令和4年と令和5年のはなし
年末年始休暇も最後になったのと、一応は毎年1年のけじめとして去る年を振り返り来る年の展望を書く、ということになっているので、「創作TALK」という企画に乗っかり(もうこれも何年になるのかわらかないが……)、今年もやっていこうと思う。
令和3年同様、令和4年も創作そのものよりもプライベートと仕事が大きく変動した1年であった。よって両方についてまとめていこうと思う。ぼくのこのタイプの記事を読まれたことのある方はもうご存じかもしれないが、特に何か記録をつけているわけではなく記憶を頼りに振り返っているので、厳密には令和4年のはなしでなかったりするかもしれないが、それはまあご愛嬌である。
また、令和4年については、創作・ゲーム・その他の3分野についてふりかえり、令和5年の展望についても同様としたい。なぜゲームを特だししたかというと、この1年も含めてぼくはコンスタントにゲームをやっていて、それがある程度コントロール下にあるので全く触れないのはなんというか「もったいない」という気がしてきたからである。来年もやっているかどうかはわからないが、とにかく令和4年と令和5年についてはそういう感じで書いてみようと思う。
令和4年をふりかえって
創作について
一応、ぼくのメインとなっている創作であるが、しかしながらほんとうのことをいうと全く振るわなかったといってよい。もちろん、後述するようにひざのうらはやお「最後の小説集」を刊行したなど、目立ったものがないわけではなかったが、令和4年は読むことも書くこともままならなかったといっていいと思う。
令和4年については、「定期購読」というかたちで、年頭に募集をかけ応募してくださった方に刊行物を直接郵送するという手段で頒布を行った。それにより、本協会の頒布物には「公開頒布物」と「限定頒布物」のふたつの区分に分けられ、読者を事実上選んだかたちをとらせていただいた。そして、定期購読をされている方については、限定特典としてこのいずれもをこちらが勝手に送りつける形で頒布している。
「公開頒布物」というのは、その名の通り頒布先を選ばない頒布物のことで、頒価さえ支払っていただければ誰にでも頒布を行う作品のことである。令和4年については公開頒布物はたった1作品にとどまった。
「宇佐見小説集 驟雨、あとを濁さず」ひざのうらはやお 令和4年7月11日発行
この作品については別の記事で書いているのでここでは触れない。ひとつ申し上げておきたいのは、ぼく、ひざのうらはやおとしてはこれが最後の小説集であるというつもりで刊行したモノである。ゆえに、小説家ひざのうらはやおとしてのテーマはここで打ち止めというか、書き切っているのではないかと自負している。
公開頒布物はすべて先行で定期購読者に頒布し、その残部を「架空ストア」という通販サイトに預けている。つまりここにある在庫がなくなり次第、頒布を終了することとなっている。もしお求めの方はその点ご留意いただきたい。
他方、「限定頒布物」というのは、いってしまえば「公開頒布物」ではない頒布物、すなわち頒布先を限定したものである。これは定期購読者のためだけに作成したものや、それ以外の企画により発行したものなどがあてはまる。協会上はタイトル非公開としていたが、令和4年がもう終わっているので、タイトルと簡単な解説を付したいと思う。今後、定期購読を検討されているかたは参考にされたい。
「自語隙」(ひざのうらはやお没私小説集)ひざのうらはやお 令和4年3月1日発行
読みは「じぶんのことをかたるすきくらいよこせ」である。「隙自語」とは「隙あらば自分語りするひと」のことを示すスラングであるが、それをもじったものである。過去にどこかで掲載されたものやその改稿、また文学賞投稿作、非公開作品などを含め、その全てが「私にあふれている」という理由で自作品集に収録することを見送ってきた、いわゆる「没作品集」、「B面集」である。ひとつだけ別の企画に掲載されたものがあってそれだけ没ではないのだが、あくまでそれは「A面はどうなのか」という比較のため収録している。いかに残りが「B面」じみているのか、そしてこの「B面」というたとえ・表現が若き創作者たちにどれほど伝わるのか不明であるとも考えながらもぼくは本作を「B面集」と例えた。(ちなみにぼく、ひざのうらはやおは令和4年7月11日に31歳となっている。いうほど年寄りでもないかもしれないが、少なくとももう「若き創作者」とは言えないとぼくは考えている)
いずれにしても、本作はひざのうらはやおの供養でもあり、刊行したことそのものが記念であるため、定期購読者限定の頒布物となった。
「祝砲・舟歌」新津意次 令和4年11月5日発行
