【エッセイチャレンジ20】オバサン
『あなたがなりたいものは?』と問われれば、間違いなく「オバサン」と答えていた時期がある。
かつて私は若い女でいることを辞めたかった。
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若い女が窮屈だと感じたのは社会人になってからであった。
当時の会社は昭和の香りが色濃く残る古風な企業。しかし、世間の風潮に遅れまいと産休取得率を上げ、女性管理職をせっせと増やす、「女性の社会進出」を躍起になって応援している過渡期であった。
生意気な小娘であった私は自立した女になりたいという理想を胸に抱き、総合職として入社した。
異変を感じたのは飲み会の座席である。
新入職員歓迎会での私の座席は、支部長の右隣であった。斜め前には同期の男の子が座っていた。
なるほど、支部長と新人が交流を持てるようにこの席次なのか。気の抜けない配置にドキドキしながら、先輩の見様見真似で一生懸命に支部長にお酒を注ぎ続けた。
4回5回と飲み会に参加するうちに、私はお酒が強いと言われるようになった。実のところ酔ってはいるのだが、ふらつく姿を見せられるほど肩の力も抜けないのである。生来の見栄っ張りが意外なところで力を発揮したのだ。
とにかく、最後まで上司のグラスを空けず、背筋を伸ばしてニコニコと話を聞く姿は「若いのにちゃんとしている」というよくわからない評価に繋がった。私は支部長のお気に入りとなった。
回を重ねるごとに上座から離れ、下働きに徹する同期を羨ましく思いながら、その後異動するまでの2年間支部長の隣は私の指定席となった。
私は社内の飲み会だけでなく、地域の交流会、お得意様とのパーティー、VIPとの懇談会、とありとあらゆる会に呼び出された。
「美味しいご飯が食べられるから、ぜひ来てよ。頼むよ。」と頭を下げてきた先輩社員は「今日はうちの新入社員を連れてきました。ぜひ勉強させてやってください」と、我が物顔でおじさん達に私を紹介する。
なら、どうして同期の男の子は呼ばないのか。考えるまでもない。私が「若い女」だから。
どこにいても、誰が相手でも、することは同じである。ニコニコ笑ってお酌をし、時折質問を投げかけ、相槌を打つ。食事はなかなか進まず、目の前に溜まった高級料理は完全に冷えている。味のしないそれらをお酒で流し込み、中味の減ったグラスにお酒を注がれると「恐れ入ります」と言って、また空ける。
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なぜ私は不毛な飲み会に参加し続けたのか。
ひとつは断って良いものだとわからなかったから。新人とはそういうものだと言われれば、そうなのかと思うよりなかった。
もうひとつは、知識もない未熟な新人だからこそ何かしらで会社に貢献しなければという思いがあったからだ。
ところが、私が成果を出すと先輩たちはこう言うのだ。
「可愛い子は得だね。」
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結婚して一番楽になれたことは「若い女」ランクが下がったことである。子供を産み、歳を重ね、アラフォー間近となった私の「若い女」ポイントは既にゼロだろう。
これのなんと素晴らしいことか!
巷では「女の賞味期限は短い」なんて言いながら若い女時代を特別視する人がたくさんいる。かつての私のように若いだけでチヤホヤされることを特別扱いというならば、確かに間違っていない。
だが、それは本当に武器なのだろうか。私には自分の存在意義を「若い女」に留める足枷だった。普通の中年女となった今、出した成果は純粋に私の能力として評価される。「若い女」として消耗されることもない。
若さに拘っている女の子がいるならば、ぜひ知って欲しい。私は若さを失って自由を得た。
これから人生はもっともっと、楽しくなる。