決して『後回し』にしない
子どもの頃の私の癖は、すぐに『後回し』にしてしまうことでした。夏休みの宿題が典型的な例で、始業式まで残り2~3日になってから慌てて手を付けるのは毎年のこと。日記・絵日記などは1カ月を超える量をまとめて書くことになるので、過去の新聞を引っ張り出して、当日の出来事や天気を確認しながら、思い出し思い出し書いたものです。
恥ずかしながら「『後回し』は私の悪癖である」と認め、自分でもかなり気をつけてきました。
最近では特に、気がついたこと、こうした方がいいと感じたことについては、よほどのことがない限り、思いついたその時に実行に移すように心掛けています。予想よりも遥かに簡単に済ませることも多く、次にやるべきことが見えてきます。何かを後回しにしてしまうと、そのことが気がかりとなり、他のことになかなか集中できないこともあります。大袈裟かもしれませんが、生産性を上げるためにも、安易に先送りしない方がいいと思っています。
そして「時間がない」は、単なる言い訳に過ぎないと肝に銘じています。時間がないから、やれない、やらない、ことはほとんどありません。元々やる必要のないことも中にはありますが、早めにやるかやらないかを決めてしまう。他者との関係性があることならなおさら、早めにその旨を伝える。どうしても「 今はやれない」場合には、スケジュールを決めて実行するなど。いわば『時間の断捨離』のような感覚です。
子どもの頃を思えば、私にとって『時間の断捨離』は大きな変化なのですが、そのきっかけは熊本市長という重い責任を12年間も経験させてもらったこと。日々、先送りが許されない、最終的な判断を求められました。内部で相談し、どんなに議論を重ねても、100%の確信が持てないことだってあります。それでも判断を求められる。判断したことには責任が伴い、批判を受けることだって少なくはありません。先送りすることで、一時的に自らの責任を回避することができたとしても、事態は悪化することはあっても改善されることはないと考え、自らの責任で期限を決めて判断をする。そんなことの繰り返しでした。
私にとって、もっとも難しい判断の一つは『こうのとりのゆりかご』の設置許可であったことは、これまでも何度か言及してきた通りです。
その経験に加えて、最近では、おそらく年齢的なものが影響しているのかもしれません。この齢になると、両親を含め、身近な人との永遠の別れが増えてきました。あのとき、「ああしておけばよかった」「言葉に出して伝えておけばよかった」「せっかくのお誘いを断らなければよかった」等々、『後悔先に立たず』の連続で、先送りしないことを、あらためて心に刻む日々です。
そんなことを考えながら、あらためてデスク周囲を見回すと、整理を後回しにしている書類の山々。どうやら、子どもの頃の癖は、今もまだ残っているようです。
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