3月20日は超開運日らしい
突然、iPhoneが鳴る。
20時30分を過ぎていて
これからようやくお風呂に入る時間だった。
応募した仕事の連絡かと思って慌てて出た電話先から聞こえてきたのは
「だいこんいりませんか?」
「は?」
電話の相手は1年と半年ぶりに声を聞いた
地元の友人であるアーティストの方からだった。
とても久しぶりの声を聞いて驚いたけれど
正直、しばらくその人とは距離を置いていた。
なんか、良い流れをあまり感じない雰囲気を直感で感じ取っていたから。
けれど、なぜだろう。
昨日は仕事探しと派遣先の仕事で疲弊し切っていたのに
なぜか気分が良くて、とても前向きな自分が戻っていて
その無茶振りで20時30分の「だいこんを取りに来てもらえませんか」という話に
自然と身体も心も動いていた。
僕はその友人宅に着くと「久しぶりですねぇ」からお互い始まり
「だいこんは後でにして、少し家に上がって話していきますか?」
という誘いに、まるで超アクティブだった過去の自分のままに
遠慮なく家に上がらせてもらい、だいこんを忘れて1時間話し込んで。
そこで聞いたのが、タイトルにある話。
「明日、3月20日ってめっちゃ縁起の良い日らしいですよ」
この手の話を信じるか信じないかは、その人次第だと思う。
僕も過去に「そんな話に乗るなんて」とか思っていたクチだから。
だけど不思議と僕が出逢う「この人はすごい」と思える人のほとんどは
そういう縁起の良い日を大切にし、そういう日を分岐点にして何かを受け取り
またさらに前に進んでいく姿を、ずっと見ていた。
別に何か「明日からこの宗教に入らないと人生おかしくなる」とか
そんな話ではないわけで、自分の好きにすればいいのだけれど
僕はそんな友人たちに影響を受けて、少しばかり「気にする人」になっていて。
その「3月20日」は縁起が良い日であること。
3月20日の12時6分に何か自分の「今後、在りたい姿」を想うこと。
それが今日、大事らしい。
僕の場合、このタイミングでその友人から久しぶりに電話がかかってきたこと。
今の自分の状況や難しさ、明らかな転換期のタイミング。
自分のやってみたいことに動き始めたこの2024年。
そして面白かったのは、その友人が僕を選んでだいこんを渡してくれたこと。
僕以外にもお裾分けする相手はたくさんいたにも関わらず
なぜかその友人は「やまざきさんだな」と直感にしたがって僕を選んでくれて。
自分にとって腑に落ちる繋がり方だったからこそ
信じてみようかな、と。
そもそも今の自分はもう、なんでもやってみなければ
前に進めないような面白いくらい絶望的な状況だから
やれそうなことはなんでもやってみる、っていう。
というわけで、その友人との長話の末
だいこんと、今日が超開運日というお裾分けを頂いてきた。
その人との縁は遠ざかる一方かなと思っていたけれど
ちゃんと気にしてもらっていたことは、普通に嬉しかったな。
そういう、今も僕なんかのことを気に掛けてくれる人が
ひとりでもいてもらえることに、心の底から感謝をしたい。
12時6分に、在りたい姿を想う。
どんな姿だろうね。
相変わらずザックリとしている。
きっと、安心して自分らしく、仲間と共に表現する日々だと思う。
そこにひとりでも受け取ってくれる人がいて、その人も仲間になって
どんどんその輪が広がったら、素敵だな。
生きていれば、なんとかなる。
なんとでもなるし、なんとかする。
死にたいから、生きたいに変わってきたからこそ
ちょっとずつ言葉に熱を持ててきた。
死はいつも隣人だけれど、居なくならないから。
それも含めて、受容し、呼吸できたら、いい。
とりあえずは、今日が良い日でありますように。