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勝手に10選〜70年代 イカしたROCK 洋楽編(後編)〜


(後記)
では、張り切って後編に移る。

・Bohemian Rhapsody
1975年にクイーンに発表されたアルバム”A Night at the Opera"に収録され、同年にシングルカットされた曲だ。

1968年にギタリストのブライアン・メイとドラムのロジャー・テイラーを中心に前身となるバンドであるスマイルが結成された。

積極的にライブ活動を行い、1969年にシングル"Earth"にてデビューを飾るも全く売れずに終わり、ボーカル兼ベースのメンバーが脱退し、分裂状態であった。

そんな時に、友人かつスマイルのファンであったバルサラという人物が、バンドの継続を説得し、自らがリードボーカルとして加入、そうバルサラこそが改名して、フレディ・マーキュリーとなったのだ。

1971年にベーシストとして、ジョン・ディーコンが加入し、バンドとしてクイーンの結成となった。
1973年にアルバム"Queen"でデビューを果たし、以降は数々の名曲をロック史にきざむのだ。

そんなクイーンの代表作かつ大傑作がこの曲だ。

構成を記すと、冒頭に美しいコーラスから始まり、フレディによるピアノの弾き語りに入る。
実に素晴らしいメロディラインだ。
徐々に楽器も増えて重厚感を増しながら間奏に入り、そこにはブライアン・メイによる名ギターソロが控えているのだ。

そして、オペラに突入する。
よくぞ、このオペラをメンバーのコーラスを用いて、ここまでの世界観に至り完成度させている事が実に驚愕であり、クイーンここにあり、という名パートだ。

そしてオペラの次は実に爽快な気分の良いハードロックに転換する。
重厚感かつ疾走感を兼ね備え、ギターリフもハマりにハマり、実に気分も高揚する素晴らしいハードロックによるパートなのだ。

そして最後はフレディのピアノ弾き語りにて、この壮大な唯一無二の名ロックの幕は閉じる。

歌詞であるが、諸説あると思う。あって当然であるが、歌詞は歌詞でフレディの秘密だったり、決めつけはせず、余計な感情を持ち込まず、この素晴らしいロックオペラに身を委ねていれば、それでいいのだ。


・HOTEL CALIFORNIA
1976年にイーグルスによるアルバム"Hotel California"の表題曲で、1977年にイーグルスのシングルとして発表された曲だ。

イーグルスというバンドのルーツは、1971年にアメリカ西海岸を代表する女性アーティスト、リンダ・ロンシュタットのバックバンドとして招集されたミュージシャン達で独立して同年に結成されたバンドである。

1972年にジャクソン・ブラウンと競作したデビューシングル”Take It Easy"がいきなりビルボードで12位を記録し華々しいデビューを飾った。
当初はカントリー色の強いバンドであったが、メンバーの音楽への対するパッションが実に素晴らしく、実に幅広いレンジでその後もロック史に数々の名曲を残した名バンドのなのだ。

この曲は間違いなく代表作であろう。
実にイーグルスにしか表現できないミドルテンポのバラードの大傑作だ。

構成は至ってシンプルでAメロとサビからなる。
シンプルかつソリッドなロックであるが、Aメロでレゲエ調のカッティングにのせ、メロディラインも実に美しい。

サビは実に哀愁が漂いながらどこまでも美しく、コーラスも見事にハマり、アメリカ西海岸の夕暮れに誘ってくれる様だ。

このAメロとサビの緩急が実に素晴らしく、互いを高め合っている。
オケもタイトなAメロと壮大感に溢れるサビの融合が実に見事に融合した、ミドルロッカバラーで絶対に外せない大名曲なのだ。

・God Save the Queen
1977年にセックス・ピストルズのシングルとして発表され、アルバム"Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols "にも収録されている曲だ。

1971年にマルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドがロンドンのキングスロードに"Let It Rock"というブティックを開店した。

1974年にマルコムが渡米した際にニューヨークのパンクバンドでありニューヨーク・ドールズのマネージメントに携わり、イギリスに戻って、新たなパンクバンドのプロデュースを模索する。

その頃はキングスロードのブティックは"SEX"と店名を変えており、店の常連だったスティーブ・ジョーンズとポール・クックが結成したバンドに目をつけ、グレン・マトロックとジョニー・ロットンを加入させセックス・ピストルズは結成された。

