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椅子が好き 4/8 北欧の椅子

世界の近代名作椅子を訪ねて   長尾重武
椅子は小さな建築である。これまで、すでに出版したものについて論じてきたが、今回は、まだ出版前の構想に基づいて書いている。「椅子が好き」は モダン名作椅子を巡る旅である。近代運動やアヴァンギャルドが生み出した20世紀の椅子を、時代別、国別に展開する。(写真は武蔵野美術大学美術館・図書館蔵)

北欧の椅子

北欧と言えば、ヨーロッパの最も北部、森林と湖の国、冬が長く雪に閉じ込められる風土の国々、フィンランド、ノルウエ―、スウエーデン、デンマークの四国。モダニズムはこの地でも展開するが、一歩遅れる。北欧ではバウハウスのデザイナーたちとは異なり、歴史的な遺産とは決別することなく、それらを学び活かす雰囲気があり、また天然木や有機的な素材の使用を重視したことが特筆される。

スウエーデン

北欧の椅子デザインと言えば、まずスウェーデンの建築家エリック・グンナー・アスプルンド(1885-1940)が最初に思い浮かびます。森の礼拝堂」、「火葬場」、「ストックホルム市立図書館」など建築の傑作で有名です。彼は建築とともにそのための椅子をデザインし、名作椅子を残しています。新古典主義の建築から出発したアスプルンドですが、次第にモダンデザインへと移行します。たとえば1925年のパリ博のスウェーデン館を設計し、「セナ・ラウンジチェア」をデザインしました。若いアアルトもヤコブセンもアスプルンドを訪ねています。

エリック・グンナー・アスプルンド「ヨーテボリ庁舎の裁判所」の椅子

フィンランド

フィンランドにアルヴァ・アアルト(Hugo Henrik Alvar Aalto 1898-1976)が登場し、幅広い建築設計とデザイン活動をする。ヘルシンキ工科大学で建築を学び、当初は展示デザイナーとして働き、1923年に建築、1925年に家具デザインを開始、1928年に国際現代建築会議(CIAM)のメンバーとなり、北欧を代表する国際的なモダン建築家になった。1929年、オットー・コルホネンとトゥルクに合板の実験工房を設立。1935年、ハリー&マリー・グルリクセン夫妻と家具デザイン会社アルテック社を設立し、今日なおそれは健在である。

アアルトはカティレバー椅子を集成材で実現することに成功、さすが、木の国らしい。実は日本でも、素材に竹を使ったものが試みられた。

アルヴァア・アアルト「カティレバー椅子」集成材で実現

曲げ木の「パイミオチェア」1931/32でモダンチェアの歴史に大きく貢献した。座面や背もたれのスクロールなど、しなやかな表現が評価された。北欧を代表するやさしく、手触りのよい合理主義は、1930年代から1940年代にかけて、アメリカやイギリスで好評を博すことになる。1957年には、アアルトは王立英国建築家協会(RIBA)からゴールドメダルを授与された。

アルヴァア・アアルト「パイミオチェア」1931/32
アルヴァア・アアルト「ウイーブリー図書館の椅子」1935 
アアルト ファンレッグススツール 1954

エーロ・アールニオ(Eero Aarnio、1932-) ヘルシンキに生まれ、1957年にヘルシンキ工業芸術大学を卒業。1962年にデザイン事務所を設立し、インテリア・インダストリアルデザイナーとして活躍。「ボウル・オア・グローブ・チェア」1932が有名で、1967年、「パスティリチェア」でアメリカ・インダストリアル・デザイン賞を受賞。

エーロ・アルニオ「パスティリチェア」1967
エーロ・アルニオ「グローブ」1963

デンマーク

北欧きってのデザイン王国と言えばデンマークだ。デンマークデザインを有名にしたのは、間違いなアルネ ヤコブセン(Arne Jacobusen 1909-71)である。69年の人生で自国の伝統と現代の機能性を融合させ、歴史に残る名作を数多く手がけました。また建築家としても輝かしい実績を残し、1960年に竣工したデンマークのSAS ロイヤルホテル(現ラディソンブルロイヤルホテル)では、「エッグチェア」「ドロップチェア」、照明「AJ ロイヤル」など、ホテルに置かれる家具や照明、ドアノブやカトラリーもデザイン。トータルでデザインにあたるのは、まさに彼の真骨頂といえるでしょう。
 コペンハーゲンに生まれたアルネ・ヤコブセンは、当初石工の修業を積んだ後、コペンハーゲンの王立デンマーク芸術アカデミーで建築を学び、1927年に卒業。1927年から1930年まで、ポール・ホルソーの建築事務所で働く。1930年に自身の設計事務所を設立し、1971年に亡くなるまで所長を務め、建築家、インテリアデザイナー、家具デザイナー、テキスタイルデザイナー、陶磁器デザイナーとして独立。1956年以降はコペンハーゲン王立芸術アカデミーで建築学の教授を務めた。

