椅子が好き 2/8 アーツ・アンド・クラフト運動からアールヌーボーの椅子
世界の近代名作椅子を訪ねて 長尾重武
椅子は小さな建築である。これまで、すでに出版したものについて論じてきたが、今回は、まだ出版前の構想に基づいて書いている。「椅子が好き」は モダン名作椅子を巡る旅である。近代運動やアヴァンギャルドが生み出した20世紀の椅子を、時代別、国別に展開する。(写真は武蔵野美術大学美術館・図書館蔵)
アーツ・アンド・クラフト運動
イギリスはヴィクトリア時代、産業革命が進み、大量生産で安価な粗悪品が溢れていた。ウイリアム・モリス(1834-96)はこうした状況を批判して、中世の手仕事に還り、生活と芸術の統一を主張。モリス商会を設立し、書籍の出版やインテリア製品(壁紙や家具、ステンドグラス)などを制作した。モリス商会の商品は手仕事による生産のため高価なものになり、富裕層に受け入れられて、一般大衆の手には届かなくなった。しかし、生活と芸術を統一しようとするモリスの考えは、広く受け入れられ、各国にアーツアンドクラフツ運動が展開され、それがきっかけで、アールヌーボー、ウイーン分離派、ユーゲントシュティ―ルなど、多くの芸術運動が起こり、影響を与えた。
モリス商会の椅子として人気があったのは、サセックスチェア、サセックスコーナーチェア、モリスチェアなど。
後にアーツ・アンド・クラフツ運動の提唱者となるチャールズ・ヴォイジー(1857-1941)は、ヴィクトリア朝様式の粗悪で過剰な装飾が施されたオブジェが生産されたのは、機械そのものではなく、製造業者による機械の不適切な使用が原因だとか考えた。彼は、機械が適切に使用されれば、リーズナブルなコストで高品質の製品を提供できると主張した。ヴォイジーはこうしたな家具を製作したが、それが英国で全面的に受け入れられることはなかった。
アールヌーボーの椅子たち
アーツ・アンド・クラフツ運動は矛盾を内包しながらも、デザイン改革に関する議論を広げ、広くアールヌーボー芸術運動に取り入れられた。
スコットランドのグラスゴーは造船業で栄えていた。そこに生まれたチャールズ・レニー・マッキントッシュ(1868-1928)は、16歳で建築家ジョン・ハッチントンの事務所に入り、グラスゴー美術学校の夜間部に通って、アートとデザインを学んだ。そこで、後にマーガレット・マクドナルド、その妹フランセス、ハーバード・マックニーと出遭い、四人組を結成。イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動の分派で、素材への真摯な向き合い方や明快な構造など、多くの原則を共有しながらも、異なる形式を採用していた。
マッキントッシュのキャリアの後半にデザインした抽象化された幾何学的で細長い椅子は、大陸で大きな影響力を持ち、展示されて大喝采を浴びます。主に三次元的な空間の実験であり、その不気味な外観から、マッキントッシュとその支持者たちは「不気味な一派」と呼ばれた。それとも、地名からググラスゴー派と呼ばれた。
マッキントッシュの有名な椅子を三つだけ取り上げよう。アーガイルストリートチェア(1897)、ヒルハウス・ラダーチェア(1902)、ウイロウ1(1903)。
建築からインテリア、家具までトータルにデザインする手法を身につけたマッキントッシュは、1903年にグラスゴーに完成したウィロー・ティールームをオープンした。この店は街の中心部にあり、白が基調の空間に独特のシルエットをそなえた数種類の椅子が置かれた。カッシーナが復刻している「ウィロー1」は、店の支配人が座るひときわアイコニックな椅子で、半円筒状の背もたれに柳(ウィロー)を思わせるパターンが施され、シートの下にはメニューが収納できる。
アール・ヌーヴォーはフランス語で「新しい芸術」である。その様式の特徴は、植物などの有機的なモチーフに由来し、曲線を多く用いる優美な装飾性にある。エミール・ガレ(1846-1904)はガラス工芸家として有名だが、家具デザインも手掛け、植物文様を取り入れています。またルイ・マジョレル(1859-1926)は家具作家として、フォートイユ(肘掛け椅子)をいくつかデザインし、植物紋や曲線を取り入れています。パリの地下鉄入口で有名なエクトル・ギマール(1867-1942)、ウジューヌ・ガイヤール(1862-1933)も滑らかな曲線をモチーフに椅子をデザインした。建築家のヴィクトール・オルタ(1861-1947)にはブリュッセルのオテル・ソルヴェイの椅子がある。ベルギーのアンリ・ヴァンデ・ヴェルデ(1863-1957)の椅子もユックルの自宅で使用していた椅子などがある。