1976年にEMIからシングル"Anarchy in the U.K."でメジャーデビューするも、素行不良によりEMIから契約を解除され、最終的にヴァージンから唯一のアルバムとなった"Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols"を発表した。

この曲であるが、実にタイトで疾走感を持つイカしたロックだ。

一般的に、ピストルズといえばシド・ヴィシャスのイメージもあって音楽は破茶滅茶な思い込みみたいなものがあるのかも知れないが、実にしっかりと計算、アレンジを用いて曲を制作している。

パンクバンドの多くは曲が似ているせいで、歌詞が無かったらなかなか区別がつきにくくなってしまうが、ピストルズの曲は、しっかり各々の個性が存在する。

この曲の録音時にはベースはグレンが脱退し、シドが加入していたが、やはりシドのテクニカルな問題から、スティーブがベースも弾いている。

構成はAメロ、Bメロ、サビから構成され、スティーブのギターもソロを含め非常に素晴らしい演奏であり、ドラム、ベース、そしてジョニーのボーカルによって、セックス・ピストルズの世界観が構築されており、当時のイギリスに対するアンチテーゼは言葉遣いは悪くとも、満更トンチンカンなことを歌っている訳ではない。

ピストルズを、そしてパンクというジャンルを代表する、実にイカしたロックなのだ。

・MY SHARONA
1979年にザ・ナックのデビューシングルとして発表された曲だ。

1978年にザ・ナックはロサンゼルスにて結成された。

1979年にアルバム”Get the Knack"でデビューを飾ると、いきなりビルボードの6週連続1位を記録し、このアルバムからのシングルカットである本曲もビルボードで5週連続1位、また年間チャートでも1位を獲ってしまう離れ業を成し、をデビューがら大ブレイクを果たした。
しかし、その後はヒットに恵まれず、いわゆる”一発屋”の代表的なバンドとなってしまった。

曲は軽やかで粋なドラムから、この曲の象徴であるギター、ベースのリフから幕を開ける、
構成は Aメロ、Bメロ、間奏と至ってシンプルなのであるが、殆ど主軸はこのリフである。
ギターとベースがリフを連発連打することで、妙な間というか一瞬の無音が生まれ、その間ですら曲に取り入れてしまうロック史に残る名リフである。

しかし、このリフに乗っ取った最初の間奏と、最後にリフを排除して自由奔放に演奏するパートを幾分長めに演奏することにより、実にメリハリを緩急をつけているところは流石である。

聴いていて、何か楽しくイカした独特の世界観を持つ名曲なのだ。

・Layla
1971年に発表されたエリック・クラプトン率いるデレク・アンド・ザ・ドミノスのシングルだ。

筆者はこの70年代の項をリリースされた順にここまでは記してきた。
しかし、この曲は最後に記すと決めていたのは、70年代を語る上で、この曲の後に記す曲があるのか、という筆者の思い入れである。

1963年のヤードバース加入からエリック・クラプトンのメジャーなギタリストとしてのキャリアをスタートさせるが、流浪のギタリストであり様々なバンドに加入したり、参加したり、結成したかと思えば即座に解散したり、と自身のギタリストとしての在り方を探求し続けているのがエリック・クラプトンなのだ。

この曲は、そんなクラプトンが1970年に結成したデレク・アンド・ザ・ドミノスの曲だ。

当時クラプトンは厄介な恋をしてしまった。
相手はあろう事か親友であるジョージ・ハリスンの妻であるバディ・ボイドだったのだ。

親友と愛する女性、様々な深い葛藤の中で曲で自身の愛を表現するしかなく、この大名曲が誕生したのである。

ロック史に、ギター史に燦々と輝き続けるギターリフ、心の叫びが曲にボーカルに乗り移って、その狂気寸前の激しさ、勢い、切なさ、ピュアな感情を持って生まれるしかなかった大名曲なのだ。

ラストのピアノに乗せた、映画のエンドロールの様なパートも実に見事に華を添えている。

感情というものが、ストレートに楽曲に反映されて、乗り移って、尋常では生まれなかったであろうロックの大傑作なのだ。

(後記)
この項を書き始める前は、はてさて書き切れるのか不安であった。

そんな事は全く無かった。実に懐かしく楽しい時間であった。

ビートルズが居なくなって始まった70年代。
そのロック史の多様化が実に面白い時代なのだ。

また、70年代も考察したい。

読んでくださった方々へ。
ありがとうございました。

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