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『リア充』という言葉について考えてみた。

『リア充』とは、『リアル(現実世界)が充実している』事を意味する言葉だ。

『リアル(現実世界)』の意味は、おそらく多くの人にとって明らかであろう。
ゲームやSNSではない、目の前の日常といった感じの意味になると思う。

問題は『充実している』の部分の解釈である。
つまり、何をもって『充実している』といえるのか、という事だ。

これは正直、人によって違うとしか言えないだろう。

主観的に自分が幸せだと考えている場合を指すと考える人もいるだろうし、客観的に一般社会における収入や地位等で幸せとされる場合を指すと考える人もいるだろう。
友人が平均的な人数よりも多い場合、配偶者や恋人がいる場合を指すと考える人もいるようだ。

ちなみに私は、主観的に自分が幸せだと考えている場合を指すと考えるべきだと思う。
なぜなら、『友人が多い』『恋人がいる』という客観的な指標で考えると、本人が主観的には不幸だと考えている場合も含まれてしまうからである。
例えば、『恋人がいる』という基準で判断した場合、別れる直前の最悪の状況で本人が絶望している、といったケースでも『リア充』に該当することとなってしまう。
このような人を『充実』していると判定するのは、その文言からして不自然だろう。

また、このような考えには、「もし自分に恋人がいたら幸せだと感じるだろうから、きっと恋人がいるあの人は『充実している』のだろう」というような『決めつけ』が働いているのかもしれない。
自分と他人が同じように物事を考えるのだ、という『決めつけ』だ。

以前の記事でも述べたように、『決めつけ』には慎重になるべきで、このような安直な考えには賛同しかねる。

ましてやこのような一方的な『決めつけ』に基づいて「リア充爆発しろ!」等と言って攻撃したり、いじめたりする行為は断じて許されるべきではない。

少し話を変えて、そもそもなぜ人によって、このような考え方の違いが生じるのか考えてみよう。

それは、人によって一人一人経験や環境が異なっているからだ。人の考え方や価値観はこうしたものを通じて形成される。

そして、このような考え方の『多様性』は、人間の武器なのである。
皆が全く同じ考え方をし、同じ結論を出し続けていたならば、人間はとうの昔に絶滅していたであろう。
人間は『多様性』を武器にして生き残ってきたのだ。

しかし、本記事の『リア充』という言葉の『充実している』の解釈にみられるように、この『多様性』が原因で、紛争が生じることもある。

このような紛争を防ぐためには『相互理解』が重要だ。

たしかに、前に述べたように一人一人考え方が異なる事から、完全な意味での『相互理解』(相手が何をどのような枠組みで考えているか完全に把握する等)は不可能である。
しかし、わかり合う努力をする事によって、必要最低限の『相互理解』は可能で、無駄な紛争の防止はできると思う。

試しに今回の『リア充』という言葉で考えてみる。

『充実』の意味について異なった解釈をする人同士は、それぞれ異なった言動になりかねず、さらには紛争が生じるおそれもある。
しかしそれぞれが互いに『充実』の意味についての解釈を説明し、各人の経験等も知ることができれば、こうした紛争は起こりにくくなるだろう。

人間は個人の考え方の違いを乗り越えて協力し合う事で生き残ってきた生き物でもある。
このような必要最低限の『相互理解』は可能なはずだ。


以上が『リア充』という言葉について、私が考えた事です。

コメント等あればお願いします。

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