映画『すばらしき世界』から読み解く現代社会の在り方
あらすじ
13年の刑期を終えて下町の片隅で暮らす元殺人犯の三上のもとに、
テレビマンの津乃田と吉澤が現れる。
一度は社会のレールを外れたが再生したいと悪戦苦闘する三上の姿を、
彼らはおもしろおかしくテレビ番組にしようともくろんでいたのだった。
そのまっすぐすぎる性格がゆえに三上はトラブルばかり引き起こすが、いつしかそんな三上との交流が津乃田と吉澤をはじめとする周囲の人々に影響を与えていく。
社会で生きるということ
出所後、カツアゲをしていた若者を必要以上にこてんぱんにしてしまうような正義感が強く、気性の荒い三上であったが、
周囲の人々の温かさに触れ、社会で真っ当に生きていこうということを決意。
そして、介護施設に就職するのであった。
介護施設でも周囲の人に恵まれ、
阿部という障害を持った社員とも仕事を通じて仲良くなっていく。
しかし、阿部が他の社員に虐められていることを目にした三上は近くにあったモップを片手に助けようと試みるが…
「シャバは我慢の連続」と教えられていた三上は苦しみながらも自分の感情を押さえつけ、その場を見過ごす。
その後も他社員が阿部の障害者としての様子を面白おかしく真似していた時も、
当たり障りのない会話でやり過ごしてしまうのだ。
確かに社会は我慢の連続だ。
だが、この三上の行動は本当に我慢と言えるだろうか?
よくSNS上で電車などで殴られてたり、喧嘩をしてたりする動画を目にする。
なぜ誰も止めないのだ?それは我慢と言えるだろうか?
ただの保身だ。
三上よ。履き違えては行けない。保身と我慢は違う。
僕たちはどう生きるか
『お節介な人』の人口が減ったように思える。
お節介な人は面倒くさく思われるかもしれないし、嫌われるかもしれない。
しかし、こういう人がいないと組織や社会は成り立たないんだと、弊社代表を見て感じる。
(毎日同じ食事を摂っている私に炊き込みご飯のおにぎりを持ってきてくれるほどお節介な社長)
お節介でいた方が「他者貢献感」を得られ、
確実に幸せになるし、そういう人が増えれば増えるほどは社会はより良くなって行くだろう。
保身に走らず、自責思考を持ったお節介な人が増え、
日本という国が素晴らしい社会になることを願う。
(それにしても役所広司の演技は素晴らしい…!)