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勝手に10選〜タイトルに名前が入るイカした曲(THE BEATLES編)〜後編


(前記)

張り切って後半に移る。


・Lady Madonna

1968年にシングルとして発表された曲だ。

実に陽気で力強いイカしたピアノが主軸となるロックである。

曲はポールによるもので、作詞を一部ジョンが手伝っている。
ポールはジョージ・マーティンが1956年にプロデュースしたハンフリー・リトルマン・バンドの"Bad Penny Blues"をヒントにこの曲を制作した。
ポール曰く"ピアノでブギウギを作ろうと思って出来た曲"だ。

イントロのピアノとドラムのブラッシングで、一気に曲に引き込まれる。

歌詞は最初"Lady Madonna"として聖母マリアをイメージしていたが、書いていく過程でリバプールで生活する労働階級の女性達の事を讃える歌う風に変化した。
ポールは"母親、女性に捧げる歌"としている。

ポールによるエルビス・プレスリーを彷彿とさせるボーカルも楽曲に対して冴え渡り、ベースはポールがダビングにより弾いているが同一人物がなせる技か、ピアノと実に見事に融合しており、サックス四重奏、ジョンとジョージによる歪みのギター、スキャットするコーラスなど、見事なグルーヴを見せつけている。

実に気分が高揚するポールの楽曲では筆者にとってフェイバリットな曲の1つである。



・Sexy Sadie

1968年に発表されたアルバム"The Beatles"(通称:ホワイト・アルバム)に収録された曲だ。

作詞、曲はジョン・レノンによる。
ディレイのかかったピアノが主軸となるミドルテンポのバラードであり、この時期にしては実にストレートかつ、お遊びなしの実にソリッドな重厚感がある楽曲であり、イノセントなビートルズによるサウンド、またソロになってからのジョンの作品の香りもする曲である。

ビートルズのメンバーがマハリシ・マヘシ・ヨギに傾倒し、1968年にインドのマハリシ・アシュラムに滞在したのは有名な話であるが、その滞在中に、アメリカの女優であるミア・ファローも修行の為に滞在していた。
ある日、ジョンの耳にそのミア・ファローにマハリシがアプローチしている、という情報が入った。
ジョンは即座に修行を辞め、帰国する事を決意し、怒りのあまりに出来たのがこの曲だ。

いきなりインドを去ろうとするメンバーに対してマハリシは"どうしたんだ?"と尋ねると、ジョンは"あんたに神秘的な力があるなら解るだろう?"と返した。

よって最初、この曲のタイトルはずばり"Maharishi"であり、歌詞の頭も"Maharishi, what have you done?"であったが、ジョージにデマかもしれないから、という提言を受けて"Maharishi"を"Sexy Sadie"に変更し、また主人公の設定を女性にした。
結局はデマであり、ジョンもマハリシも結果的にジョージのアドバイスに救われた事となったのだ。

曲はソリッドにビートルズの演奏が堪能出来る。
楽曲自体の素晴らしさは勿論、コーラスワーク、ジョージのギターなど、メンバーにおける、実にまとまりとグルーヴがシンプルかつソリッドに感じられる曲なのだ。



・Julia

1968年に発表されたアルバム"The Beatles"(通称:ホワイト・アルバム)に収録された曲だ。

1968年にインドにおけるマハリシ・マヘシ・ヨギの元で修行の際に滞在している際に、ドノヴァンも同行しており、ジョンはドノヴァンからギターのスリーフィンガー奏法を教わり制作したのが本曲である。

この曲はホワイト・アルバムの最後にレコーディングされた曲であり、ギター、ボーカル共にジョンのみでレコーディングされた。

ギタリストなら、共感頂ける話だと思うが、アコースティックギターのスリーフィンガーとは習得する事はなかなか難儀な部類に入る。
しかし、このジョンのスリーフィンガーが実に基本に忠実かつ美しい。
例えばポールは独自のツーフィンガーという、恐らく我流であろう、一般的には教科書的に記載される奏法では無いが、ジョンはお手本の様なスリーフィンガーを見事に披露している。 

淡々とスリーフィンガーに合わせてジョンが歌う歌詞の内容は、ジョンの実母であるジュリア・レノンに捧げるレクイエムとも言えるが、歌詞の途中に"Ocean Child"という箇所があるがこれは、海の子→洋子、つまりオノ・ヨーコを指し、実母とヨーコに対する賛歌と言える。

