って食われるわけじゃなしと基本的には能天気なのと、「してしまったことに対する後悔は日毎に薄れるけれど、やらなかったことの後悔は日毎に募る」という自分の中の格言めいたものが、今の私の人との関わり方にも表れているのだと思う。チャンスを逃したくない、視野を広げたいという思いが、もともと好奇心の強い性格を更に助長させているのかもしれない。

若い頃には絶対近寄らなかった苦手意識の強い人に対して、今現在の私は平気で話しかけたりする。もちろん年齢と共に人としての経験値が高くなるにつれ、苦手意識も薄らいだということもあるが、その壁を乗り越えた先にあった出会いの素晴らしさに何度もいい経験を積んでこられたからだ。「食わず嫌いを克服したら、あらこんなに美味しかったのね!」という感動はアハ体験にも似た素晴らしさがある。開眼だし、目から鱗だし、違う景色が眼前に一気に広がるような感覚とでも言おうか。とにかく自分で自分を褒めたくなる瞬間でもある。


だがしかし、である。そんな中でも前述の「あれ?」である。そのセンサーが働くとき、それまでの付き合いの過程があるため、ついつい見逃してしまうのだ。2、3回は自分でも気づかないフリ。そうこうしているうちに、何かしらの決定打が待ち受けている。あぁ、そうきたか、やはり、そうでしたか、えぇえぇ、以前からちょいちょい気づいてましたけどもね、である。

それでもべつに取って食われるわけではないのだが、やはり残念無念の極みであることには変わりない。そんな時は「なぜあの時気づかなかったんだ!何度繰り返せば気が済むんだ?」と自暴自棄になることもあるが、凹んでいても仕方がないので、潔くスパッと切ることにしている。そこで私がああでもない、こうもないとコネクリ回したところで、もう何も変わりはしないのだ。なぜならそれがその人の本質だから。あとは私自身が受け入れるか否か、だけである。


この年になると人間関係も無理はよくない。疲労困憊してまで付き合うのは身体がもたない。防御センサーに素直に従って、その事実を受け入れ、自分の中で決断を下すのみ。心を平和に保つことだけを考える。

無意識下で本能的に働く防御センサーを見くびってはいけない。それはきっと、自分の目指す在り方や哲学に忠実に生きるために、とても必要で大切な「お導き」の役割を果たしていると言えよう。


あなたの「本能の防御センサー」は稼働していますか?その存在に気づいていますか?無視していたらきっと後で痛い目に会いますよ。まぁそれも人生経験、全てはお勉強とも言えるのですがね。平穏な毎日の中にも、新しい扉を開ける楽しみを持ち続けるには、是非このセンサーを働かせることに意識を向けていきたいと思うのであります。

自戒を込めて。


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