本作は友人の結婚に際し新津意次氏が上梓した小説である。彼が前名義で書いた「祝砲」を一部改稿し、その後に続く形で「舟歌」をつなげたものを簡易な製本とし、結婚式の際に頒布したのだとか。これについては「その他」で後述したいと思う。こちらも残部を確保できたため、限定頒布物として頒布した。
ぼく、すなわち「日本ごうがふかいな協会」の活動としては以上となる。これらの刊行ペースは当初予定したものよりも大幅に遅いことから、年間購読としていたものを「定期購読」と変更し、「公開頒布物」の数を基準とした体系に変更した。そのため、年の瀬だけでなく、原則随時募集するかたちとなっている。もしご興味がある方は、詳細を記した協会ブログがあるのでそちらを参照されたい。
https://houhounoteiyudetaro.hatenablog.com/entry/2022/11/13/135000
ちなみに、現時点ではおおよそ10人弱の方のご応募をいただいている。今後も若干の余裕はあるが、こちらの想定以上の申し込みとなった場合は締め切らせていただくこともあるので、ご留意願いたい。
それ以外の創作活動としては、いくつか企画に参加させていただいた。泉由良さん主催の文芸誌「オートマニュアル」に愚にもつかないエッセイを寄稿させていただいたほか、別名義で小説もいくつか掲載させていただいている。また、オカワダアキナさんの挑戦的なアンソロジー「BALM」についても参加している。これがどう挑戦的なのかについてはいろいろな方が書かれているのでここでは割愛するが、小説2本、エッセイ1本という「書き手がなんとなくわかる」構成になっていて、なんだか「書き手のカタログ」みたいだなと思って非常に面白い試みであるなと感じた。ぼくの文章が特段印象に残るようなものでないにしろ(そもそもぼくはかなり「アンソロ映え」しないタイプの書き手であると考えている)名だたる書き手の末席に名を連ねたことはある種の誇りであると勝手に思っている。
ゲームについて
ニンテンドースイッチを多くやった年だった。なにしろプレイ時間に制限が設けられている中、効率的なプレイを考えて実行するという今までにない遊び方まで広がった。逆に、PS5を買ったもののそこまで効果的に動かせていないのがなんとも残念な限りである。
個人的に今年印象に残ったゲーム、結果的にたくさんやったゲームを振り返っていきたい。
「A列車で行こう はじまる観光計画・ひろがる観光計画」(アートディンク社)
「A列車で行こう」シリーズをはじめとするシミュレーションゲームの雄(と個人的には勝手に思っている)であるアートディンク社の「A列車」シリーズの最新作。「A列車」は結構最近からやり始めたのだが、PS4版の出ている「Exp」でその奥深さにどはまりしてしまい、仕事をしている最中にもシミュレーターだけ動かしておくというめちゃくちゃ電気代に悪いこともかつてはしていた。本作は「Exp」ほどの多要素さはなく、都市を開発しながら鉄道会社を経営していき、キーとなる「観光開発」をシミュレーションしていくというゲームである。これをやるといかに鉄道事業そのものが利益の出にくい商売かというのがわかる。職業柄どうしても「効率的な輸送」「長大な事前投資」ばかり考えてしまうので何度やっても資金不足に陥ってしまうのだが、それでも楽しい。自分の思ったように都市の中に電車が走り、人々が使用し、建物が建ち並んでいくさまを見ていくのは、そこに架空の街を作るのと同じ事である。シムシティなどの都市計画シミュレーションゲームを本格的に遊んでいる方は、あまり要素が多くないので少し物足りない可能性もあるが、ぼくはむしろ要素が多すぎて考えることが膨大になり、全然ゲームが進まなくなるよりこちらのほうがいいように感じた。令和4年最も遊んだゲームである。年間プレイ時間はおよそ100時間程度。
「ポケットモンスター バイオレット」
「ポケモン」シリーズの最新作である。11月に発売されたはずだが、気がつけば「令和4年中のプレイ時間で2位」というくらいにはプレイしてしまっている。ぼくは「ポケモン」に関しては途中で脱落してしまい、XYシリーズ、サンムーンシリーズについては全くプレイしていないのだが、ソードシールドで再度プレイし、おもしろかったので今回もプレイしてみた次第である。
多くの方が指摘しているが、本作はオープンワールド形式を標榜している割にはその要素が薄かったところである。もっとも、「ポケモン」の形式美からするとオープンワールドそのものがかなりの挑戦であるから、ぼくからすれば「ああ、本気で取り組もうとしているんだな」くらいな感じである。学園モノなのでシナリオはどうかなと思っていたが、予想よりもしっかりキャラクターが作り込まれていて楽しかった。
