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久しぶりに記事を書こうと思って過去のを見返してみたら今回書こうと思ってたことを過去の自分が既に書いていて、今から何を書こうかと焦っている話


おはこんばんにちは。

どうもお久しぶりです、あき🌿.∘です。


夏ですねぇ。

マイリッチサマーブルースに出てくるような爽やかな夏の生活を送りたいものですが、
私の周りには透き通る海も潮風も海岸線もなく、爽やかとはかけ離れた絶賛夏バテ真っ盛りの生活を送っております。

そうめん万歳🙌
きゅうり万歳🙌
トマト万歳🙌


夏野菜って美味しいよね。
トトロに出てくるサツキとメイのおばあちゃんのお野菜すごい美味しそうだもん。
あの野菜食べてみたいなぁってずーっと思ってる

この願いが叶う日は来るのだろうか。



神さま仏さまsumikaさま、トトロに出てくるお野菜を私に食べさせてください。


もはやsumika関係ない願いだけども。笑


でもね、みなさん想像してください。
美味しい野菜が手に入ったら、もしかしたらおがりんがどこからともなく現れて、新鮮な野菜を美味しく調理してくれるかもしれません。

そしてその匂いを頼りに(sumikaでいう煙突の煙的な)他のメンバーたちも、、、


かたけんにーにがメスティンでお米炊くとこみれちゃったり…

バロンさんが男爵いも持ってきてカレー作っちゃったり…

隼ちゃんがいろはの通訳になっていろはと会話できちゃったり…

あわよくばキャンプ的な感じでcamp session できちゃったり…




なーんて妄想してたらフリが長くなるんです。
もうそろそろみなさん慣れてきました?
私の本題に入るまでの尺の長さ。

あらびっくり、ここまではまだ前フリの途中なんですよ?

。.ꕤ………………………………………..ꕤ.。


まぁ、それはいいとして。(前フリは続きます)
そういえば最近note書いてなかったなぁと思って開いてみました。

というのが理由のひとつ。



もうひとつの理由が。
実は今日、sumika 10th Anniversary the movieを見返しまして…
やっぱり、自分の思いを言葉にするのは大事だなぁと思って筆(正確に言うとスマホ)を取りました。

どこかデジャブを感じた方、私の投稿1つ目の記事をご覧下さい。
デジャブの意味が分かるかと思います🙂‍↕️笑



ということでスマホを開いたわけですが、久しぶりに開いたもので、自分は前どんなことを書いたのだろうと見返してみたら。



\\今日書こうと思っていたことが既に書いてある//





わーお、こんなことってあるんですね
やっぱり自分は自分なんだと思いました。笑

で、書くことがなくなっちゃったんですけど…

でもまぁ、その記事を書いたのも数ヶ月、1年前くらい。考えている本質は同じであっても、そこに至るまでの道のりが大切です。

sumikaさんがチェスターコパーポッドでも言っているくらい。

ヨーホー⚓️🗺

前とは少し違った視点から、書いてみようかな。




(やっと本編)


。.ꕤ………………………………………..ꕤ.。


最近、いいのか悪いのか、私の中で「sumikaが好き」という事実が当たり前になってきてしまっていて…。
日常の中でsumikaを聴く機会が減っていたり、「あ〜sumikaが好きだなぁ、、」と思うことが減ってしまったりと、「sumikaが好き」という気持ちがあることが前提になってしまっていました。


誤解を生みそうですが、別に飽きたとか言うわけでもなく、自分の中で必要不可欠な存在になりすぎて、特別感が無くなってしまっていたというか。


だけど。
その「sumikaが好き」というワクワク感や喜びはやっぱりどこかで眠っていて、ライブ映像を見たりライブに行ったりすると「sumikaに出会えて本当に良かった」と心の底から思い、「sumikaがあることが当たり前になっちゃいけない」と改めて思うのです。

あんなに当たり前じゃないって実感したのにね。
都合いいですよね。


でも、「記憶が大切」というのはそういう事なのかなぁと。





日常がつまらなくて、苦しくて、寂しくて、孤独だと感じたとき。


そこには絶対、眠っていた、忘れていた大切な記憶があるはずです。
自分の中で当たり前になってしまって、気付けなかった大切なものが。


それは人かもしれないしモノかもしれないし、はたまた歌かもしれない。


思い出すきっかけは人それぞれですが、どれも大切な記憶であることは間違いないのです。





分かりやすく例えると
どこに置いたか忘れてしまった家の鍵。
家の中にあるのは確実なのに、最後にどこに置いたのか。

それをふとした時に見つけて、「ここにあったのか!」と思うと同時に、どうしてここに置いたのか、あの時の記憶が蘇ってきませんか。
他のものを持つために一時的に置いた、とか。
急に宅急便が来て無意識に置いた、とか。



日常の景色の中に溶け込みすぎて気付けない記憶



別のものがきっかけで思い出すこともあるし、そこにあったものがなくなってから気付くものもある。「ここから見える景色」みたいだなって思うんですけど。
スペース見つけてそこに何かあったなって気付くんです。





でも、きっかけは何であれ、そこで思い出した自分の大切な記憶(私の場合はsumikaのライブの記憶)があれば、あの時の歌や声、会話や大切な人の顔が思い浮かぶ。
いつだってあの日に帰れます。孤独じゃない。



だからその大切な記憶を忘れないように、何回も何回も思い出して、自分の大切なものをなくさないように。いつでもあの記憶と繋がれるように。



記憶ってそういう事なんだと自分の中で腑に落ちました。




だから、今回のツアーでも片岡さんのMCにあった「物理的に離れていても、同じ歌を歌っていれば孤独じゃない。1人にはさせない」という言葉。


今日一緒に歌ったこの歌を歌えば、今日の記憶が蘇る。歌をきっかけに思い出せる。
幻想でも妄想でもなく、「一緒に歌った」という紛れもない事実。
記憶は忘れてしまうけど、また思い出せばいい。

何回も何回も。






そんなことを思った夜なのでした。

ふぅ、書きたいことは何とか書けた。
伝わるかな、伝わるといいな



前フリの方が長かった可能性も否定できませんが。笑
ここまで読んでくださりありがとうございました😌









記憶、大切にしよう







🏷|#10
リフレイン/sumika









「当たり前が当たり前すぎて気付かない」

これって家族も同じだなぁと。
自分の中でこの環境が当たり前になりすぎて、改めて家族について考える機会もない。
何かの節目や、失ってから気付いたり。

手遅れになるその前に、もう一度よく向き合ってみようかな。


明日の夜は、ゆっくり過ごそう。

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