歴史的転換点を生んだゴルバチョフの時代
旧ソ連の最後の指導者、ゴルバチョフ氏が91歳で亡くなられました。私にとっては、数多くの政治家の中で、もっとも記憶に残る一人になります。
1985年から1991年まで共産党員書記長
1988年から1989年まで最高会議常任委員長
1989年から1990年まで最高会議議長
1990年から1991年までは大統領
共産党員書記長に就いてから6年間、旧ソ連で実質的な政治指導者を務めましたが、もっと長期にわたっていたような錯覚を覚えました。それほど、それまで誰も手を付けてこなかった課題に取り組み、中身の濃い仕事をしてきたのだともいえるのでしょう。
●ソ連の維持と社会主義の理想にこだわりながら、1986年のチェルノブイリ原発事故以降、大幅な改革に取り組む
●アフガン戦争からの撤退、核兵器の制限と冷戦の終結に乗り出す
●国内では言論・報道の自由を認める『グラスノスチ(開放)』政策
●経済の意思決定を分散して効率化を図る『ペレストロイカ(再構築)』
●民主化政策や選挙で選ばれる『人民代議員会議』の設立
●1989年から1990年、東欧諸国がマルクス・レーニン主義の統治を放棄した際には軍事的な介入を断念
●国内では民族主義的な感情が高まり、ソ連崩壊の危機を招き、1991年にはクーデターが起こる
●結果、ゴルバチョフ氏の意に反してソ連は解体され、同氏は辞任
●退任後は『ゴルバチョフ友好平和財団』を設立し、世界に影響を与え続ける
自らは退任するも、実際に東西冷戦の終焉を迎えることになり、新たな時代が始まりました。私はちょうどその頃に社会人となり、しばらくして政治を志すことになったので、今更ながら意識せずとも少なからず影響を受けてきたことを感じています。
「政治家は歴史という法廷で裁かれる被告」と語った政治家がいましたが、歴史的な転換点を生み出した人物であるがゆえに、その裁かれ方は、普通の政治家に比べればかなり厳しいものになっているようです。
ロシアのウクライナ侵攻や米ロ、米中の対立、EUからの離脱問題など、現在の世界で起きていることは時計の針を戻したかのようでもあります。第一線を退いた後のゴルバチョフ氏は、ロシアでは人気が低くても、西側諸国では高い評価を受け続けてきた言われてきました。日本にも講演等で何度も訪れ、メディアからの取材に応じ、『徹子の部屋』にも出演されたことがあるとのこと。現在世界情勢をどのように捉えているのか、肉声を聞くことは叶わなくなりました。
過去の政治家を単に法廷に立たせるだけでは、意味がなく、進歩もありません。世界は再び時代の転換点立ち、今後の進むべき方向性を、歴史の検証から紐解いていく必要がありそうです。
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