ジョンは5歳の時に両親が離婚をし、叔母の元で幼少期を過ごした。
叔母は躾の厳し過ぎる面もあり、ジョンは実母ジュリアの家に遊びに行く様になる。
ジュリアは元々音楽が好きでバンジョーも奏で、ジョンが音楽に興味を持つと後押しする様に1957年にギターをジョンにプレゼントした。
しかし、1958年に交通事故によりジュリアはこの世を去ってしまう。ジョンが18歳の時であった。
ジョンは、
自分は母親を2回失っている。1度目は両親が離婚をした時、2度目は母親が本当に亡くなった時。人生最悪のことだった。
と語る。

スリーフィンガーの音色と優しく歌うジョン、メロディラインも美しく、母親への想いとヨーコへの想いを重ね合わせた実に素敵なバラードである。


・The Ballad Of John And Yoko

1969年にシングルとして発表された曲だ。

筆者は長年、はてさて何故題名がバラードなのだろう、と疑問に思っていた。
改めて"Ballad"をバラードとして調べてみると、ポピュラー音楽においては、ゆっくりとしたテンポの感情的な曲、となるが、元来はバラッドとなると、イギリスなどで伝承されてきた物語や寓意のある歌のことであり、通常は詩の語りや、語るような曲調を含む、となり、なるほどそれならバラッドとなる。

1969年3月にジョンとヨーコは正式に結婚をし、アムステルダムにて平和活動としてベッド・インを行い、新婚旅行にて訪れたパリにて本曲を制作した。

帰国したジョンは、ポールの自宅に赴き、興奮さながらに、ヨーコと僕の曲を書いたから今すぐレコーディングをしたい、とポールに告げそのままアビイロードスタジオに2人で向かった。

ジョージはアメリカへ旅行中、リンゴは映画の撮影中で不在であったためにジョンとポールによる2人だけのレコーディングとなり、ドラム、ベース、コーラス、ピアノがポール、ボーカルとギターは全てジョンにより、なんとその日にミキシングまで終わらせてしまう。

そんな変わった状況で制作された曲なのだが、実にグルーヴも良く、何よりジョンとポールが楽しそうな印象が伝わってくるのだ。陽気な曲調もあるのだろうが。

まるで、顔とギターを突き合わせてお互いを高め合いながら数々の名曲を生み出してきたジョンとポールが、逆にジョージとリンゴがいない事で、ツーカーであるはずの2人の時間を存分に楽しみ、2人の思うがままに演奏を楽しむ雰囲気が伝わってくるのだ。



・Hey Jude

1968年にシングルとして発表された曲だ。

言わずと知れたビートルズ最大のヒット曲であり、ポピュラリティーの観点からもビートルズといえば、さほどビートルズを知らない人々でも曲名が挙がる1曲であろう。

1968年にジョンとシンシアはジョンとヨーコの不倫が原因で別居状態となる。
その時、既にジョンとシンシアの間にはジュリアンという5歳になる息子がおり、ジュリアンにとっては生まれた時から知る、その辺の親戚より親しいポールがジュリアンを慰めに訪問し、その帰り道に着想したのが本曲である。

最初のタイトルはジュリアンの愛称がジュールスの為、"Hey Jules"であったが、結果的に"Hey Jude"となった。
後にこの曲のレコーディング様の譜面がオークションに出された際に、ポールが自分の為に書いてくれた曲、との理由でジュリアンが自ら落札している。

完璧なバラードである。
メロディラインの美しさ、ピアノを主軸としたタイトでミニマムな演奏、ラストの大合唱、パーフェクトな楽曲と言い切れる。

筆者が気に入っているエピソードとして、歌詞の中に"The movement you need is on your shoulder"というフレーズがあるが、仮でこのフレーズをポールが歌った際にジョンに、このフレーズは重過ぎるから後で変える、と伝えたところ、ジョンが、変える必要はない、最高のフレーズじゃないか、と返し、未だにポールはこのフレーズを歌う度にジョンを思い出すという。

この曲において、プロモーションビデオも兼ねて"デービッド・フロスト・ショー"に出演した映像が有名であるが、リップシンクであり、ジョンはカジノ、ジョージはフェンダーのベースⅥを弾いているが、実際の音源は、ジョンがアコースティックギター、ポールがピアノとベース、ジョージがエレキギターを担当している。

永遠に歌い続けられる大名曲である。


(後記)

この様にビートルズの曲をを別の角度からピックアップする機会は楽しいものであった。
何故かサージェントペッパーズに集中するとは思っていなかった上、ビートルズの活動期間と照らし合わせて中期以降の楽曲が占めたのも興味深いところである。

また、別の角度からビートルズを10選する次第だ。

読んでくださった方々へ
ありがとうございました。

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