見出し画像

【「進歩」を目指して】24 杉本通信~読書録2~


クリスマスイブの朝、研究室のある4階・パソコン室から。この日も雪予報でしたが、よく晴れました。


こんにちは

今日はクリスマスですね。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

ホワイトクリスマス以前に、最近は数日おきで雪が降っており、カーテンを開けるのが楽しみな毎日です。
(洗濯物は乾かないし、自転車登校が危ぶまれるし、降ったら降ったで大変なのですが…。)

今週の授業は今年最後の回であり、もう一年が終わるんだなあ…と年の瀬が強く意識させられました。
この一年を通してどの部分が成長できたでしょうか。
私としては、自分は少しでも文章が上手くなっているといいなあと思うのですが…(笑)


今回の話題

さて、今回は!
先日第一弾を掲載しました「読書録」の第二弾です。

杉本が読み、考えを綴った本の中から、今回は赤祖父俊一『知的創造の技術』(日経プレミアシリーズ 2013年)をご紹介します!

上記のような感じで、今は一年の成長を鑑みる時期ですが、
特に研究において、成長や進歩には「異なる視点から見る」ことが必要です。(前回の読書録でもこの点について取り上げました。)

それでは、
人生というもっと長いスパンで、
自身の研究史よりもっと大きい「研究界」「社会」の中で考えたとき、
どのようにすれば発展に貢献する役目を担えるでしょうか?

今回は、この点について考えていきます。


創造的研究への道のり

杉本は、この本の概要を
「すでに当たり前となっている学説にどのような革命をもたらすか…という『パラダイム転換』の話」
とまとめます。

パラダイムとは、科学哲学者のトマス・クーンが唱えた語で、考えの「枠組み」を指します。

「当然のように思っていた考えの『枠組み』が、ある研究者の説によって否定され、乗り越えられる。
それがまた新たな『枠組み』となり、我々はそれを当然のごとく思うようになる。
この状況を『枠組み』が移行した、変わった…ということで『パラダイムシフト』『パラダイム転換』と呼んでいる」…、
杉本は「パラダイム転換」をこのように説明しています。

自分も社会も「当たり前」として捉えていたところに疑問を投じていく、それが研究のあるべき姿ですが、
疑問を抱く余地がなかったからこそ今まで「当たり前」になっていたわけです。

そこの疑問にたどり着くまでに、以前挙げた方法が、本や「外圧」によって「異なる視点から見る」ということですが、
より長い目で見たとき、研究界や研究を還元する社会を考えたとき、
どんなことをしていくべきなのか?

本書を踏まえ、杉本は以下のように述べています。

 いずれ「パラダイムシフト」を図るような研究ができれば良いのだが、そのような創造的研究は、どのような状況から生まれてくるのだろうか。

 “科学における大きな進歩は、困難な問題において突破口を発見することであるが、科学創造とは「2つまたはそれ以上の事実または理論を統合すること」であり、企業における新製品の創造と、その定義は全く同じである。
 そう述べると、現在止まることなく狭い分野に専門化していく科学の世界では当惑する科学者が多いと思うが、当惑すること自体、「科学をする」ということの本質を理解していないことによる。
 いま、大学の教育では専門知識を詰め込むことに精一杯で、創造、そして創造的研究というものを教える機会がほとんどない。”

 けっきょく、今井むつみ氏の著作(※)でみた「物事に取り組むうえでの耐久力」と「マンネリに陥らないための向上心」を持ち続けることに尽きるだろう。
 私はそのような人間のタイプを「大器晩成」とみる。もっとも、そもそも「大器晩成」型…というものがあるとは考えない。それを認めてしまうと、一方の「大器早成」型というものの存在を認めなければならないからだ。
 「早成」してしまった「大器」は、早々につぶされてしまうだろう。もしくはそれは「昔、神童と呼ばれた」くちではないか…と。神童も大人になればただの人…昔は「大器」に見えたが、年を重ねれば年相応の「中器」もしくは「小器」であった…と。
 だから「大器」というものは「晩成」しかあり得ないのではないか…と思う。
「早成」を願わず、時間をかけてじっくり熟成したものこそが「大器」となるそうであるからこそ、終生にわたり「耐久力」と「向上心」を持ち続けることができ、やがて「大器」になるのではないか…と。
 ただし「熟成」と「爛熟」を誤ってはいけない。「蓋を開けたら腐っていた」のではどうしようもないからだ。「大器」を腐らせる最大の原因はなにか?それはおそらくは「我執」…つまりは「プライド」なのではなかろうか…。
杉本通信(28)2016年6月1日号

(※:今井むつみ『学びとは何か―〈探求人〉になるために』(岩波新書、2016年)を指す。杉本は、読書録においてこの本を『知的創造のー』の前に紹介し、第7章から上記のような学びを得たと記している。)


