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原点

雨の日だってあっただろうに、今も思い出すのは晴れた青い空と灰色のコントラスト。
鮮やかな青は今も目に焼きついている。
小さい窓から見えるのは小さいお寺とお墓。
もともと採光があまり良くない部屋だったので、晴れた時にしか外界を認識しなかったのだろう。

8畳一間。管理費込み67000円。高いと思った。
部屋は暗いし狭い。それでも決めたのは知人の紹介だったから。
北区赤羽。一番街の外れ。父親がこの土地の出身だったので、最初はここから出発したかった。
また埼玉に住んでいた自分にとって、東京は憧れの土地であり、荒川を越えて、そこに部屋を借りるというのはちょっとしたステータスを感じる部分もあった。
埼玉県人のコンプレックスはかくも根深い。


女友達と意気投合し、出版業界で一旗あげようと会社を作った。
この頃は会社資金規制法が現存し、自分のようにお金がない人間には信用力のある株式会社など作ることができない。正直、有限会社の300万もきつかった。そこで見つけたのが合資会社というやり方だった。司法書士の先生も雇えないので公証役場や法務局に行って自分で全ての定款を作った。
とりあえず会社というカタチはできた。

次は事務所だ。
そこで借りたのがこの部屋だった。
デザインをするためのPCと机、それと本棚を買った。部屋が半分埋まった。
デザイン担当の彼女とライティングやイラスト・漫画担当の2人だけの城だ。
自分の机など置く場所がなく、床に座布団を引いてPCを打ち続けた。
最初に自分たちが参加した雑誌が発売された時は本当に嬉しかった。
池袋の本屋でつい二冊も購入してしまった。後で出版社から献本があるというのに。

一日の大半をこの部屋で過ごす。いつしかとてつもなく愛着が湧いてきた。
何よりはじめて安心して仕事に打ち込める場所だったのだから。

隣接する一番街でも良く食べ、よく遊んだ。
酔っ払い天国だ。店の人もお客さんも実によく飲む。いつしか仲良くなったり、喧嘩したり、人との距離がとても近い町だった。
ギャンブルで身を持ち崩す割烹店主、DVを受け続けるママなんていう住人たちも見た。
そうそう商店街で買ったハムスターを部屋で飼ってたら、いつの間にか子供が産まれてたなんてこともあったっけ。
活力に溢れるこの場所に随分元気をもらった。

はじめての春を迎えた。小さい窓の外がピンクに染まった。
気づかなかったが、お寺にはたくさんの桜の木があったのだ。満開となったその風景はさながら切り取った絵画のようだった。ずっと頑張ってきたご褒美をもらったかのようだった。

2年半、お世話になった。
部屋から出る時、2人で室内に向かって最敬礼した。2人とも涙ぐんでいた。

自分にとっては仕事の原点。きっといつまでも忘れることはない。

#はじめて借りたあの部屋

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神尾将一
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