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対話の旅にでる-対話を通じた創作活動で自分らしさ再発見の輪を生みたい-

※この記事は、「noteクリエイターサポートプログラム」応募記事です。


社会人歴3年半、現在26歳と0ヶ月。

学生の頃よりずいぶん見える世界が広がって、知っていることもできることもたくさん増えた。サラリーマンの生活リズムにも慣れ、特に不自由ない生活を送っている。

けれどどこかで、自分が生きている世界がだんだんと狭まっているような感覚を抱えている。同じ生活ルーティンの人と週5日は共にしているのだから、ある意味当たり前かもしれない。たまに訪れる生き生きと活動する方への出会いは喜びである一方、自分の能力のなさに対する落ち込みや、何をどう行動したらいいか分からなかいもどかしさでもあった。


仕事のこと、友人のこと、家族のこと、そしてこれからの人生のこと。ワンルームの個室にこもって1人考えてみたけれど、結局しっくりくる答えは何ひとつ見つからなくて、いまもまだゆらめいている。

椋本湧也「26歳計画」


それでも、なんとかして自分が生きている世界を肯定したい。26歳計画にも背中を押され、「対話の旅にでる」ことを考えた。

そんな折に見つけたこのプログラム。計画実行のきっかけの一つとして、このプログラムに応募しようと思う。



1.経緯


1-1.自分の声が聞こえない


口癖は、「やりたいことが分からない」。


子供の頃からオール平均点プラス2点くらいな私は、得意教科も苦手教科もなく、トップになることもなければビリになることもなかった。集中力はある方だと思っていたから、「何か秀でたものがあればのめり込めるのに」と、ずっとそう思っていた。

大学時代は、ダンスにのめり込んだ。秀でたものではなかったけど、憧れる環境があったおかげで自分でそう選択した。結果、自分の人生に多大な影響を及ぼす経験をたくさんした(この経験がなければnoteも知らずに過ごしていたと思う)けれど、それでもなお、ダンスと少し距離を置いた今の私は、やっぱり「やりたいことが分からない」。

いつか見つかると思っていたやりたいことが見つからないまま、私は自問自答ばかりを繰り返していた。


自分はなにになりたいのか、延々と紙に書き出していた。でも、どれもはじめなかった。もしいま当時の自分に会ったら、どう関わるだろう。ただ黙って話を聞くと思う。「堪らなくどうである」とか、「わけもなくこうである」といった感覚的な言葉に耳を傾ける。

西村佳哲「自分をいかして生きる」


ひょっとして、分からなさは自分の声に蓋をしているせいなのだろうか。学校教育ではいい成績を取れば褒められたし、社会では収入と安定性の天秤で社会的地位が定まっていく。まんまとそれらの評価に従順に育った私はいつしか、自分が堪らなくどうであるかより、人からの見られ方のほうが優先度が上がっていたのかもしれない。分からないのは、自分のやりたいことではなく、自分の声を聞く方法だった。



1-2.他者との対話とは、自己対話である


やりたいことが分からないと呪文のように唱えていた私は、ダンスのジャンルを選ぶ時も、卒業論文のテーマを決める時も、就活する時も、延々と自問自答を繰り返していた。

けれど、どうにか選択をして今ここにいるのも事実。振り返ってみると、結局決め手はいつも誰かの一言だったように思う。一語一句は思い出せないけど、それぞれ話した場面がはっきり思い出される。自分の選択は、自分で決めているようで、誰かに導かれて決まっている。自分の意志は、他者との対話の中に鏡のように映し出されている。


<わたし>が誰かという問いは、従って、私の自己理解の中にあるのではなく、他者がじぶんを理解するそのしかたにあるのでもなく、その二つが交錯し、せめぎ合うその現場にこそあるといわねばならない。<わたし>はじぶんがそう思っているものでもないが、他人がそう思っているものでもないのである。

鷲田清一「だれのための仕事」


いつも相談相手になってくれる友人にふと言われた、「相手が思っていることだって結局、自分の想像でしかないんだよ」という言葉を思い出す。全くその通りだ。他人の気持ちもまた、自分に鏡のように映っているのだと気づく。


