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【美術史学と社会心理学】20 杉本通信~読書録1~

こんにちは

川内北キャンパスと、川内南キャンパス側にある図書館の間の道路。これを前方に下って行くと国際センター、後方に山を登って行くと理系の青葉山キャンパスがあります。
撮影日もめちゃくちゃ雨が降っていました。

降り続く雨と、それに伴う寒さに耐えかね、12月目前にして、最近とうとうダウンを着始めました。みなさまはいかがお過ごしでしょうか。

仙台の空気って、宮城県外から帰ってくると実感するほど澄んでいるのですが、やはり冬になると別格です。
そんな澄み切った空気も相まって、もっと北の地域と比べれば仙台なんてまだまだ、かもしれませんが、関東出身の私からすると「肌を刺す」とか「身を切る」といった表現が言い得て妙だなあ、と心から思うような寒さです。

仙台に住み始めて数年になりますが、なかなか慣れないこの寒さ。
今年も無事乗り切るべく知恵を絞りまくりたいと思います!!!!!

今回の話題

さて、今回の話題は「読書」についてです!
秋は終わりましたが、寒くて家に籠りたい今の時期こそ読書にはもってこいではないでしょうか。

また、研究を頑張り、論文を書き続けていても、時々息抜きが必要だったり、違う視点に触れてみたいと思うことがあるでしょう。杉本もその動機を、論文を書き終えた後でこんな風に綴っています。

禁断症状で、心の栄養素となる本が読みたくなる。自分自身にとっての成長の糧…哲学や思想に関係するものである。

(杉本通信(23)2016年3月15日号)

今回は、そうして挙げられた杉本の読書録の内の一冊に焦点を当て、みなさんにご紹介します!


小坂井敏晶『社会心理学講義』

読書録のうち私が興味を引かれたのは、筑摩書房から2013年に出版されたこの一冊。

美術や歴史、哲学など広い視野で見ても、「美術史」とは結びつきにくいのでは?と思われる、「社会心理学」についての書籍です。

著者の小坂井氏は1956年生まれで、現在はパリ第八大学の准教授だそうです。
杉本は読後、社会心理学を研究する著者の課題と自身の課題の共通性について、こんな風に述べています。

 その課題(※タタミ注:小坂井氏の課題)は「日本における同一性の維持と変化について」。簡単に言えば、
 「西洋の植民地にならなかったのに、どうして日本に西洋化が起きたのか。」
 「外国人の少ない閉ざされた日本の社会が、どうして開かれた文化を持つのか。」
 ということだ。では、私の課題はと言えば、
 「江戸時代の人々はいったい中国のどのような面に関心を抱き、何を学び取ろうとしたのか」
 なのである。著者風に言い換えれば、
 「中国に支配されたこともなかったのに、どうして日本に中国化が起きたのか。」
 「鎖国によって閉ざされていたのに、どうしてあれほど的確に海外の文化を取り入れたのか。」
 となる。このようにパラレルの関係で捉えれば、著者が語る内容、出した結論がことごとく江戸時代に応用できるわけである。おかげさまで、「鎖国」とは何であったのか、という問題に違う視点を持つことができた。
 「鎖国」とは国を閉ざしていたわけではない…、海外からの情報を絞って取り入れるためのシステムだったのだ、と…。

(同上)

社会心理学における一つの根本的な課題が、美術史学にも同じ形で当てはまるんですね。

ちなみに、この最後の「鎖国」の部分について補足すると、杉本は「鎖国」を高校以前の日本史で習うような「情報統制(=不当なものを排除する)のため」という表現では言い切れないもの、と捉えています。
つまり、日本は、必要な情報だけを選んで拾っていく能力が乏しかったため、その能力を得るまでの間、海外からむやみやたらに情報を取り入れて情報の洪水を起こすのではなく、合理的に情報の入り口を狭めることで、国の安定化を図っていた、と考えています。

前回、丁度インターネットと情報の扱いについてお話ししました。
情報って簡単に手に入れば便利なものですが、多すぎても混乱しますよね…。それをいかにうまく扱って、いかにうまく必要なものだけ取り出すかが、江戸時代にも国家レベルで課題となっていたということでしょう。
(少し話が反れましたが…)

さらに、現代の研究・学会における問題点についても共通性が見られると指摘しています。

 面白いことに現代的に行われている「社会心理学」の方法論、つまり「社会・文化・歴史と独立に人間の普遍的な心理過程がまずあり、社会状況に置かれると人間の行動はどう変化するのか」という研究手法の前提に対し、著者は手厳しく批判を加える。
 いまの「社会心理学」は、「個人の合理的な判断を社会や集団が誤らせる」とか「心理プロセスが独立して存在すると了解され、それにバイアスをかける攪乱要因としてのみ社会環境が考慮される。」というように、まず健全な個人というものがあると想定し、その発露が社会によって阻害されるという考え方に立っているという。
 筆者は「人格や意志が行動を決定するという西洋近代が生み出した個人主義的人間像が人間の実情に合っていない」としたうえで、
 “社会を構成するのは人間です。したがって人間心理の理解抜きに社会の仕組みを把握できるはずがない。同時に、社会性を離れて人間はありえない。だから社会の構造や機能を考慮しなければ心理現象は理解できない。”
 との立場をとる。
 (中略)
 社会性を離れて人間はありえないのだから、その時代の社会の構造や機能を考慮しなければ絵画という現象も理解できまい
 「天才」だから、「奇人」だから、というだけでは答えにもなっていない。そこで止まっているようでは美術史の発展はない。よって、彼らがいかに「天才」であったか、という言説ももう必要ない。