ポケモンといえば「育成」であるし、育成の奥深さとマニアックさについてはよく知られているところである。本作はそのマニアックさをさらに薄めて、ぼくのような適当にプレイしているような人間でもそれなりに「凝った」ポケモンが育成できてしまうところが非常にハマりどころで、実のところ今もそれにハマっているところである。
最近は職場の人間や身近な人間がポケモントレーナーだったらどんなポケモンを連れているか、どんな育成をするかも考えて「ものまね編成」を考えている。対戦は好きではなく、あくまで「こいつこんな感じやろ」みたいなのを自分で納得させたいがためにやっている。なのでランクマッチとかはまったく興味がない。
そんなこんなで絶賛プレイ中である。令和4年のプレイ時間はおよそ90時間程度。特に発売後からのスイッチの稼働はほとんどポケモンであった。
印象深かったのはこの2作で、あとは過去作やリプレイをしているのが主だったので割愛する。
その他について
ようやくその他にたどりついた。令和4年は特にこの「その他」のボリュームが大きい年であった。具体的に令和4年での自分的主要事件を挙げていく。
1.結婚する
結局のところこれにつきる。3月に同棲していた同居人と婚姻届を提出し、11月にはささやかながら式も挙げさせていただいた。
結婚というのは個人的なものであるとぼくは考えていたし、今もそう思っている。ただ、実際問題としてそうもいかないということも理解した。ぼくは自分の家族があまり好きではない。そして、この好きではない家族に名を連ねている自分も、結局のところあまり好きではない。「ハムちゃん」(原則、妻となった女性についてはこの表記としている。以後同じ。)と出会ったのはまさに「ひょんなことから」であるが、それが結果として新たに家族になるまでに至るというのは個人的にも感慨深い。
挙式やそこに至るまでの想いについては別に記すこととし、また挙式を終えた感想のようなものは以前記した通りである。
https://note.com/s_manmaru_biyori/n/na591a8552c04
2.睡眠時無呼吸症候群と診断される
これも大きなニュースである。以前からハムちゃんをはじめ弟や宿泊旅行の同僚に至るまで様々な人間からいびきの大きさと呼吸の停止について指摘されてきたが、特に気にしたことはなく(当たり前だ、自分のいびきを聞く機会はほとんどないし、悩まされることもない)ここまで生きてきてしまったが、どうも眠気が取れず、またさすがにハムちゃんに勧められたこともあり近所の睡眠外来に行ってみたところ、検査入院をすることになり、結果的に中等度の睡眠時無呼吸症候群と診断された。これにより陽圧式呼吸改善装置(CPAP)が保険対応となったことから、今は毎日それを鼻につないで寝ている。CPAPを使うようになってから、まず睡眠時間が平均して1時間くらい減った。自然に眠る時間が減ったのだが、それにもかかわらず起床時から頭がだいぶすっきりして寝起きの効率が大幅によくなった。普通の人はここまで楽なのか、などと思ったが思っていたより高血圧が解消されなかったので降圧剤などなども処方されている。根がネガティブすぎるのでよっぽどひどい目に遭わない限りは「思っていたよりマシだったな」と思うことが多いのだが、これに関しては結構「思っていたとおり」だったので、つまるところ相当悲劇的な状況なのだろうと思い、生活習慣もどうにか改善しようと考えた。その結果が「ゲーム時間の管理と制限」なのである。ニンテンドースイッチには「みまもりスイッチ」なる機能があり、これは本来親御さんが子どものゲーム時間を管理するために使っているものと思われるのだが、管理者をハムちゃんにして、ぼくは平日は1日90分、土日は1日360分を上限とし、深夜帯のゲームを原則禁止されることとなった。ぼくはいったんゲームを始めると10時間くらい脇目も振らずやりこんでしまい自力では止められなくなってしまうので、これは非常にいい管理方法となった。また、前述したように「今日はどこまで進めるか」も考えながらプレイするようになり、より面白い要素が増えたようにも感じている。
3.転職活動をしてみる
これはまだ「してみる」という段階で、結果的に転職はしないかもしれない。というところではあるものの、個人的には今の職場で生きていくのだなあと漫然と思っていたところから、昨今の事情や、おもしろい後輩や尊敬する先輩がいなくなってしまった職場に対するやるかたない想いなどもあり、さらにハムちゃんと結婚したことにより将来的には移住も考えるとなると、現職では対応が難しい面が多くなってきたことから、とりあえず焦らずに他の職も検討してみようということではじめ、いくつか選考も受けた。結果的には全部縁がなかったわけであるが、それはそれでいいようにも思えた。実際まだエージェントを入れたりするなどの本格的なものには取り組んでいないし取り組めるような状況でもないのであるが、少なくとも「現職で現役人生を終える」選択が全てではないと思うようになり、これは個人的には大ニュースであるのでここに記すこととした。
