自分らしく、死と向き合う
ある方から薦められ、故石原慎太郎氏の絶筆「死への道程」を読みました。6ページほどの短い文章。余命3カ月を告げられた直後に書かれたもので、句点はほとんどなく、まさに息が詰まりそうでした。強いイメージの氏は、最期に死を受け入れることができたのか、私などにわかるものではありません。
子どもの頃、私は死が怖くてたまらない時期がありました。暗闇が怖くて、夜、布団に入っても、なかなか寝付けないばかりか、真っ暗では眠れない夜もありました。はっきりとは思い出せないものの、物心ついた頃から小学生くらいまで。結構長く続きました。その頃、私にとっての死後は、真っ暗闇で何もない世界。面白いことや、楽しいことが、一瞬にして消え失せ、暗闇に一人取り残されるような感覚に違いないと信じていたのです。
成長するとともに怖さは薄れ、死について考えることは、ほとんど無くなりました。身近な人との別れがあっても、悲しくはあるものの、怖くはない。他者の死を受け入れるようになっても、我がことと捉えることはありませんでした。
6年前に母を、1年前には父を亡くしました。母の場合認知症が進み、まずは母自身の記憶が薄れ、次第に体力も衰えていき、少し早い別れになりました。父の場合は、90年近く生き抜いたものの、亡くなる2カ月ほど前に入院した時には、亡くなるということを考えてもいませんでした。おそらく父自身もそうであったろうと思います。両親の死を通して、生死の境をどうやって越えるのか、我がこととして向き合う機会を逸してしまったのかもしれません。
死は誰もが経験すること。確かにそうです。自然災害や不慮の事故など、死はいつやってくるのかわかりません。だからこそ、心構えも含めて準備しておくことが大事なのでしょうが、子どもの頃のように眠れないことはなくなっても、死に臆病な私には、今でも難しいことのように思えます。
なので、死を考えるのではなく、生を考えることにしています。「今を考える」「この瞬間を大事にする」せめてそうありたいと思っています。それが私の『死に対する向き合い方』なのかもしれません。