祖母と私の歴史について
今回は数ヶ月前に亡くなった大好きだった祖母についての話です。デリケートな表現も含まれているため、辛い気持ちになってしまいそうだという方は読むのをお控えいただけたらと思います。
数日前に祖母が夢に出てきてから、祖母のことを文章に記しておきたくなりました。正直なところ祖母のことを書いているだけで辛い気持ちになったけれど、なぜかどうしても書かずにはいられなくて、祖母への弔いのつもりで何日もかかって書きあげました。諸般の事情で初盆の法要にも出られなかったのですが、きっとこれが私なりの祖母への供養なのだろうと思っています。
-------------------
不思議な夢を見た。
数ヶ月前に亡くなった祖母が、棺桶に入っていたところから生前の姿に戻って、部屋でおしゃべりしながら映画を観て、心の中で私はこれが祖母との最後の時間になるのだと思っていた。
夢の中で祖母が生前の姿に戻っていくところは、ふくよかだった祖母が癌になって痩せて、最後はだんだん弱っていって眠るように亡くなり、その後とても綺麗に化粧をして旅立っていった、現実の世界で祖母が辿っていった道のりが逆再生されているかのようだった。
母は里帰り出産で私を産んだので、私は生まれた時から祖母と一緒だった。
普段祖母とは離れて暮らしていたけれど、私が小さい頃は母が病弱だったこともあってしょっちゅう飛行機に乗って家に手伝いに来てくれて、私は半分祖母に育てられたようなものだった。
初孫だった私を、祖母はとても可愛がってくれた。
祖母と私は共通点が多く、祖母が私の1番の理解者だったと言っても過言ではなかった。
美味しいものとお洒落が好き。
小さい頃から祖母と服を買いに行くのが好きだった。昔は祖母も私もコロコロとした体型だったので、2人でダイエットに励んだこともあった。
お盆やお正月で一緒に過ごすときは毎朝お互いの顔を見て化粧の出来映えを褒めあった。
祖母は亡くなる3日ほど前、癌の末期症状で少しずつ夢と現実の区別がつかなくなっている中、いつもと変わらない口調で私に「あなたもきちんとアイラインを引くのよ」と言った。
祖母との思い出はここに書ききれないほどたくさんある。
物心ついた頃よく白雪姫のお話をしてくれて、魔女の「りんごをお食べ」というセリフを祖母が言うとなぜかとてもリアルで、いつもその場面になると少し怖かった。
小さな頃からずっと、夏休みやお正月、飛行機で祖母に会いに行くと、迎えに来てくれた祖母が到着ロビーの扉の向こうで嬉しそうに待っていてくれて、荷物を持って到着ロビーの扉を出て祖母の近くに駆け寄るとすぐにハグをするのがお決まりだった。
祖母が作ってくれる朝食がとても好きだった。食パンと目玉焼きと野菜とフルーツとヨーグルトと…というよくある顔ぶれだったけれど、私にとってはどんなに素敵なホテルの朝食よりも価値のあるものだった。
祖母の癌が最初に分かったのは私が高校3年生の頃でそのとき私は受験生だったけれど、休みの期間などはできる限り祖母の側にいて、病室の動く机でずっと勉強をした。次の春、私は無事に第一志望の大学に進学した。
祖母にしか打ち明けなかった内緒の話もあった。まさかこんなに早く墓場に持っていってしまうなんて。
祖母と私は離れて暮らしていたけれど、いろんな事情が重なって、祖母の最期の10日間は同じ屋根の下で過ごすことができた。
それまであまりなくなってしまっていた祖母の食欲もそのうち数日間は奇跡的に回復して、一緒に美味しいものをたくさん食べた。
その期間は祖母の希望で朝食に私がフレンチトーストを作ることが多かった。祖母は甘めが好みで、砂糖が足りないと何度もダメ出しを受けた。
祖母直伝のレシピでカレーを作り、カツを揚げてカツカレーにして一緒に食べたこともあった。そのとき祖母は弱っている人とは思えないほどの勢いでカツカレーを食べて、満足そうな表情で私に「カツカレー美味しいよ」と言ってくれた。このときの祖母の言葉はきっと、ずっと覚えていると思う。
それから数日経って、祖母は旅立ってしまった。一晩中痛みと闘った次の朝、闘い疲れて眠って旅立った。
私はその晩夜が明ける頃まで祖母に付き添って、それから寝室で一度休んだ。母が私の名前を叫ぶ声が聞こえて祖母のいる部屋に行くと、お世話になった看護師さんが家に来てくださっていて、祖母はもうまもなく息を引き取るだろうというところだった。
離れて暮らしていた祖母の最期を私が看取ることができるとは思っていなかったので、祖母の旅立ちをきちんと見届けることができたのは私にとっても祖母にとってもよかったと思う。
それでもやはり私にとって祖母の死は何よりもショッキングで辛く悲しいもので、祖母の死を未だに受け入れたくない自分もいる。
ただ、祖母が亡くなって数ヶ月が経った今少しずつ分かってきたことがある。
それは、祖母と私の歴史はまだ終わっていないということだ。これからも祖母の魂は私と共に在ると思うし、祖母の心はしっかりと私に引き継がれている。
祖母がいなくなっても、祖母と私の歴史はこれからも続いていく。このことは私のこの先の人生でかけがえのない財産となることだろう。