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無力な私と生きる意味

生きる意味ってやっぱりないよな〜と思い出すことがある。それはきっと多くの人が心の底にもっている柔らかい呪いで、ある日突然心の扉をノックする。 『はろー、お久しぶりです わたしです』

生きる意味について考え始めると''最終的には骨と灰になるだけだ''という原点に立ち返る。ただしそこまでいくと「人生って全て無駄じゃん!今すぐ命を捨てるのが合理的!☆‬」という極論になってしまうからそれはよくない。心も体も痛いからね。

では、仮に''幸せを感じることが出来れば生きる価値がある''と安直に定義付けてみるとしよう。
...そうしても結局、私ごとき、いようがいまいが世界は何も変わらないのであった。私がどれだけ一生懸命活動したとしてもそれが響いて幸せにできるとは限らないし、他人の感情由来で結果がでる以上、私が幸せになれるかも究極的には分からない(これはどんな有名な芸能人でも一緒である)。

だから、関わりあったひと時に一縷の望みをかけて、永遠に続く幸せな関わり合いを夢見ることに期待しすぎてはいけない。根本的には、私は何も出来ない無力な人間なのだと忘れないでおきたい。

それと同時に、強くなりたくても強がってはいけない。自分は出来ると主張しすぎることは、高校生であれば''背伸びしたいよねうんうん''で済むけれど、大人の見栄は恥ずかしい。私も、''この人にはすごく見られなきゃ''と、自信が無い時の方が自分なりの良い実績?(そんな無いが)を話したくなるもんね。そうして強がった後「私はぁぁぁうあわぁぁぁ」となったこと、中学から数えて過去多数。本当にすごい人は大抵自慢をしないのです。そんな恥ずかしいことは辞めましょう。(戒め)

結局、自分はこれもこれも出来ないんですよと笑って言える人の方がかっこいい。何って、人は逆張りがしたい生き物だ。過度に商品を紹介されたら粗探しがしたくなるし、上司や社長が自慢話ばかりしたりしたら逆に悪い所を探したくなるものだろう。そうなっては好きになれたものも好きになれない。本当に素敵な人なら、こちらから何も伝えなくても人柄がオーラで滲むものなのだ。

私は昔から面白くないと人権がなくなるお笑いサバイバル環境にいなかったから、面白く話せない人間であるなぁと自覚している。けれどいつか謙遜を含めた自分話が自然に愉快にできるようになりたいという希望はある。もちろん褒められた時に否定するのは良くないし、好意を素直に受け取るのは続けていきたいけどね。

生きる意味なんてないと定期的に思い出してしまうのはある意味ネガティブな思考かもしれない。でも、そんな自分を全部隠して、見せかけのポジティブさで包んでいると、どこかで違和感が生じてくるものだ。それは人としての不信感に繋がってくる。
だから、ネガティブな自分の一面は認めて受け入れて、それでいて元気で入れる時は理想の自分で振舞っていればいいのかなと思っている。毎日にこにこしてようと意識するのは勝手だけど、ポジティブさやいかに自己肯定感が高いかは、人様にひけらかすものでは無い。それらはきっと滲むものでありたい。

生きる意味も活動の意味も究極的にはない、だからこそ、私は無力な人間だと忘れないでおきたい。自分自身にあまり期待しないでおきたいし、皆様にもあまり過度に期待はしないでいただきたいし、何も出来なかった自分に悲しまないでおきたい。

無力な自分の中で、無力なりにわたしにできることをするしかないのです。
『それではみなさんさようなら また会う日まで』



旅するメイド屋さんです。顔はそこそこかわいいです。読んだ、くらいの既読感覚で、気楽ににスキしてくれたらうれしいです🫶





以下、削った部分の1部。
昨日夜脳死で書き殴っていたものは長かったので1500文字以内になるよう削りました。


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