ウイーン分離派(ゼツエッション)はオーストリアのウイーンでオットー・ワグナー(1841-1918)によって歴史様式建築から離脱し分離するために開始され、この著名な建築家は彼の郵便貯金局のために椅子やスツールも設計した(1904,1905年)。
ヨーゼフ・ホフマンをはじめとするウィーン工房(1903年設立、1932年解散)のデザイナーたち(コロマン・モーザー、実業家のフリッツ・ヴェルンドルファー他)も、正方形や長方形のモチーフで貫かれた幾何学的なフォルムを多用した。1908年頃のヨーゼフ・ホフマンの「ジッツマシーネ」に見られるような、直線的な平面への形の抽象化は、アールヌーボーのデザインとはまた違ったテイストを提案し、後のデザイナー、特にへリット・リートフェルトにも影響を与えた。
ヨーゼフ・ホフマン リクライニングチェア:「座る機械」1908
ウィーンにあった療養施設サナトリウム・プルカースドルフのために
ホフマンもメンバーであったドイツ・ベルクブンド(ドイツ工作連盟)は過剰な装飾を伴うアール・ヌーボー様式の後進性に反対して1907年に結成された。このグループのメンバーは、より有意義なデザイン様式を推進するため、「芸術家、実業家、職人が力を合わせて工業製品を改良する」ことを強く求めた。
1908年、このグループのメンバーであったアドルフ・ロースは、「装飾と犯罪」と題する重要な論文を発表し、過剰な装飾は社会を萎縮させ、ひいては犯罪につながると主張した。その後1924年、ヴェルクブントは『装飾と犯罪』を出版。「装飾のない形」と題し、機能のみを追求した工業デザインの良さをイラストで示した。そこには、機能のみを重視した工業デザインの良さがイラストで紹介。
このロースもまた、自分で設計したカフェ、カフェ・ムゼウムのために椅子をデザインした。
ヨーゼフ・マリア・オルブリッヒ(1867-1908)はワグナーの弟子でウイーン・ゼツェッションの中心メンバーの建築家であり、「分離派館」、「ダルムシュタット芸術家村」を設計し、フリードマン邸のために肘掛け椅子とサイドチェアを設計した。
コロマン・モーザー(1888-1918)は幅広いデザイナーとして活躍し、ブルカースドルフのサナトリウムの「肘掛け椅子」が有名です。徹底的に正方形、白、黒を使い直線的な椅子が仕上がった。
ウイーン分離派の活動は、ドイツのベルリン、ミュンヘンにおける世紀末芸術運動ユーゲント・シュティ―ル(青春様式)、雑誌「ユーゲント」に拠った幅広い分野の運動と呼応し、ペーター・ベーレンス、フランツ・フォン・シュトック、ヘルマン・オブリスト、アウグスト・エンデル、アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデが集結した。
同様にイタリアでもスティル・リベルティ(自由様式)が展開され、スペインでは「モデルニスモ」、とりわけアントニオ・ガウディ(1852-1926)が突出した活動をする。スペインのバルセロナに建つサグラダ・ファミリアはカトリック教会、1882年に着工し、その翌年からガウディが設計を引き受け、なんと2024年現在も建設中のガウディ未完の作品として知られています。バルセロナとその近郊にあるほかのガウディの作品とともに、2005年「アントニ=ガウディの作品群」として世界遺産(文化遺産)に登録されました。その中には、いくつもの椅子が注目される。「カサカルベット・アームチェア」、「ガウリーノ・チェア」、「夫婦の椅子」など、ガウディ建築を思わせる。
最後に、アーツアンドクラフツ運動は新大陸にも渡り、さまざまに展開し、フランク・ロイド・ライトの建築や家具もまた独特ですが、シンプルで直線的な幾何学に基づいたものでした。
ダウィン・D.マーチン卿のためにデザインされたウィングプレットがオリジナル作品で、バレル/樽という名の通り、丸い座面を囲む形に背もたれとアームがデザインされました。素材を生かしたボリュームのあるデザインが、彼のデザインの中でも人気が高い。
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