小さいけれど、ふたつの一歩を踏み出した 〜『人生を豊かにできる人は「何事も楽しむ」姿勢がある』を読んで
こんにちは!
メモ魔塾特進科「孔明クラス」のおかまりです。
現在、メモ魔塾特進科開催されている「Mリーグ」。
私は、「他のクラスの方のnoteを読んだ感想や気づきを、勝手に取り上げてシェアする」という方針でnoteを書いています。
(今更ですが、「Mリーグって何?」という方のために、クラス長が「Mリーグとは」という記事を書いてくれました。「リンク貼って使ってね」、との言葉が添えられていて、Mリーグの解説をきちんとしないわたしのような人間がいることも、お見通しのようです。)
さて、本日わたしが取り上げるのは、孔子クラスのこちらの記事。
こちらは孔子クラスの最初のnoteなのですが。
さすが、孔子の次の言葉で始まっています。
(引用)
「何事も楽しんでやりなさい。楽しんでやることで、思わぬ力が発揮されるものなのだ」
そしてこの言葉が、
「誰が言ったかわからない」という状態よりも、
「孔子(=すごい人)が言ったとわかった状態」のほうが、
俄然説得力が増すとして、その理由を次のようにまとめています。
(引用)
昔の言葉が時を超えて現代に受け継がれているのであれば、その言葉は多くの方の道しるべになるもの。
今が辛い状況にあったとしても、楽しめる芽を見つけることができるかどうかは、人生を楽しむための秘訣になりそうです。
この記事を読んだわたしの気づきは次の2つです。
❶「楽しいほうに行くべき」という材料集めを、自分がしていること
わたしの今の仕事が楽しいかというと、「楽しいと思える時もあるが、心の底からわくわくすることは非常に少ない。」という状態です。
「やりがいがある」とか、「生きていくために必要」とか、「これまでお世話になった人がたくさんいる」とか、どこかで「辞めない理由」を盾に過ごしているのではないか、という思いが常にあります。
今回この記事に手が伸びた(クリックして読んだ)のは、
『人生を豊かにできる人は「何事も楽しむ」姿勢がある』、というタイトルに、
豊かな人生にするためには、「楽しむこと」を重視すると良い。(だから楽しいと思えることをやろう。)
という、カッコ内のようなメッセージを、自分が求めていたからだと思います。
そういう言葉を意図して選んで、自分の中にどんどん蓄積して、
「ほら、やっぱりわたしの居場所はここではない。」
というための材料集めを日々しているんだなと、改めて気づきました。
いい加減、自分自身の仕事や生き方に向き合います。向き合った結果、「このまま」という選択をしたとしても、胸を張って言えるものにしたい。
期限を3か月にします。3か月後、ここの場所か、個人のnoteで、その結果を書きたいと思います。
メモ魔塾特進科には、そのためにいるのだから。
❷歴史を学ぶことの意義を初めて実感した
もう一つ。偉人の言葉を、わたしはほとんど知らないなと気づきました。
おそらく、昔から歴史が苦手だったからかと思います。
ものを覚えることが苦手で、歴史のテストはいつも苦戦していました。
できないから、やらない。
やらないから、できない。の負のスパイラル。
その分理科系科目が好きで得意だったし、正直社会人になっても、歴史ができないことで不自由な思いをしたことがなかったから、「歴史ができない」ことを放置していました。
(常識を知らない奴だ、、と思われたことは、何度もあったと思う。)
今回初めて、歴史を学ぼうとしなかったことで、私の人生にプラスの影響を与えてくれたかもしれない言葉たちとの出会いを、遠ざけていたのかもしれないと気付きました。
「昔の出来事を学ぶことは、今の時代を生きる上で不可欠です。」
という日本史の先生の言葉は全然響かなかったけど、
「現代まで受け継がれている昔の言葉は、今を生きる道標になる。」
と言われると、歴史の本を読みたくなります。
生まれて初めて、歴史を学ぶモチベーションが湧いた瞬間でした。
学ばなくては、知らなくては、でなく。
知りたい、という気持ち。
さっそく、「三国志」の本を図書館で借りました。
最後に
この記事を読んで、わたしは昨日までの自分より、2つのことを、前に進めました。
❶自分の仕事に対する姿勢に向き合うことに、期限を決めた
❷歴史を知ろうと思い、本を借りた
小さいかもしれないけれど、一歩踏み出すきかっけをくれた孔子クラスの方、どうもありがとうございました。
≪クラス長による孔明クラスの戦略はこちら≫