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「もう夕方か...」感

 これといった趣味もない自分だけど、人と話すということがだいぶ好き。だからか、友人の新たな一面が見えたり、熱い話に深い話ができたりする、飲み会の予定が多いのかもしれない。

 派手なものは少ないけど頻繁に飲酒→やらかしを起こす。それは自分に正直すぎるからなのか、それとも自分を裏切りすぎているからなのか。

 卒業してから仲良くなった高校の同級生たちと飲んだ翌日、授業を飛ばしてしまった。こんな日はいつも、夕方がやってくるのが早い気がする。

 月曜日は土日のチャージと意欲があるものの、火曜日には週はじめの疲れがやってきてしまう。大学で唯一落とした単位も、去年の火曜1限だ。もう月曜の夜は早く帰ろうって何度言い聞かせたらわかるんだろう。

 夕方のなんとも言えない名残惜しさに、幼いころからいつも切なさを感じていた。私の住む町では5時の鐘は鳴らないけど、今日が二度と戻らないことを薄々感じはじめ、夜と明日が近づいていることを知覚する。

 思えば、あの「ねずみの気持ちを知りたいねこ」の番組で流れていた『せつないのうた』が文字通り私を切なくさせたのかもしれない。あの頃は1日が長くて、毎日たっぷり遊ぶことができた。だから「今日」の想い出は濃くて、忘れることはなくても、それが薄れていく・失われていくことが悲しくて怖かったのだろう。

 「朝ってのはさ」という文章でも書いたように、いつからか『せつなさ』は明日が来ることへの不安に様相を変えていた。それがまた、今日が終わっていくことへの切なさに戻りつつある気がする。

 カレンダーは黒くても、やはり大学生には少し時間がある。生活のデザインに関する自由度が増した今、また1日は長くなったように感じる。長い時間をいかに文化的に過ごすことができるか、しばらくはこれが課題になりそうだ。

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