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残された者が受け継ぐ責任~安倍晋三元総理銃撃事件
note「日本は『分断しない社会』なのか?」で米国の銃規制問題を取り上げて、「日本国内で本物の銃を目にすることはほとんどなく……」と書いたばかりの7月8日、信じがたい事件が起きました。
https://note.com/s_kohyama/n/nf6f33a66547c
白昼堂々、しかも聴衆やマスコミ等が集まる参院選の遊説活動中、安倍晋三元総理が銃弾に倒れました。報道陣のカメラ、聴衆のスマホ等によりその瞬間が収められ、繰り返し報じられています。米国のケネディ大統領暗殺を想起させるような事件が、日本国内でも起きてしまいました。地元紙・熊本日日新聞でも号外で報じたほど、国内外を震撼させた事件です(写真:熊本日日新聞号外)。
銃による事件の中で、私にとって今でも鮮明に記憶に残るのは、2007年、長崎市の伊藤一長市長がやはり自身の選挙期間中に銃弾で尊い命を失くされたこと。当時、九州市長会長を勤めておられ、私にも要職を託されたことから、親しくさせていただいていただけに、その知らせが届いた時にはとても強いショックを受けたものです。安倍元総理とは、少し言葉を交わした程度ではありますが、このような形で死を迎えられたことに、強い憤りを覚え、やるせない気持ちを抑えることができません。
安倍元総理は、『国民にとって好き嫌いが、はっきりと分かれる政治家』と評されることがありました。私自身も、彼の政治手法をあまり好ましくは思っていませんでした。「こんな蛮行は決して許されない」「民主主義に対する冒涜」「暴力による言論封殺は許されない」等、この事件は発生直後からさまざまな角度で捉えられていて、私も同じ気持ちでいます。その上で、私自身も長く政治の世界に身を置いてきて「政治家はその立場を離れたとしても説明責任から逃れられない」そう感じてきただけに、その機会が突如として失われたことは残念としか言いようがありません。
歴代最長の総理大臣としての在任期間中、アベノミクスや集団的自衛権の行使等、現在にも繋がる数々の政策を実行して来られました。これからも果たすべき責任はたくさんありました。それが突然、こんな形で終わりを迎えることとなり、ご本人もさぞや無念だったに違いありません。その責任は残された者が受け継いでいくしかありません。残された者とは政治家だけを指すのではなく、私たち一人ひとりという意味です。まずは明日の参院選で票を投じることから始めたいものです。
事件の背景や経緯を明らかにすることで、なぜこんな悲惨な事件が起きてしまったのか、再び繰り返さないためには、尊い命の代償としてまずはやらなければならないことでしょう。心からご冥福を祈りたいと思います。