令和5年の展望
創作について
従前の通り、なかなかひとりぐらしの頃とは時間の勝手が違うところがあり、創作でお世話になった方とも実はまだまともにお話ができる状況ではなく、原稿なんて夢のまた夢という状態ではあるため、なかなか明言できないのだが、少なくとも公開頒布物をひとつは刊行したいところである。新たな名義で小説を書く以上は、それまでとは別のテーマで書き出していく必要があると思っているし、現にぼくはそうするつもりだ。なかなか時間が取れる人間ではないが、余裕がないことはないので、時期や状況によっては従前どおり寄稿をお受けするつもりではいる。前述した企画の参加も事前にお声がけがあったものと自主的に手を挙げたものがあるが、自主創作活動として手を止める必要もないことから、少なくとも手を動かし続けるだろうことはお約束できるかと思う。また、今のところ納期は無事に守られているのでその旨申し添えたい。
ただし、即売会等の創作関係のイベントについては、そもそも準備する時間が少ないことや、不特定多数の人間が行き交う場所に出ることに対する抵抗などから控えさせていただいている。この姿勢については今年も継続するつもりでいる。そのため、代替手段として定期購読プランを出している。ぼくはもう「万人に開かれた書き手」を目指すのも、標榜するのもやめた。それはある種の諦めであるが、新たな可能性も見いだしている。昨今のイベントは、ぼくのような「最初から読み手を選ぶ」タイプの書き手には非常に厳しい状況とうかがっている。そのような中で一定のテーマを携えつつひろく頒布を行っていくのは限界があり、またリスクも大きいと感じた上での判断である。これについてはしばらくご理解をいただきたい。
ゲームについて
しばらくは「ポケモン」をやっていくような気がしているが、「A列車」もDLCが追加され面白くなりそうな雰囲気である。また、合間に買った「ドラクエ11S」などもまだシナリオが途中であるのでどこかでやり直したい。PS5についてはかなりノーマークで全然情報も仕入れていないから、しばらくは「デス・ストランディング ディレクターズカット」をちまちま進めていこうと思う。バイオハザードシリーズはやってみたものの根本的に自分のプレイスタイルとは合わないことが判明してやめてしまった。SF設定がとにかく好きなのだがゲームでまでグロテスク表現が強いモノをやりたくはないのだなあと感じた。デスストがぎりぎり、というくらいにはなかなか苦手なほうである。
個人的に気になっているのが「タクティクスオウガ リボーン」で、ジャンル・版元およびその系譜としてぜひプレイしたいところではあるが、そもそも時間が「もつ」のか、というところもある。
なお、「ザーヒー(本物)、オキツグくん(一応本物)、ハムちゃん(偽物)、ザーヒーの職場のひと(偽物)と戦いたい」という意味のわからない欲求をおもちの方は歓迎するので、ぼくまでご連絡ください。時間を合わせたいと思います。
その他について
これからどうしていくのか、決まっていないことが多すぎてどれからやればいいのか、というような状態に陥っている。新たに家族を迎えるにしても、環境が整わなければ共倒れになってしまうし、お恥ずかしながら先立つものも十分とはいいがたい。また、移住するにしても職場から離れすぎると環境を構築するのに一苦労する。かといって、今の場所に住むのもなかなかリスクがある。このように思考は堂々巡りをしている。さらに悪いことには仕事の面では現状急激に処理量が増えているので、そもそもステージを移す段階としては明らかに準備が不足しているともいえる。
ただ、ひとつだけ思ったのは、式でうたった歌、ハムちゃんが弾いてくれたピアノはぼく自身に音楽を取り戻してくれたので、せっかくだからもう少しなにかやっていきたいとは思っている。それも前述の状況でどれほど余裕があるのか、といったところであるが。
また、ツイッターなどで人生の諸先輩などにお話をうかがったり、逆に後輩に何らかのアドバイスを請われたりするかもしれないとも思っている。できれば請けていきたいし、お話も聞いてみたい。特に最近母親になられた先輩方には伺いたいお話が結構あったりするが、それはまた今度にしようと思う。
長々と書いてきてまとまりきれていないが、以上が令和4年のふりかえりと令和5年の展望である。展望とは名ばかりのどうにも五里霧中であるが、ご容赦いただければ幸いである。
ご覧いただきありがとうございました。
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