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【エッセイチャレンジ12】プロ子ども、次男。
「ママ、みて?緑色の汗かいちゃったの」
かき氷のシロップがなめらかな皮膚落ちたのを見て、いたずらっぽく笑ってみせたのは、今月3歳半になる次男である。
くしゃっと細めた目は、今日も左右対照の放物線を描いている。「栄光への架け橋だ!」の名実況が聞こえてきそうなくらい、完璧なアーチ。
目に限らず、次男のフォルムはどこもかしこも私にとって完璧なのだ。白玉団子をふたつのせたようなパツン!とした頬も、テディベアのようにずんぐりした足も、まんまんるの頭を乗せた短い首も、丸い肩も反り気味の背中も、どこも柔らかく、もちもちしていて、健康そうだ。癒し。完璧だ。
今年4歳だというのにまだ赤ちゃんらしさの残る次男は、年少クラスでも一番のちびすけである。そのフォルムの魅力を知ってか知らずか、甘え上手でひょうきん者。
「あんちゃあ、てんてー!(=あのさぁ、先生)」という舌ったらずな物言いで、先生たちからもしっかり笑いを取っている。
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私にとって最後になるであろう乳幼児育児。赤ちゃんのいる暮らしに未練タラタラな私が喜ぶのを見越して、あえて幼く振る舞っているのではないか。そう思わせるくらい、次男は限りなくファンタジーな生き物なのだ。
コテコテな子ども
映画やドラマに出てくる子どもに『作り物』っぽさを感じてしまうことはないだろうか。不自然なくらい愛嬌たっぷりで、素直で、懐っこい。そして、大人たちが意味をギリギリ理解できるレベルの絶妙な言い間違いをする。トウモロコシを"とうもころし"みたいな。大人を癒す王道の子ども像。
私は次男を育てるまで「いや、こんなコテコテな子ども、リアルではいないでしょう」と斜に構えていた。いたのである。コテコテの子ども。
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「末っ子は要領が良い」と言われる通り、何かとぶつかってきた長男に比べて次男は育てやすい。ワガママも言うが引き際も弁えている。相手の反応を見ながらテンポ良くジャブを打ち込む、手練れのボクサーを思わせる。
こちらの視線にも敏感。まず、目がよく合う。そして合うと必ずニコッと微笑む。そのまま「ママ、だーいすきだよっ!」なんて、銀行だろうがスーパーだろうがどこでも愛を囁く。その言葉は私を通り越して、周囲の方々をもほっこりさせることを、彼はきっと知っている。
共感能力の高さゆえ
次男は共感能力が高い。テレビ鑑賞中も「こわいから(チャンネルを)かえたい・・・」と目隠しすることがすごく多い。
だが、そのシーンは
「サトシが暗い洞窟に入ったとき」「しんちゃんがものを壊しちゃったとき」「ミニオンがドジをして1匹取り残されたとき」「のらねこぐんだんがお説教されるシーン」
・・・など、お化けとか怪物とかスタンダードな恐怖とは少し違う。本来なら笑いを誘う目的のドタバタ失敗劇も、自分に投影させハラハラドキドキしてしまうようだ。
ちなみに「仮面ライダー」や「戦隊ヒーロー」も好きで新シリーズが始まるたびに見ているが、半年くらい経つと離脱する。終盤に近づくと少なからず物語がシリアスな雰囲気になるから、怖いそうだ。
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共感能力の高さは、母である私にも向けられる。
私が不機嫌だったり疲れているときは、あえてニコッと笑って膝に乗ってくる。そして、背中に私の手が回ったことを確認してから「ママ、元気出た?」と聞くのである。
次男は、自分が母親を幸せにできる存在だと知っている。それは良いことだが、時折それが自分の役目だと思っていないか不安になるのだ。
親バカなのだが、健気すぎて愛しすぎて。杞憂だろうが。
まぁとにかく、彼らには親の顔色なんて二の次どころか十一次ぐらいで、勝手に幸せになってほしい。
そのためには親も子どもに関する事柄以外でも幸せにならなければならない、と思う今日この頃である。
自分にそう言い聞かせつつ、20年くらいかけながらゆっくりじっくり子離れしようと思う。
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