他者と向き合うということ
突然ですが、あなたには何でも包み隠さず話せる相談相手がいますか?
親子、夫婦、親戚、友人、上司、先輩、恩師、医師、カウンセラー等が考えられるのかもしれません。全く見ず知らずの人の方が話しやすい場合だってあるでしょう。いずれにせよ、そんな人がいるのは幸せなことではないかと感じることがあります。
何かしら他人には知られたくない秘密を持っている人、劣等感に苛まれてどうしようもない人、不安でたまらない人は少なくないと思います。それが自分の心の中で消化できている間はいいのでしょうが、いつの日からか重荷となり、耐えられないと感じるようになったとき、慌てて相談相手を探そうとしても急に見つかるものではありません。胸襟を開いて話せる人、気の置けない存在は貴重です。
それでは何でも相談できるのはどんな人なのでしょう?
共感力の高い人?
何かアドバイスを求めているというより、ただ気持ちを聞いてほしい人もいます。
そんな人には気持ちを理解した上で寄り添うだけでいいのかもしれません。
共感だけでもいけない?
人によっては、打開策を探ろうと模索し、救いを求めている人もいます。
そんな人にとっては、ただ共感するだけでは、なんの解決策にもつながりません。
客観的なアドバイスも時には必要なのでしょう。
人によって異なるし、たとえ同じ人であっても、その時の心持ち次第で必要とされる対応は変わるのかもしれません。私はこれまで心理学などを専門的に学んだことはなく、どちらかといえば人の心を読むのは苦手だと思っています。気付かぬうちにこれまで多くの人を傷つけてきたことだってきっとある。
「だからこそ…」ではありませんが、誰かにとって必要とされる存在になれれば、それは望外の喜びであり、今の私にとっての目標の一つになっています。
あるNPO団体での、社会的養護のもとで育つ若者たちの自立を支援する活動を通して、そんなことを感じています。他者と向き合おうとすると、これまでいかに自分自身と向き合ってこなかったのかが見えてきます。
誰かにとって頼りになる存在、とても難しいことですが、頑張ってみようと思っています。
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