シアター・オリンピックス④

だいぶ時間がたってしまいましたが、備忘録の最後です。
世界の果てからこんにちは、および鈴木忠志について。

鈴木忠志は、演劇や俳優の役割について、自著の中で以下のように語っている。

「舞台上の会話は、日常会話の再現でも模倣でもない。演劇という歴史性をもった表現形式を踏まえて、会話という形式の中で、人間がかかえている諸問題を顕在化させたり、その成り行きを解明したりするものである。」

「書き言葉を見事に視聴覚的に構成して、人間の見えない部分を顕在化すること、これが俳優の演技という仕事であり、ギリシャ悲劇以来のヨーロッパ演劇の伝統である。」

いずれも内角の和・Ⅱ(鈴木忠志/而立書房)より

鈴木は、「書き言葉(戯曲)を、歴史ある表現形式(演劇)を通して舞台上に構成し、人間の抱える諸問題や見えない部分を顕在化させること」を志向しているということだ。

「世界の果てからこんにちは」では、鈴木が演出する各芝居の印象的シーンが切り貼りされた、モザイク型の芝居である。一見一貫性がないシーンの連続だが、「日本人とはなにか」という文脈に貫かれた構成となっている。シーン間では花火が上がり、扱っているテーマとは裏腹に華やかな舞台となっていることに鈴木の愛を感じる。

日常生活において、自身の国家とか民族的帰属意識を問題意識として常に抱えていることは難しい。しかし、世界では、民族間、国家間の摩擦による衝突が日夜発生している。こういった問題に相対するにあたり、自身の日本人としてのアイデンティティとは何か、日本人とはいかなる存在であるのか、を1年に一度、必ず考えさせてくれるこの舞台は、自身を貨幣の奴隷にしないための大変な良薬である。

この芝居のあとは鈴木忠志が軽く挨拶をし、その後で鏡割りをし舞台上で樽酒を振舞うのが慣習となっている。その挨拶の中で鈴木が普段あまり口にしないことを述べていた。

言わんとすることは、「私も死ぬまで頑張るから、皆さんも死ぬまで演劇の聖地利賀村を応援して欲しい」といったことであった。

この「皆さんも死ぬまで」は鈴木存命の期間を意味しない。自身が利賀村に関われなくなったあとも、ここまでの存在になった利賀村を維持発展させ続けて欲しい、という鈴木の願いである。翌日のトークでは、利賀村がここまで発展するためにどれだけ鈴木が苦労したかが語られていた。

従来、鈴木亡き後のSCOTや利賀村の行く末について、明言を避けてきた。それは今の若いものが考えることだろう、と。それがシアター・オリンピックスという機会でここまで直接的なメッセージによって語られたことに驚きを感じた。

山を下りて後、今後の末永き利賀村の存続に、わずかばかりながらでも寄与する術はないか、考えるようになった。

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