アルネ・ヤコブセン「アントチェア」1952
アルネ・ヤコブセン「セブンチェア」1955
アルネ・ヤコブセン「エッグチェア」1958
アルネ・ヤコブセン「スワンチエア」1958

コーレ・クリント(Kaare Klinnt )
1914年にフォーボー美術館の椅子をデザインし、一躍その名が世に知られることになったコーア・クリント。デンマーク王立芸術アカデミーにて家具科の開設に尽力し、主任教授として活躍。ポール・ケアホルムやボーエ・モーエンセンなどが彼のもとで学んだ。彼の作品「ペンダント 101」は、1943年に兄が設立したレ・クリント社で今も製造・販売されました。「フォーボーチェア」もまた好評を博した。

コーレ・クリント「フオーボーチェア」1914
コーレ・クリント「サファリチェア」アームチェアとオットマン 1933

フィン・ユール(Fin Juhl 1912-1989) デンマーク デンマークのコペンハーゲン近郊フレデリクスベアに生まれ。若い頃は美術史家を志していたが、父親の反対から王立芸術アカデミー建築科に進学する。在学中からヴィルヘルム・ラウリッツェンの建築事務所で働き始めます。1937年、25歳のときに家具職人組合の展示会に初出品。家具職人ニールス・ヴォッダーとの協力関係のもと、1940年代には「イージーチェア No.45」、「チーフテンチェア」など、代表作となる椅子をデザインしました。1950年代はアメリカへと活動の場を広げ、国連本部ビルの信託統治理事会議場のインテリアと家具デザインを手掛けるなど、国際的に名を広めていった。

フィン・ユール「イージーチェア No.45」1945
フィン・ユール「チーフテンチェア」1949

ボーエ・モーエンセン(Borge Mogensen)
「シンプルかつ実用的な家具を適正な価格で提供する」をモットーとしたボーエ・モーエンセン。20歳で家具職人として活動を始め、その後デンマーク王立芸術アカデミーでコーア・クリントのもとでデザインを学びました。FDB(デンマーク協同組合連合会)のチーフデザイナーを経て、1955年からはフレデリシア社のアンドレアス・グラヴァセンと協働。暮らしを豊かに彩る家具を作り続けました。「J39 シェーカーチェア」が有名です。

ボーエ・モーエンセン「シェーカーチェアJ39」1956
ボーエ・モーエンセン スパニッシュチェア 1959

ハンス・ウェグナー (Hans Wegner 1914-2007)
生涯で500脚以上デザインし「椅子の巨匠」として知られるハンス・J. ウェグナー。家具職人のもとで修業した経歴を持ち、木材の特性を知り尽くした彼は、優美なフォルムと座り心地のよさを兼ね備えた、デンマークデザインの可能性を生涯追求し続けた。

アルネ・ヤコブセンの事務所に勤めた後、1943年には自身の事務所を開設。翌年より中国の明代の椅子に着想を得た「チャイナチェア」のシリーズに着手した。

1946年から1953年までコペンハーゲン美術工芸学校で教鞭をとる。1938年から1942年まで、アルネ・ヤコブセンとエリック・モラーの建築事務所で家具デザイナーとして働く。1943年、ゲントフテに自身の事務所を構え、1946年にコペンハーゲンで開催されたキャビネットメーカー展で展示されたアパートのデザインで、ボルゲ・モーエンセンと協力した。長いキャリアの中で、ヨハネス・ハンセンやフリッツ・ハンセンの家具を幅広くデザインしている。1959年には、ロンドンの王立芸術協会からインダストライの名誉ロイヤル・デザイナーに任命された。

1960年からはPPモブラー社の創設者のひとりでデンマークを代表する優れた家具職人、アイナー・ペダーセンとの協働をスタート。ザ・チェアと呼ばれる「PP503」をはじめ数々の名作を手がけ、2007年に亡くなるまで交流は続いた。同い年で同時期に活躍したボーエ・モーエンセンとは親友で、ともに影響を与え合う仲であった。

