
水球と僕のこれまで、そしてこれから
はじめまして。志賀光明です。
これが僕の初めての投稿になります。このnoteでは、僕が歩んできた道、今考えていること、そして未来に向けた挑戦について、少しずつ綴っていこうと思います。
まずは
簡単に自己紹介です。
群馬県前橋市の出身で
1991年9月16日志賀家の次男として誕生しました。
母(水球界では有名なあの母)がスイミングスクールの先生をしていたため、生後3ヶ月からプールで教育をされていました。
そして8歳ごろに水球と出会いました。
小学と中学は群馬ジュニア水球というクラブチームで何度も日本一を獲得し
高校は、群馬県立前橋商業高等学校に進学し
寝るか水球するかの3年間を過ごしていました。
その後、日本体育大学に進学しました。
もちろん水球漬けの日々を送り
卒業後は海外に挑戦をしました。
クロアチア、フランスの2カ国でプロ選手としてクラブチームに所属していました。
2016年 リオデジャネイロ五輪
2021年 東京2020五輪
に出場しました。
【水球をやめる決断をした日】
東京オリンピックに出場後、自分の進退について考えました。
水球は僕にとって人生そのもののような存在で、試合や練習に明け暮れる毎日はまさに青春そのものでした。
しかし、いつか「このまま水球だけで生きていくのか?」という疑問が自分の中で大きくなっていきました。水球を続けるか、新しい一歩を踏み出すか、悩みに悩んだ末に、僕は水球を離れる決断をしました。
【焼肉屋でのバイトと一般企業での経験】
水球をやめてから、最初に働いたのは焼肉屋のアルバイトでした。水球の厳しい練習と試合で鍛えられた体力がここでも活かせるかな、と思ったのですが、飲食業界は予想以上にハードでした。接客や厨房での仕事を通じて、人と接する楽しさや、物事を支える立場でのやりがいを感じることができました。
その後、一般企業での仕事にも挑戦しました。まったく違う環境に戸惑いながらも、チームでの仕事や組織の中での役割を学ぶことができました。水球しか知らなかった自分が、新しい世界で多くのことを吸収し、成長できた経験は、今でも大切な財産です。
【もう一度、水球の世界へ】
社会人として働く中で、ふと「やはり自分には水球が必要だ」という思いがよぎるようになりました。水球から離れてみて改めて分かったのは、自分にとって水球は単なるスポーツではなく、自分の人生そのものであるということ。そこで、今度は選手ではなく、指導者として水球界に関わっていこうと決意しました。
現在、僕は水球の指導をしながら、もっと多くの人に水球を楽しんでもらいたい、日本の水球を盛り上げたいという気持ちで日々活動しています。
夢は「日本水球プロリーグ」設立
指導者として活動していると、日本の水球界が抱える課題も見えてきます。その中で僕が感じたのは、「水球がもっと注目され、子どもたちが憧れるようなプロリーグがあれば、水球の未来はもっと明るくなるはずだ」ということです。
僕の夢は、日本に水球のプロリーグを作ること。これは簡単な道ではないと分かっていますが、それでもこの夢を実現するために、今できることから始めています。水球の魅力を広め、支えてくれる人を増やし、いつかプロリーグが実現する日を目指して活動していきます。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。これからもnoteを通して、自分の挑戦や水球界への思いを発信していくので、応援よろしくお願いします!