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【エッセイチャレンジ23】私のトリセツ

猛毒のあるふぐは、調理の安全性を守るために「ふぐ調理師」なる資格がある。
今でこそ高級食材として知られているが、その希少な過食部を知るためににかつてどれほどの犠牲を払ったのだろう。あの白く透き通る美肉はいくつもの屍の山に鎮座している。

食用として適切か不適切かを考えれば、毒がある時点で不適切なはずだ。ましてや何人も死去しているのだから、危険食材に指定され誰もふぐに近寄らない世界線もあっただろうと思う。それでも食べることを諦めなかった理由は美食を求める人の飽くなき好奇心であろうか。

最終的に安全に食べられる方法を見つけ出してしまうのだから、向き・不向きを超える人の情念のようなものを感じる。
ふぐを見るたび私はそんなことを思うのだ。

***

西野カナさんの『トリセツ』がヒットチャートを飾ったとき、こんな風に思ったのを覚えている。

私も自分の取扱説明書が欲しい!

【取扱説明書】
製品名:MURMUR
タイプ:根に持ちやすい♀
キーワード:深読み、熟考、社交的な人見知り
趣味:読書、ダンス、岩盤浴
コメント:あなたは思慮深く、一方でガサツなところがあり、忘れ物が多く・・・・・・
"私の取扱説明書"イメージ

10〜20代のとき、私の頭の中は「やるべきこと」「なりたい自分」で隙間なく埋め尽くされていた。

理想の人間と自分の間に流れる川は険しくて、滝にも大海にも見える。それなのに自分の立つ場所は少しずつ削られ続けている沖ノ鳥島みたいに頼りない。どうやったら向こう側に渡れるか。自分に何が足りないのか。そのためにまず現状を知ろうと思った。
しかし、人に憧れてばかりの私には、自分という人間がわからない。自分に目を向けていないから。

一番身近なところで言えば「趣味は?」という質問に、答えることができなかった。
趣味にしたいことはある。ランニングとかお茶とか着物とか、いろんな素敵な人たちがやっていること。
だが、自分が実際にやっていることはどうだろう。趣味というには浅いし、最近は時間すら取れていないし…と、途端に自信がなくなってしまう。
だから、無難に「読書です」とか言ってやり過ごす。

グダグダな私はトリセツを求め、火の中水の中草の中森の中…彷徨った。
キャリアカウンセリングだったり、コーチングだったり、占いだったり、ネットのお悩み相談掲示板だったり、それはもう手当たり次第に。

特に読書は一番身近で依存性も低そうな方法だったので、いっとき私の本棚は『なりたい自分になる方法』『あなたがあなたでいるために実践したい10の習慣』的な本で溢れかえっていた。(もはや自己啓発本を読むことが趣味じゃん)

ある日、美容院で開いた女性誌のアンケートに「彼女の家にあったら嫌な本  1位:自己啓発本」と書いてあって、そっ閉じした。

結局、耳触りの良い言葉が並ぶ本から自分を見つけることはできなかった。

***

つまるところ『あなたは○○な人間です』と言い切るものに縋りたかった。

洗濯機で肉を保存しようとする人がいないのは、本来の役割をみんながわかっているから。
それなのに、私ときたら洗濯機で氷を作ってみたり、掃除機でお湯を沸かしてみたり、空気清浄機で音楽をかけてみたりしているようで。
もちろん比喩だけど、とにかくいつも的外れなことをしているような不安があった。

だから、私の使い道を保証してくれるトリセツがあれば適切なことだけできるのに。もう間違えないのに。

***

だが、世の中にはふぐ料理のように適切・不適切を超えた位置にあるものが結構ある。
結局、理屈ではないのだ。情熱の宿るところに道は拓けるし、無数の可能性が隠されている。

なんらかの方法で自分のトリセツを見つけてしまったら、私は違う生き方をしていたのだろう。あれだけ熱望したトリセツだ。盲信し、書いてある道以外は選ばないはずだ。
痛みは最低限に、最良のものだけを選んで積み重ねた、合理的でクレバーな私。泥臭さとは無縁のきれいな私。

回り道したから見えることもあるんだね。

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