極端な話、目先の功績だけに向かい、焦って結果を残そうと研究するとどうなるでしょうか?
おそらく始めは問題ない、むしろ成功体験を得られるほどかもしれませんが、長くは続かないことが予想できます。
その結果として、史料や実験結果を都合よく解釈するなど、不正な研究につながる可能性もあるでしょう。


そのために、自分の目指すところを自覚することが必要なのでしょう。

例えばくずし字や漢文など、一見扱うのに膨大な時間がかかりそうなものでも、それに取り組むことによって得られる情報はそれ以上の価値があるかもしれません。
研究に必要だと感じられるものならば、取り組むのがめんどくさい…こんなに時間を使っていられない…と思わずに、継続して着実に取り組んでいくことが大事だとわかります。

そして「マンネリに陥らないための向上心」とは、まさに「当たり前を当たり前と思わず、常に疑問を呈し続けること」がその一つなのではないでしょうか。

杉本は最後に、こうして成長してきたものを腐らせる原因は「プライド」ではないか、という考えを示しています。
確かに、「大先生」と化してその地位に胡坐をかき、作ってきた「大器」を腐らせたまま放っておく人々がいる…というのは想像に難くありません。
そうなった場合、自分の成長はもちろん、社会の進歩に貢献する分もありません。

研究者としての自覚は年を取っても持ち続け、この考えを忘れないようにしたいですね。



ありがとうございました

上でもお話ししましたが、中々自分の中で確信を持ってしまった考えは変えられないし、社会的に認められた考えに疑問を投じていくのはもっと難しいでしょう。

先日、演習の授業内で、卒業論文構想を練る前段階の3年生の発表がありました。

自分が3年生だったときを考えてみると、かなり先輩研究者たちによる先行研究にがんじがらめになっていた気がします。
それには、「知識も経験もある研究者に、まだこの研究に指一本くらいしか触れていない自分が、いきなり切り込んで批判してもいいのだろうか…自分が間違っているのではないか?」という思いが常にあったからです。結果的に、先行研究を否定してはいけないという認識になっていました。
さらに、自分の研究分野の人々は、なんだか色々な賞を獲得しており、社会的に認められた研究と捉えるには十分でした。

ただ、今回の3年生の発表を聞いて、それは間違っていたんだなと改めて感じました。

その研究分野でも、学会の権威のような研究者の人々が行った研究が広く知れ渡っています。
しかし、作品をよく観察し、批判的に考察していけば、そうした先行研究は絶対に正しいわけではないことが述べられました。

3年生のときの私のように先行研究をなぞっているだけならば、それはもはや研究と呼べない、というのはもちろんですが、
ここに地道な作品比較や資料の検討が加わり、その延長で「パラダイム転換」が起こっていくのだろうなと思った発表でした。


ということで、今回はここまで。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました!
また次回もよろしくお願いいたします。

※補足
前回、「土曜日の夜に投稿します」としましたが、今日はクリスマスでしたね…予定がある方もいると思うので、少し失敗でした笑
次回は年末になりますので、少し早めの30日木曜日の夜ごろの投稿を考えています。改めて、どうぞよろしくお願いいたします!


【今週の授業まとめ】

○博物館実習(基礎実習)

今回は、前回の内容のまとめ発表でした。

掛軸の賛と描かれているものから情報を引き出し、
・何のために制作された掛軸なのか?
・描いた人(描かれた人)はどんな人だったのか?
・描かれているものは何なのか?
などを調べて発表を行いました。

賛はほとんどが白文(一二点などがない)の漢文や漢詩でした。
しかし、制作背景などとても重要な情報が含まれているため、読み方を学びながらなんとか解読し、どのグループも適格な解釈ができていました。


○近世絵画史


今回は、前回の「鑑戒」に続いて「暢神」について学びました。

前々回の記事で触れた田能村竹田や、同様に元・藩士である浦上玉堂などが取り上げられました。

浦上玉堂は、期待をかけていた藩主が亡くなり、藩に希望を見出せなくなったために脱藩したそうです。その後は「精神を安定するため」に作られたとされた琴を弾きながら絵画を制作しました。

また、やはり「社会の中で己を律する儒教」に対しての、「自然を重んじる老荘思想」という部分が強調されました。

現在、「鑑戒」の授業がYouTubeで公開中です。
期間限定ですが、ぜひ記事と併せてご覧ください!



○研究演習

今回は、私の研究分野に合わせてもらい、
「酒井抱一や鈴木其一などの作品で筆遣いが特に良いと思われるものを挙げてみる」という目的のもと、図録に掲載された作品をひたすら観察していきました。
まだまだではありますが、作品比較で鍛えた分析力が、比較することなく発揮できるようになってきたことを自覚できました。


【参考】


Twitter:noteの更新をお知らせしています!

YouTube:講義を期間限定で配信中!杉本の特別企画もあり、美術史についてより深く学ぶことができます。そして何より、ここで取り上げた講義を実際に聞くことができ、気軽に体験授業を受けることができます!

ホームページ:杉本についてもっと知りたい方はこちら。随時更新していきます!

いいなと思ったら応援しよう!