ハンス・J. ウェグナー「チャイニーズチェア」1943
ハンス・J. ウェグナー「HWロッキングチェア」1944
ハンス・J. ウェグナー「ザ・チェア」1949
ハンス・J. ウェグナー「Yチェア」1950

このYチェアは私にとって、ウエグナーの最も好きな椅子だ。背もたれを支える不思議な曲線の脚がなかなかいい。このような曲線をした脚を建築家がなかなか思いつくものではないと感じる。家具職人のもとで修業した経歴が、そうさせたに違いない、と思う。、ザ・チェアの背もたれもそうだ。

以上みてきて明らかなように、ハンス・J. ウェグナーは、リデザインの名手であった。明時代の椅子、ウインザー椅子、などからリデザインした様子がうかがい知ることができる。

ヴェルナー・パントン Verner Panton 1926- デンマーク
コペンハーゲンのデンマーク王立芸術アカデミーで学び、アルネ・ヤコブセンの建築事務所で働く。1955年に自身のデザイン事務所を設立し、1960年に初のプラスチック射出成形「パントンチェア」チェアをデザイン。スタッキング可能である。また「ワイヤーコーンチェア」が有名。

ヴェルナー・パントン「パントンチェア」1960
ヴェルナー・パントン「ワイヤーコーンチェア」1960

ポウル・ケアホルム Poul Kjaerholn 1929- デンマーク
オスター・ブラ生まれ。コペンハーゲンの美術工芸学校で学び、1952年から1956年まで同校で教鞭をとる。1955年から1976年まで、コペンハーゲンのデンマーク王立芸術アカデミーでも教鞭をとる。独立後は、フリッツ・ハンセンやE・コールド・クリステンセンなどのデザインに携わる。1957年と1960年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを、1958年にはルニング賞を受賞。「No.PK22」椅子

ポウル・ケアホルム「イージーチェア0No.PK22」1956
ポウル・ケアホルム「PK-0 イージーチェア」1952

ナナ・ディッツェル
2005年に82歳で亡くなるまで、デンマークの女性デザイナーの先駆的存在として活躍したナナ・ディッツェル。1950年代に夫ヨルゲン・ディッツェルとともに、「リングチェア」「ヴィータソファ」をはじめ、温もりあふれる作品の数々を残した。ディッツェルは家具のほかジュエリーやテキスタイルのデザインも精力的に手がけ、また、「トリニダードチェア」など晩年にも名作を発表している。特に、床に支えられルのではなく、上から吊るす発想の「ハンギングエッグチェア」が有名だ。この椅子にすっぽり包まれ、空中に浮かんで過ごしたいと誰でも思うに違いない。

ナナ・ディッツェル「ハンギングエッグチェア」1959

ノルウェー

ノルウエ―にはアルネ・コルモス(1900-1968)といった先駆的な活躍や、トールビヨン・アフダル(1917-1999)、イングマール・レリング(1920-2002)などの先駆者はいるものの、モダンデザインはやや遅れて入ってきた。

これまで活躍してきたデザイナーのなかで、ピーター・オプスヴィックの登場は、一躍ノルウエ―に注目を集めさせた。

ピーター・オプスヴィック Peter Opsvik 1939- 
ベルゲン美術工芸大学を卒業後、1970年よりフリーランスの工業デザイナーとなり、オスロで自身のデザインスタジオを立ち上げ活動。人間工学に基づき、従来の座り方の概念に捕らわれない椅子を、多くデザインした、ポストモダンの旗手というべきかもしれない。

「バランスチェア」1979年は画期的作品で、「座るだけで姿勢がよくなる」というコンセプトはそれまでの椅子の概念を大きく変えました。発売から35年経った現在も、世界の40カ国もの国々で人気を得ています。みごとなアイデアだ。

また、子供の成長に合わせて、高さ調整が出来る「トリップ・トラップ」は、現在でも世界中の人々に愛されている。エルゴノミクス(人間工学)を取り入れた椅子は、ノルウェーはじめ世界各国のデザイン賞を多数受賞しており、デザインされてから約30年経った現在でも世界の数多くの国で人気を得ている。

ピーター・オプスヴィック「バランスバリアブル(ロッキング)」1979
ピーター・オプスヴィック「トリップトラップ」1972
ピーター・オプスヴィック「バランス・グラヴィティ」1983


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