自分の声を聞くために他人の声を聞き、他人を知るために自分を知る。その繰り返しで、自己理解も他者理解も深まっていく。



1-3.共鳴するからできる、美しい表現


自分の声を聞くことは、ひどく孤独な作業だと思い込んでいた。私と同じ人はこの世にいないし、だれになんと言われようとも、と高らかに誇示できる精神力もない。けれどもし、他人との対話で自分の声を聞くことができたのなら。そのとき相手もまた相手自身の声を聞くことができていたら。それぞれが持つ音が共鳴しあいハーモニーとなったら。それはとても暖かく、1人じゃ到底敵わない美しさを放つ。


「生きる」ということは、「自分を表現する」ことです。どれだけ自分を正直に表現できているかということが、人と向かい合った時にまず大事なことなんです。

西村佳哲「自分をいかして生きる」


表現とは、「表に現れる」と書く。つまり、何か新しいものがゼロから生み出されることではなく、自分の中にもとからあったものが見える形や共有される形になって出てくることに、その本質はある。

ダンスや音楽をかじっていたからか、表現に触れて感動することが好きだ。感動するのは、その表現がとても他人のものとは思えないほど、自分の心を揺さぶるからだと思う。




そうやって感動することを、いま、私は堪らなくやりたい。




1-4.だから私は、対話の旅にでる


「僕がなぜ繰り返し「大勢」を描くのかといえば、自分が世の中の中心だとはとても思えないからです。この世界は多様であり、自分はそのどこか端っこにいる。でも「端っこも世界なんだ」、そう言いたいんだと思います。

かこさとし「未来のだるまちゃんへ」


これまで内向的であまり人と対話をしてこなかった私の目線は、26歳にしてようやく、自分の外に向いている。平凡でありきたりな自分の人生も、世界と地続きなんだ、この世界は自分が思うよりずっと広いんだ、そう思えることでもっと自分と素直に向き合えるかもしれない。その世界へ踏み出す初めの一歩として、対話の旅に出てみたい。

そうとわかったら、たくさんの出会いを経験したい。出会う相手は、まだ会話を交わしたことがない人も、これまで時間を共有したことがある人も、向き合いきれていない自分も、はたまた自然や芸術といった人間以外も含めて、だ。そして、対話を通じて共鳴する部分を見つけて、奏で合いたい。奏で方は、連弾から、四重奏から、合唱まである。その方法は、その時にあった方法を選ぼう。一緒に奏でてくれた相手には、お礼のお手紙を贈ろう。


私と同じように自問自答を繰り返している人は、たくさんいるんじゃないかと思う。私が私を取り巻く人たちと自分だけの音を見つけていく過程は、最終的にzineやwebに残る形でアウトプットしたい。それを手に取った人からまた、対話の輪が広がったら、世界の感動の数をほんの少しだけ増やせるかもしれない。


これは、対話を創作活動として取り組むことで、関わるすべての人の自分らしさを再発見する試みだ。



2.支援依頼内容


2-1.自己紹介

1996年生まれ。2019年4月よりまちづくり系の会社へ入社し、建替事業や改修事業に携わる。大学時代の卒業研究テーマは家族写真。

趣味は、読書、街歩き、季節の変わり目の空気を吸うこと。



2-2.支援してほしい内容

持続的な対話ができる環境構築のサポートが受けられたらと思っています。対話に関するテーマ設定等は現在企画中です。

  • note placeの無償提供:対話の場としての利用を希望します。

  • 活動告知サポート:対話の機会に関する告知サポートを希望します。

  • 活動資金の支援:対話活動を文章にしてzine,web等で発信することを考えています。対話に関するリサーチ費用およびアウトプットに必要な諸経費支援を希望します。


2-3.支援してほしい時期・期限

具体的期限はありませんが、1年ほどかけて実現したいと考えています。


※支援内容・期間の具体的内容については、ご相談ができればと思います。

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