(同上)

現代の「社会心理学」の手法は「個人」にスポットライトが当てられ、「社会」はその外から光を遮ったり横やりを入れたり、「個人」の環境(=心理)に変化を与える存在でしかない。
しかし、社会と人間は切っても切り離せないものであるため、どちらか一方を無視して考えるのは不可能だ、ということでしょう。

杉本は、現代の「美術史学」にしばしばみられる「天才だったから、この画家はこんな風に上手な絵を描いた」「奇才だったから、狂気ともとれる驚きを与えるような絵を描いた」という論(もしくは美術館展覧会などの誘い文句)を、この著者の批判と照らし合わせて見ています。
ただ単に「その画家個人が特異な才能を持っていた」で済ませてしまうのは、上でいう「個人」のみにスポットライトが当てられた状態です。
これでは不十分であって、その画家もその当時の社会から生み出された存在であるため、やはり社会と切り離さず対にして考えていくべきだと考えています。


心理学は、区分的には一応美術史学と同じ「人文科学」に当てはまります。
ただ私には、はじめにも書いた通り、どうしても両者は遠い関係にあるという認識がありました。

しかし、やはり「人間とは何か」という共通する目的に向かって研究している以上、当然共通することがあると実感しました。それも、現代の研究手法の向かう先まで(危惧すべきことに)一緒なのは驚きでした。

「視点を変えて考えてみる」というのがいかに必要かということ、あるいは「思いがけないことでも自分の研究にいつか繋がってくる」ことがわかりますね。今回の主たる部分はそこではありませんが、やはり研究、それも人文科学として美術史を研究するっておもしろいなあと思います。


その他の読書録

『社会心理学講義』のほか、「杉本通信」で取り上げられた書籍を簡潔にですがご紹介します。

○杉本鉞子『武士の娘』(ちくま文庫、1994年)

越後長岡藩家老・稲垣茂光の娘であった鉞子(1873~1950)が、渡米中に書いた『A Daughter of the Samurai』の翻訳本。江戸時代当時に生きた人の「主観」に自身の「主観」でもって突っ込むことで、自分がいかに「主観的」であるかを「客観的」に知ることができる本だとする。

○伊丹敬之『創造的論文の書き方』(有斐閣、2001年)

「書き方」といっても、文章の哲学、文章の思想について述べる。先入観をに囚われないようにするため、先に先行研究を読んで知識ばかりをつけず、自分の頭で考えることの必要性などについて触れており、杉本自身の考えと合致する部分が多かった本だとする。


ありがとうございました

改めて読書の可能性と必要性をよくよく実感しました。

よろずさんは以前の記事で積読状態と言っていましたが、私も中学生までは大量の本を読んでいたにも関わらず、高校に入ってからは大して読書をした記憶がありません。

しかも、以前の私にとって読書は現実逃避の手段であって、より現実的な随筆や哲学書のおもしろさは全く理解できていませんでした。

基本的にフィクションばかりで、哲学書はおろかエッセーも全く読まず。
高校の授業で扱われる古文・漢文も、『堤中納言物語』や『平家物語』などは物語として楽しみ、本まで買って読んでいた一方で、『徒然草』『枕草子』や孔子などは問題文として出ても解く気すら起きなくなってしまうほどでした…(笑)

美術史を通してたくさんの思想哲学や宗教観、社会性に触れている今、そして年齢的にも社会との関わりが増えてきている今、そういうものこそ面白いし大事だなあと感じるので、今回ご紹介したような本に興味を持って触れてみようかなと思っています。

それでは、今回はこのへんで。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました!!
また次回もよろしくお願いいたします。


【今週の授業まとめ】


○近世絵画史


「京都と円山派」第二回目。今回は、前回の円山応挙につづき、その門人たちについて学びました。
応挙らが担当したと言われている妙法院・御座の間の襖絵や、長沢蘆雪ら門人の筆、合理性を重視する描き方に着目して作品を見ていきました。


○研究演習

前回までの粉本整理が終わり、今回は毘沙門天の図像を三点集め、そこから得られる情報を発表できるところまで持っていく、という目標のもと観察しました。

毘沙門天の知識は本当に基本的な部分しかなく、かなり難しく感じました。仏像の服制についてのキャプションなども含め、仏教美術を専門に研究する先輩に教わりつつ進めていきました。


○作品比較

今回比較した絵画

今回のお題は「虎」。どちらも渡辺秀詮筆「虎図」とされているものです。特にどちらが毛がよく表現されているか?立体的に見えるか?虎としての生物的な自然さが著されているか?について、筆の遣い方によく着目し、なぜそう見えるか?の理由が論理的に説明できるよう、それぞれ発表しました。


【参考】


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